磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島・長崎の平和宣言 その歴史と課題

2007年06月27日 | 読書日記など
『広島・長崎の平和宣言 その歴史と課題』
    鎌田定夫・編著/平和文化1993年

かなり纏められた文章で、一冊の本にいろいろなことが書かれてあり、ややこしいと思う箇所がいくつもありました。



米国戦略爆撃調査団の最終報告書。下「」引用。

「広島・長崎への原爆投下を、「原爆の効果に関する実験室の研究に代わるものであった」と評価した。」

戦争でもなければ、非人道的な戦争犯罪でもなく、実験だったという。大量殺戮をしておいていう言葉とは思えない……。

米国戦略爆撃調査団

『敗北を抱きしめて 上 第二次大戦後の日本人』より

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ファーレル准将の二枚舌は何度、文章を読んでもあきれます。
9月9日、「相当困っているらしいので何とか救済の方法を講じたい」。
その3日前は、「原爆放射能の後障害はありえない。すでに、広島・長崎では原爆症で死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無だ。」

そして9月19日、連合国総司令部(GHQ)はプレス・コードを発令。

1947年8月9日、まだ長崎市は公式の主催者ではない。
長崎「文化祭」では、米軍政部の禁圧を怖れ、「原爆」や「平和」の文字でさえタブーだったという。

平和記念都市建設法。
1949年の内外情勢は激変しつつあった。
この法律は、広島市がGHQや政府へ働きかけ、長崎市もあわてて陳情。
GHQの好意で、やっと国会上提にまでこぎつけたという。

1950年4月28日、日本学術会議が「戦争を目的とする科学研究に従事しない」と決議。

5月6日、第2回広島・長崎親善青年交歓会で長崎で開催。
24人の広島代表はオープンカーで市内パレード。
永井隆博士の己如堂へ。
己如堂のバラは広島へ、広島の蓮は己如堂の池へ。

6月25日未明、朝鮮戦争勃発。
8月6日、9日の「平和祭」は直前に中止され、「祈りの日に」。

ベトナム時に「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」

朝鮮人の碑を公園内にすぐに建てられなかったのは、南北統一の碑をつくりたかったからというが……。









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