磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ピンク・フロイド・ファイル Artist file 11

2012年01月19日 | 読書日記など
『ピンク・フロイド・ファイル
  Artist file 11』
    中村直也・監修/
      シンコーミュージック・エンタテイメント2005年

ジャケットもユニークでしたね。下「」引用。

「ピンク・フロイド、もしくは、ロジャー・ウォーターズがかつて自ら称した「現代のハウスオーケストラ」の歴史に、最も長く、かつ、密に関わってきた人物をひとり挙げるとすれば、それは、ストーム・ソージャーソンということになるだろう。ストームは、フロイドの世界的名声の一翼を担った斬新なジャケット・アートワークで有名な、伝説のデザインプロジェクト「ヒプノシス」のリーダーとしても知られている。」



少年時代から3人と友人。下「」引用。

「中世から栄えた“知の殿堂”都市、ケンブリッジに生れたストームは、フロイドのリーダシップを取ってきた歴代の顔、シド・バレット、ロジャー・ウォーターズ、デイヴィッド・ギルモアと、少年時代から親しい交流があった。母親同士が親しく、幼馴染だったロジャーとは同じ高校のラグビーチームで肩を組んで汗を流した仲(フロイド結成後に組織された草サッカーチームにも主力として参加している)であり、フロイドの伝記作家、ニコラス・シェフナーによると、学校時代にストームが最も仲が良かったのはシドで、デイヴィッドとは生涯の親友となった。
 ストームの目から見れば、シドが“狂気”の末にバンドを事実上追い出され、ロジャーとデイヴィッドが軋轢を繰り返して結局“決裂”した経緯は、さぞかし物悲しい、やるせない胸の痛みを伴うものがあったに違いない。」

シドの最初の傷。下「」引用。

「-略-裕福だった病理学の父親の死は、シド一家の牧歌的な生活に終止符を打つことになった。この出来事を、ストームとロジャーは口を揃えて「シドの精神生活への最初の傷、心の障害」だったと指摘している。」

デイヴィッドもまた……。下「」引用。

「デイヴィッドの父、ダグラスは高名な遺伝学の教授で、高校教師の母、シルヴィアを伴い、高校生の息子をひとりケンブリッジに残してニューヨークのマンハッタンに移住してしまう。卒業したデイヴィッドはバンド活動とアルバイトに追われて寝る間もない青春期を送った。後に彼は「ロジャーは戦争で父親を失ったが」と語っているが、この経験は、約10年後に起こるフロイドの内紛にあって敢然と遺志を強く精神力を養った。」

順次“降格”されたR.ウォーターズ。下「」引用。

「ロジャーは当初のリードギターからリズムギター、後にシドが参加してからはベースと、順次“降格”を強いられている。-略-」

『原子心母』 下「」引用。

「『Atom Heart Mother』というタイトルの決定のエピソードも“秀逸”この上ない。発表前にラジオ番組に出演したとき、プロデューサーから問われたがその時点では何も決まっていなかった。そこでギーシンが、持っていた新聞から「探そう」と提案し、ロジャーが「妊娠した女性が原子力で動く心臓ペースメーカーを使っている」記事を見つけ、その見出しをそのまま使うことにしたのである。つまり、実際のお学との関連性は何もなかった。』

原子力ホロコースト……。下「」引用。

「政治的見解てロジャーと一致するものが多いニックはまだしもだったが、原子力ホロコーストによる世界の焼却「予告」するフィナーレ「トゥー・サンズ・イン・ザ・サンセット(Two Suns in The Sunset)」の演奏では、どうやってもロジャーの納得を得られず、スタジオドラマの第一人者、アンディー・ニューマークと交代させられた。」

ロジャー、正式脱退。下「」引用。

「ロジャーがフロイドと正式に袂を分かつ引き金になったのは、マネージャーのスティーヴ・オルークとの対立だった。デイヴィッドとニックがオルークを馘にすることに同意しなかったため、ロジャーはEMIとCBSに「もはやピンク・フロイドとともにレコーディングをする意志がない」ことを通達する形で「決着をつけた」のである。-略-」

ジェフ・べックが……。下「」引用。

「--シドの代わりにジェフ・ベックをもう少しで入るところだったというのは本当ですか? 歴史が大きく違っていたかもしれませんね。
R : ああ、確かに彼にアプローチした。彼がどう答えたのかは覚えていないが、答えがイエスでなかったのは明らかだよね。」

ギルモア=モデル。下「」引用。

「デイヴィッド・ギルモア参加直後にのピンク・フロイドは、デイヴィッドがモデルをやっていたこともあり、美形グループと一部では呼ばれていた。」

エコーズはクズ。下「」引用。

「デイヴィッド・ギルモアは当初あがってきた名曲「エコーズ」のモチーフに対してクズ呼ばわりしていた。」

日本初の野外フェス。1969年、箱根アフロディーテ





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