磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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天皇陛下を語る

2009年04月26日 | 読書日記など
『天皇陛下を語る』
   萩萩月・著/愛花書院1953年

「序文」に書かれてあります。下「」引用。

「 今や世界は国際的紛争問題の累積から、まさに第三次世界大戦の、一触即発の危機にあります。即ちアジアに於いて、民主主義国と共産主義国との間に、一ケ年間に亘り戦火が飛び、朝鮮半島に於いては、漸く休戦問題が俎上に米・ソ虚々実々の政戦両略から烈しく交され、双方の宣伝は耳朶に痛いとき、新たに近東イラン国の石油国営断行を中に、英・イの軍隊は、銃剣を擬して危機一発を想わせています。
 この秋に当り、無武装日本は、幸にかかる渦中より遠ざかり、島国として、太平洋の波濤を子守唄に、自国の平和建設に一路邁進していることは、非常に仕合わせでると想ひます。-略-」

平和国家から離れていく日本……。


「原爆荒野の丘に愛と光
 天皇と長崎の鐘
  -永井博士に心境を聴く-」
……というタイトルがある……。

この著者は永井博士の茅乃さんを長女と二度書くが、次女である。

そして、「“天皇は愛の巡礼です”」と書くが……。下「」引用。

「其處で私は何を見、何を感じたのであろう。人の世に咲く、愛の光の貴く気高いものを発見したことを、天下の人々に伝えたいと思う。
 平和の鐘は原爆の荒野--私はこの身で、此の地に立つ深い感激に至った。
“天皇は愛の巡礼です”
 病博士の此の一言を私は忘れはすまい。」

しかし後にはこう書く。下「」引用。

「“陛下は巡礼ですね”
 とも云われました。それは愛の巡礼であり、祈り巡礼であるとも解せられませう。」

愛の巡礼は著者の主張であるかのように思える……。

しかし、愛のない人ならば、お詫びもしないだろう……。

まちがったことを何度も何度もかくが、訂正もいれないロボットのようなイデオロギーにの人たちよりは、愛があるともいえるかもしれない……。

しかし、戦争へのお詫びの巡礼だとボクは思う……。
--手放しの愛の巡礼などとは言えないとボクは思う……。

昭和天皇と永井博士の長崎大学でのことが書かれてある。

そして、著者が如己堂にいって2時間も病床の永井博士と話したという。
--話し好きだった博士……。

如己堂の庭にヘレン・ケラーが一株のバラを植えていったという……。

そして、昭和天皇と別れたのちの永井博士……。下「」引用。

「“陛下をにこにこして笑顔でお迎えしましょうね”と子等に教えて永井博士その人は、陛下とお別れした時、その御姿が消えると、布団を顔に押し被って、男泣きに泣かれたそうであります。
 それ程、博士の感激は大いなるものがあったのであります。」

昭和天皇の皇太子時代、永井博士の学生時代も関わりがあったことは、この著者は書いていない……。
--知っている者には、その意味が理解できることだろう……。

ふたりの平和への熱い思いも同時に感じられる……。

この二人には、ゼロサムゲームは感じられない。
--どちらもチンピラの論理を展開していない……。

最近は大学教授もチンピラの論理を展開している……。









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