磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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福島第一原発風下の村-森住卓写真集-

2012年02月04日 | 読書日記など
『福島第一原発風下の村-森住卓写真集-』
   森住卓(写真・文)/扶桑社2011年

欧文タイトル:Downwinders

図書館の説明文。下「」引用。

「抄暮らしとふるさと、すべてのものを一瞬にして奪ってしまった原発事故。福島第一原発の風下に位置する福島県飯舘村で、廃棄された牛乳、避難する人々…。村民の悲しみと怒りを撮影した写真集。」



翌日に向かう。下「」引用。

「東日本大震災発生の翌日3月12日午前、私は『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一氏と福島県に向かった。寸断された道路を避け、その夜遅く郡山市に着いた。翌3月13日早朝、JVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)のメンバーと合流し、福島第一原発のある双葉町を目指して国道288号線を東進した。10km圏内入り口で警察が検問をしているので、双葉町には入れないだろうと思っていた。ところが、我々の行く手を阻むものは何もなかった。そしていきなり高い放射線量が検出された。」

世界各地を歩いた著者であるが、これほど……歩いたことなし……。下「」引用。

「チェルノブイリ原発で、セミパラチンスク核実験場で、プルトニウムを生産していた核工場で、そして劣化ウラン弾が使われたイラクの砂漠では通用していた、放射線測定器の針が振り切れてしまった。これほど高線量を出している土地を歩いたことはなかった。世界の核汚染取材の経験が役に立たない。福島の汚染のレベルはケタ違いだった。-略-」

「着の身、着のままの避難」 下「」引用。

「大熊町から避難してきた住民は、「次の日に帰れると思っていたから、貴重品だけ持ってバスに乗ってしまった。犬は室内のゲージに入れてきた。もう死んじゃったかもしれない」と目頭を押さえた。

チェルノブイリ原発から4km離れた町プリピャチの人々も、「明日帰れる」と言われて、バッグを一つ持っただけで避難のバスに乗せられた。プリピャチの人々は、あれから25年が過ぎても町に戻れていない。彼らと、大熊町から避難した人々の姿が重なった。(3月16日、田村市総合体育館)」

「見ていられない息子の窮状」 下「」引用。

「志賀正男さんは息子の正次さんに牧場を引き継いで隠居した。息子の窮状に何も手をさしのべることができない正男さんは、連れられて行く牛をじっと見つめていた。その表情には怒りと悲しみが入り交じっていた。(4月27日、飯舘村蕨平)」

除染より避難と補償……。下「」引用。

「「戻れる」という前提でいるために、人々はいつまでも新しい人生を歩むことができない。そればかりか、2年で地元に戻ってきた村民たちがさらに被曝する。これから生れる子どもたちにも遺伝的影響が出てきてしまう。大金をつぎ込むなら、除染ではなく、村民の避難と補償、健康被害対策のために遣うべきだ。
 そして、事故原因の徹底解明を行い、責任の存在を明確にしなければならない。

 我々はもう「安全」というウソに騙されてはいけないのだ。
「無責任な社会」から「責任のとれる社会」へと変革していくために、同じ過ちを繰り返さないためにも、現実をしっかり直視していかなければならない。
2011年12月   森住卓」

原子力ムラの住民とちがって、被災者たちにもヒューマンな視点……。

彼らは被災者について、どう考えているのか?

それを追及しないマスコミ!

被災者たちの現実さえも伝えないで、帰れるか帰れないかなど、問題を単純にしすぎだ……。

現状を知れば、他の原発周辺の住民も反対して当然だろう……。洗脳されていなければ……。







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