磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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長崎の証言1971

2007年07月07日 | 読書日記など
『長崎の証言1971』
   長崎の証言刊行委員会・編/長崎の証言刊行委員会s46年

この本でも、宗教をもっている方と、
そうでない唯物史観の方とでは大きな隔たりがあるような気がしました。



私自身は無宗教と名乗ります。
でも、憲法で信教の自由が認められていますね。
もちろん、社会人として法治国家に生きておられるのですから、国の法律を守ることは当然のことだろうとも思います……。

宗教の自由については、靖国神社にも当然あると思います……。
しかし、国との関係が靖国神社だけが突出している部分が多々あるのは、異常だと書かれているのを読んではそれもそうだと思います……。

また、唯物史観が生まれてから、人の心が重んじられないことがとても残念でたまりません。

民主主義は多様化といわれる時代にも、彼らのイデオロギーは神のようだと思う人たちがいて、共産主義は宗教だという方もいますね。

彼らは他者を非難するけれど、その物差しで彼らを測れば、もっとひどいようにボクには思えてなりません。

まあ、ボクは非難というよりも、他者の価値観も認めてほしいと思うだけです……。

--ボクの勘違いなら、うれしいのですが……。

そして多様性をみとめる、それが民主主義だと思います……。

井伏鱒二がこんなことを語っていたそうです。下「」引用。

「井伏鱒二が、自作『黒い雨』への反省をこめて、「“広島のこと”のような言語に絶する悲惨な大事件は、たとえ体験者であっても一個人で書き得る対象とは云われまい。原爆小説を発表する良識的な一つの方法は、多数の体験者が各自の見聞を忠実に書き綴り、それを互いに検討した上で一つにまとめて出版社に渡すことではないかと思う。」と語っているのもこのことをさすものであろう。(『“八月六日”を描く』はしがき、文化評論版)」



黒人兵のやさしい好意がかかれてありました。下「」引用。

「黒人兵は私に十円札を三枚渡して邦夫の足を指して靴を買ってやるようにと手真似で話した。はかせる物が無く、はける物なら何でもという時であった。片々の下駄とぞうりをは頭は原爆の脱毛症でつるつるの十才の男の子がよほど哀れな姿に映ったのであろう。私も彼の好意を謝し受けとった。」


被爆され三ツ山にある原爆老人ホームに入所された方の娘さんが文章をよせられています。

明治生まれの母。それはやはり現代人ではない良さをたくさん持っておられた方とボクは思います。

今の尺度だけで測るのは間違いではないかと思います。

「【平和教育実践記録】その2 中学校になおける原爆の授業実践」を末永浩(北高来郡森山中学校教諭)さんが書かれおられます。

長崎の学生たちは、この時代でもよく理解されていたと思います。下「」引用。

「〔33問〕原子力の「平和利用」について、「全面賛成」は学生の一名があるのみで、他はすべて政府の口先の「平和利用」を信用せず、条件つきで「真の平和利用」にのみ賛成するか、「平和利用」そのものに絶体反対する。」


「あとがき」にカトリック批判について書かれていました。下「」引用。
 
「寄せられた体験記の中にイエズス・マリアヘの祈りを唱える場面がしばしば見られるのも又、被爆中心地の付近にカトリック信者が多かった長崎の特徴であろうが、カトリックの信仰が原水禁運動を消極的ならしめたという批判は寄せられた体験記から察する限りでは必ずしもあたっていないように思われる。-略-(広瀬)」


相手を理解もせずに、批判する人たちはひどいとボクは思います。

また、聞く耳を持たない人もひどいとボクは思います。

自分自身も気をつけねば……。(-_-;)






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