『週刊文春 2012年5月3日 2012年5月10日 ゴールデンウィーク』
新谷学・編/文芸春秋2012年
特集名 小沢一郎に隠し子がいた! 驚愕スクープ
「福島第一原発吉田所長 「被災地復興基金のため」回顧録執筆中」 下「」引用。
「未曾有の事故を引き起こした東京電力福島第一原発。瓦礫と化した現場で、放射能にさらされながら背中に「1F 吉田」と書かれた防護服を身にまとい、最前線で指揮を執っていたのが吉田昌郎所長だった。昨年12月、吉田氏は食道ガンに冒されていることを公表し、所長を退任した。事故発生直後から取材に当たってきたジャーナリストの児玉博氏が吉田氏の思いを明かす。
吉田氏は3月上旬、東京・港区内にある大学病院を数名の看護師らに見送られて退院しました。昨年暮れからの入院期間は3カ月を越えていました。
現場からの信頼が厚い所長でした。特に地元で採用された作業員たちを大切にしていました。東電本店(本社)からやって来る社員たちに諭すように話していたそうです。
「子供の運動会でも、授業参観でも、元旦でもそれに出れないで働いている作業員がいるかに原発は動いてだよ。それで東電はもってんだよ。本店があるからもってんじゃないんだぞ」
事故後、本店にさまざまな要求を出しました。
免震棟の外壁を放射能を遮断する船で覆ってもらえないか。作業員が休む場所の空気清浄機をもっと高性能のものに取り替えてほしい。作業員らに危険手当てを出してほしい。
しかし、「検討してみる」「予算的に難しい」と判で押したような回答でした。その度に怒り、時に怒鳴っていたと聞いています。消耗している作業員らには、こう話していたそうです。
「福島の人たちが俺たちを見てるんだぞ。この土地をきれいにして福島の人たちに返さないといけないんだよ、俺たちは」
入院してからは、事故以後の記憶をたどり、現場で何が起こり、自分たちが何をし、何を目撃してたのか、未曽有の事態とどう闘ってきたのかを書き記し始めました。
食道ガンの摘出手術を無事に終え、自宅に戻った今は体力回復に努めつつ、記録をまとめる作業を続けています。
しかし、記憶を文字にする作業は困難を極めているそうです。記憶を呼び戻すたび、作業員らの顏、表情、声が蘇り、涙があふれ出てくるからです。
今、吉田氏には一つの望みがあります。
いつの日にか記録を出版し、その収益で基金を作り、福島のために使ってもらいたい。
福島第一原発を“My Planet”と呼んでいた彼にとって、それは、望みというより、責務と言い換えてもいいのかもしれません。-略-
「いつか絶対に福島に帰るから」
吉田氏にも、福島にも、春はまだ来ていないのです。」
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「岩崎夏海『もしドラ』作者が打ち明ける二度の“自殺未遂”」
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新谷学・編/文芸春秋2012年
特集名 小沢一郎に隠し子がいた! 驚愕スクープ
「福島第一原発吉田所長 「被災地復興基金のため」回顧録執筆中」 下「」引用。
「未曾有の事故を引き起こした東京電力福島第一原発。瓦礫と化した現場で、放射能にさらされながら背中に「1F 吉田」と書かれた防護服を身にまとい、最前線で指揮を執っていたのが吉田昌郎所長だった。昨年12月、吉田氏は食道ガンに冒されていることを公表し、所長を退任した。事故発生直後から取材に当たってきたジャーナリストの児玉博氏が吉田氏の思いを明かす。
吉田氏は3月上旬、東京・港区内にある大学病院を数名の看護師らに見送られて退院しました。昨年暮れからの入院期間は3カ月を越えていました。
現場からの信頼が厚い所長でした。特に地元で採用された作業員たちを大切にしていました。東電本店(本社)からやって来る社員たちに諭すように話していたそうです。
「子供の運動会でも、授業参観でも、元旦でもそれに出れないで働いている作業員がいるかに原発は動いてだよ。それで東電はもってんだよ。本店があるからもってんじゃないんだぞ」
事故後、本店にさまざまな要求を出しました。
免震棟の外壁を放射能を遮断する船で覆ってもらえないか。作業員が休む場所の空気清浄機をもっと高性能のものに取り替えてほしい。作業員らに危険手当てを出してほしい。
しかし、「検討してみる」「予算的に難しい」と判で押したような回答でした。その度に怒り、時に怒鳴っていたと聞いています。消耗している作業員らには、こう話していたそうです。
「福島の人たちが俺たちを見てるんだぞ。この土地をきれいにして福島の人たちに返さないといけないんだよ、俺たちは」
入院してからは、事故以後の記憶をたどり、現場で何が起こり、自分たちが何をし、何を目撃してたのか、未曽有の事態とどう闘ってきたのかを書き記し始めました。
食道ガンの摘出手術を無事に終え、自宅に戻った今は体力回復に努めつつ、記録をまとめる作業を続けています。
しかし、記憶を文字にする作業は困難を極めているそうです。記憶を呼び戻すたび、作業員らの顏、表情、声が蘇り、涙があふれ出てくるからです。
今、吉田氏には一つの望みがあります。
いつの日にか記録を出版し、その収益で基金を作り、福島のために使ってもらいたい。
福島第一原発を“My Planet”と呼んでいた彼にとって、それは、望みというより、責務と言い換えてもいいのかもしれません。-略-
「いつか絶対に福島に帰るから」
吉田氏にも、福島にも、春はまだ来ていないのです。」
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「岩崎夏海『もしドラ』作者が打ち明ける二度の“自殺未遂”」
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