磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

丸山真男話文集 1

2010年01月15日 | 読書日記など
『丸山真男話文集 1』
   丸山真男・著/丸山真男手帖の会・編/
     みすず書房2008年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「著者の没後に発掘、記録された、文章・講演・座談・インタヴューを収録。第1巻は「十九世紀以降欧洲社会思想史」「戦後日本の精神状況」など15編。[全4巻]」




「二十四年目に語る被爆体験 1969年8月」という表題の文章があった。

手帳は申請せず……。下「」引用。

「なお、丸山は本文中にもある通り、被爆者健康手帳交付の申請をしておらず、また原爆慰霊碑に納められる原爆死没者名簿にも名前は記されていない。そして、丸山の「香典類は固辞する。もし、そういった性質のものが事実上残った場合には、原爆被災者に、あるいは原爆被災者法の制定運動に寄付する」という遺志に従い、やむを得ず受け取った香典類は、遺族の手によって、丸山が設立以来賛助会員として協力してきた財団法人第五福竜丸平和協会に寄付された。
 初出『手帖』第六号、一九九八年七月。」

「1945年4月 丸山二等兵 船舶司令部参謀部情報班に配属」 下「」引用。

「--当時の所属は、暁部隊(陸軍船舶司令部の通称)ですね。
丸山 宇品の暁部隊に召集されまして、二カ月足らずの速成の暗号教育を受けたんです。普通、暗号教育は、六カ月かかるんですけども、戦局急になってきたんで、急遽養成して沖縄に送るということで、そこで中等学校卒業以上をピックアップして召集したんです。そこで、ひっかかったんだ。すでに初年兵教育を受けている人をねらい打ちしたもんですから、かなり少ないわけですよ。-略-」

反駁しない米国人。下「」引用。

「アメリカに行って、原爆に遭った話をすると、途端にみんな真剣になりますよね。寄って来ますよ。どうだ、どうだ、というので。こればっかりはね、アメリカ人共通のあれですね。相当右翼的な人でも、原爆の話をすると、イチコロですね。うーん、イチコロです。
 原爆について、日本がどんなに強い主張をしても、日本人が、われわれがどんなことを言っても反駁しませんね。かなりやってみましたけれども。日本人が、そう発言するのは、もっともだということは共通の認識ですね。だから、その点については、まだ自己主張が足りないのでしょうね。」

「丸山一等兵 米大統領「原爆投下」放送傍受」

迅速だったという。下「」引用。

「-略-情報班長が「お前は留守で残っていろ」と。それで、一人留守になっちゃったのです。そのとき出ていたら、もっと悲惨な光景を見ていたわけですけれども、まさに火が収まった直後、翌日の朝ですから。
 その日一日、兵隊が、生々しい死体を片付け、破壊の後片づけをやったところは全く知らないのです。僕が出たときには、少なくとも通り、大通り、つまり電車通りはきれいに清掃されていました。
 --迅速だったのですね。
丸山 迅速だったです。帰ってきた兵隊の話を……あの兵隊の中からも、相当放射能に当たって発病した人いるんじゃないでしょうか。直後ですから。話を聞いたところでは、救護順序としては、将官を第一にする。それから、市民。兵隊が最後なんです。兵隊は、もう絶対の被爆者、実にみじめだったでしょう。ほとんど放置されていた。すぐにはやれん。あとになるのですから。」

短波放送は将校しか聴けないことになっていたが、いなかったので、聴いたという。8月7日、トルーマンが、「歴史上最初の原子爆弾を投下した」と放送したのを聴いたという。

「8月9日、丸山一等兵ら被災地巡視」









index





エンタメ@BlogRanking





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。