『松井石根大将の陣中日誌』
松井石根・著/田中正明・編/芙蓉書房1985年
裁判にそなえた大将。下「」引用。
「-略-A級戦犯容疑者として松井に、GHQから逮捕状が発せられたのは昭和二十年十月十九日のことである。このとき松井は病気療養中のため、翌年三月、病気が回癒するまで入獄が延期された。松井は、その間病床にあって筆をとり、『支那事変日誌抜萃』(第三章参照)などともに本稿を起草し、裁判にそなえたものと思われる。
松井は本稿をタイプで八部作制したと書いている。(配布先不明)」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/5a/e5bedb661dacc462eb58e0792efe7411.jpg)
大久保暗殺された年生まれ……。下「」引用。
「松井が生まれた明治十一年という年は、明治維新終幕の大転換期であった。日本を二つに分けての大戦争であった西南戦争も終わり、大西郷は城山で討死にし、木戸孝允は病死し、そして大久保利通は暗殺された。時代は大きく移り変わろうとしていた。
父武圀(たけくに)、母ひさの六男として生まれた石根は、芋を洗うような大勢の男兄弟の中で育ったが、兄たちとちがって生来小柄で病弱であった。しかし向こう気だけが強かった。-略-」
在学中に日露戦争へ。下「」引用。
「日露戦争は、陸大在学中であったが、松井は名古屋の歩兵第六連帯の中隊長として出征した。しかも最初から有名な首山堡(しゅざんぼ)の激戦地に投げ込まれた。松井のひきいる中隊はほとんど全滅の惨劇に遭遇する。松井自身も大腿部に貫通銃瘡を負って斃れ、後送された。-略-
松井ものちにこの時の戦闘の功により、功四級金鵄勲章、勲五等雙光旭日章をうける。
戦傷も癒え凱旋した松井は、再び陸大に入り、恩賜の軍刀を拝受して首席で卒業する。-略-」
『昭和の聖将』と呼ばれたそうだ……。
支那事変が勃発し、現役へ。
--著者は、文藝春秋の雑誌「諸君!」の編集部の要請をうけ、『“南京虐殺”の虚構』出版。
米・英・ソの世界戦略の一端で、でっち上げられたというが、論理がボクには理解できない。
石原莞爾少将は反対した。下「」引用。
「この時の参謀本部第一部長は石原莞爾であり、陸相は杉山元大将である。杉山陸相は、天皇の支那事変に対する見通しのご下問に、「三カ月もあれば片付けることができると存じます」とご奉答している。中央の支那軍に対する人気はこんなていどであった。加えて石原少将は、支那本土への侵入は絶対反対の立場をとり、局地解決主義であった。-略-
松井大将のいうとおり、上海戦は、敵前上陸の時から悪戦苦闘の連続であった。加えて、上海付近の地形は、クリークが網の目のようにひろがっており、野砲以上の火砲は使用できないだろうという兵要地誌に対する判断の誤りがあり、日本軍は、戦車や大口径の装備が貧弱であった。
これに対する中国軍は張治中の指揮する約十万の兵力と、陳誠の指揮する約一八万、張発奎の指揮する約二万、計三○万が、馮王祥総指揮のもとに水濠の錯綜した地区に、堅固な陣地を構築して、わが方の攻撃に対して、頑強な抵抗を反復した。
空軍はもっぱらソ連製の飛行機であり、高射砲はドイツ製、機関銃はチェコ、カービン銃は日本にもない米国製といった調子である。-略-」
--暴行、略奪の原因。
1. 上海上陸以来の悪戦苦闘、敵愾心が強烈になっていた。
2. 補給の不完全。
リッペントロップが外相になるまで、反日的だったという。下「」引用。
「翌年の十三年二月、リッペントロップが外相に就任するまで、ドイツは援蒋反日政策をとっていた。下がって“南京事件”についても、ドイツの報告は極めて反日的である。」
侵略をしておいて……、反○○?
病床にいた大将、南京城攻略時。下「」引用。
「編集注 松井大将は十一、十二、十三日は病床に在りて指揮す。十四日平熱に復したる模様。」
大元帥陛下(天皇)より……。下「」引用。
「十四日、大元帥陛下より参謀総長を経て、軍将兵南京攻略に関し御語を賜ふ。一同感泣、直に全軍に令達すると共に奉答の辞を電奏す。」
訓令を出したという……。
見物す、二月十八日。下「」引用。
「小学校、博愛病院、中山公園などを見物す。-略-」
現状把握できた人が使う言葉なんだろうか?
戦犯七人の火葬のことが書かれてあった。ここまで書く必要があるのか疑問。何のために書いたのかも疑問。以下でわかる……。
お骨は七人のが交ざっており、誰のものかわからず……。東條勝子夫人がいったという。下「」引用。
「お骨はわけて頂いて持ち帰れば、朝夕のお供物や花香はもちろん、お佛壇は賑やかになりましょう。七軒のお仏壇が揃ってみなそうなれば、必ずや怪しまれます。どうでしょうか、一處倶楽会という言葉もございます。七人は一緒の窯で一緒にお骨になり、このようにどなたがどの骨かも分からなくなっています。これを無理に七等分しないで、松井様の『興亜観音』様のどこかに納めさせて頂き、私どもは時々ここにお拝りするようにしたらいかかでしょうか」
他の遺族もこの案に賛成した。」
短い文に、「佛檀」と「仏檀」のどちらもが使われてあった。
INDEX
怨念を怖がったマッカーサー? 下「」引用。
「マッカーサー元帥はじめ米軍の首脳たちは、このときはじめて、怨霊のおそろしさを知り、ふるえあがったという。
生き残ったウォーカー中将の副官が韓国将校から、A級七士の処刑とウォーカー中将をぬくむ七名の数的因縁、祥月命日の因縁の説明をうけ、佛家でいう怨霊のおそろしさと因果の神秘さを教えられた。これをきいて、おそれおののいた副官は怨霊を供養するために、「法要」をといなむつもりで、翌年五月、一人で興亜観音を訪れた。英語だけの会話で、同種伊丹忍礼師を困惑させた。-略-」
事実かどうかもわからないが、事実なら中将の副官たちは笑いものだろう……。
もし、そんな怨霊があるなら、東條たちはそもそももっと早死にしたであろう……。
オカルトで人を恫喝するも、ファシストの特徴だろう……。そういう人たちもいることだろう……。
--祟りという古い思想はかつてあったが、神道の思想では、祟り神では……。
国の中心におくものではないだろう……。
もくじ
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松井石根・著/田中正明・編/芙蓉書房1985年
裁判にそなえた大将。下「」引用。
「-略-A級戦犯容疑者として松井に、GHQから逮捕状が発せられたのは昭和二十年十月十九日のことである。このとき松井は病気療養中のため、翌年三月、病気が回癒するまで入獄が延期された。松井は、その間病床にあって筆をとり、『支那事変日誌抜萃』(第三章参照)などともに本稿を起草し、裁判にそなえたものと思われる。
松井は本稿をタイプで八部作制したと書いている。(配布先不明)」
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大久保暗殺された年生まれ……。下「」引用。
「松井が生まれた明治十一年という年は、明治維新終幕の大転換期であった。日本を二つに分けての大戦争であった西南戦争も終わり、大西郷は城山で討死にし、木戸孝允は病死し、そして大久保利通は暗殺された。時代は大きく移り変わろうとしていた。
父武圀(たけくに)、母ひさの六男として生まれた石根は、芋を洗うような大勢の男兄弟の中で育ったが、兄たちとちがって生来小柄で病弱であった。しかし向こう気だけが強かった。-略-」
在学中に日露戦争へ。下「」引用。
「日露戦争は、陸大在学中であったが、松井は名古屋の歩兵第六連帯の中隊長として出征した。しかも最初から有名な首山堡(しゅざんぼ)の激戦地に投げ込まれた。松井のひきいる中隊はほとんど全滅の惨劇に遭遇する。松井自身も大腿部に貫通銃瘡を負って斃れ、後送された。-略-
松井ものちにこの時の戦闘の功により、功四級金鵄勲章、勲五等雙光旭日章をうける。
戦傷も癒え凱旋した松井は、再び陸大に入り、恩賜の軍刀を拝受して首席で卒業する。-略-」
『昭和の聖将』と呼ばれたそうだ……。
支那事変が勃発し、現役へ。
--著者は、文藝春秋の雑誌「諸君!」の編集部の要請をうけ、『“南京虐殺”の虚構』出版。
米・英・ソの世界戦略の一端で、でっち上げられたというが、論理がボクには理解できない。
石原莞爾少将は反対した。下「」引用。
「この時の参謀本部第一部長は石原莞爾であり、陸相は杉山元大将である。杉山陸相は、天皇の支那事変に対する見通しのご下問に、「三カ月もあれば片付けることができると存じます」とご奉答している。中央の支那軍に対する人気はこんなていどであった。加えて石原少将は、支那本土への侵入は絶対反対の立場をとり、局地解決主義であった。-略-
松井大将のいうとおり、上海戦は、敵前上陸の時から悪戦苦闘の連続であった。加えて、上海付近の地形は、クリークが網の目のようにひろがっており、野砲以上の火砲は使用できないだろうという兵要地誌に対する判断の誤りがあり、日本軍は、戦車や大口径の装備が貧弱であった。
これに対する中国軍は張治中の指揮する約十万の兵力と、陳誠の指揮する約一八万、張発奎の指揮する約二万、計三○万が、馮王祥総指揮のもとに水濠の錯綜した地区に、堅固な陣地を構築して、わが方の攻撃に対して、頑強な抵抗を反復した。
空軍はもっぱらソ連製の飛行機であり、高射砲はドイツ製、機関銃はチェコ、カービン銃は日本にもない米国製といった調子である。-略-」
--暴行、略奪の原因。
1. 上海上陸以来の悪戦苦闘、敵愾心が強烈になっていた。
2. 補給の不完全。
リッペントロップが外相になるまで、反日的だったという。下「」引用。
「翌年の十三年二月、リッペントロップが外相に就任するまで、ドイツは援蒋反日政策をとっていた。下がって“南京事件”についても、ドイツの報告は極めて反日的である。」
侵略をしておいて……、反○○?
病床にいた大将、南京城攻略時。下「」引用。
「編集注 松井大将は十一、十二、十三日は病床に在りて指揮す。十四日平熱に復したる模様。」
大元帥陛下(天皇)より……。下「」引用。
「十四日、大元帥陛下より参謀総長を経て、軍将兵南京攻略に関し御語を賜ふ。一同感泣、直に全軍に令達すると共に奉答の辞を電奏す。」
訓令を出したという……。
見物す、二月十八日。下「」引用。
「小学校、博愛病院、中山公園などを見物す。-略-」
現状把握できた人が使う言葉なんだろうか?
戦犯七人の火葬のことが書かれてあった。ここまで書く必要があるのか疑問。何のために書いたのかも疑問。以下でわかる……。
お骨は七人のが交ざっており、誰のものかわからず……。東條勝子夫人がいったという。下「」引用。
「お骨はわけて頂いて持ち帰れば、朝夕のお供物や花香はもちろん、お佛壇は賑やかになりましょう。七軒のお仏壇が揃ってみなそうなれば、必ずや怪しまれます。どうでしょうか、一處倶楽会という言葉もございます。七人は一緒の窯で一緒にお骨になり、このようにどなたがどの骨かも分からなくなっています。これを無理に七等分しないで、松井様の『興亜観音』様のどこかに納めさせて頂き、私どもは時々ここにお拝りするようにしたらいかかでしょうか」
他の遺族もこの案に賛成した。」
短い文に、「佛檀」と「仏檀」のどちらもが使われてあった。
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怨念を怖がったマッカーサー? 下「」引用。
「マッカーサー元帥はじめ米軍の首脳たちは、このときはじめて、怨霊のおそろしさを知り、ふるえあがったという。
生き残ったウォーカー中将の副官が韓国将校から、A級七士の処刑とウォーカー中将をぬくむ七名の数的因縁、祥月命日の因縁の説明をうけ、佛家でいう怨霊のおそろしさと因果の神秘さを教えられた。これをきいて、おそれおののいた副官は怨霊を供養するために、「法要」をといなむつもりで、翌年五月、一人で興亜観音を訪れた。英語だけの会話で、同種伊丹忍礼師を困惑させた。-略-」
事実かどうかもわからないが、事実なら中将の副官たちは笑いものだろう……。
もし、そんな怨霊があるなら、東條たちはそもそももっと早死にしたであろう……。
オカルトで人を恫喝するも、ファシストの特徴だろう……。そういう人たちもいることだろう……。
--祟りという古い思想はかつてあったが、神道の思想では、祟り神では……。
国の中心におくものではないだろう……。
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