『ライブラリー・環境問題 環境と人体』
原田正純・著/世界書院2002年
著者は長年水俣病を見つめてこられた医学の学者のようです。
1990年より熊本学園大学社会福祉学部福祉学科教授をされているようです。
この本は生理学的なことも教科書的なことが書かれてあります。
知っていることが多く、すらすら読めました。
その分野の知識がない人には読みづらいかもしれないとも思いました。
公害のことも、あまりにも広い範囲のことが書かれてあり、
消化不良になること間違いなし。
この方の講義を受けてこその教科書かもしれないと思いました。
しかし、この著者の学者としての信念は多くの人に知っていただきたい。
特に学者の卵の方には読んでいただきたいと思いました。
以下は引用です。
「それに応えるために私は環境問題研究の基本を次のように考えたい。それは私の水俣はじめ現場を実際に歩き回った結果からくるものである。
第一に先に述べているように「バリアフリー(境界不鮮明)の学問」であると考える。学閥、学会や専門領域をこえて研究することが必要である。とくに重要なことはいわゆる「専門家」といわゆる「素人」の壁をこえていく学問、市民を巻き込んだ学問と考える。真の専門家は素人と言われる人の知恵から学ものであるという信念を持っている。それは実際、環境問題を取り組む中で素人と言われた人の方が正しかったことをしばしば経験したからである。
第二には「現場を重視する学問」である。問題の真実も解決策も全て現場にある。とくに環境問題は現場から学ぶことが必要不可欠である。現場を離れたために立派な仕事をしてきたその道の専門家が現実が見えなくなった事例をいくつか経験している。
第三に「いのちを大切にする学問」である。新潟水俣病の時、胎児性患者を出さないために子どもを産まないように指導した。また、ベトナムでは多発する先天異常児のために早期発見の技術を求めていた。環境の研究はいのちを抹殺するためのものではないことは明らかである。しかも障害の存在を否定する学問であってはならない。
第四に「弱者の立場に立つ学問」である。公害の被害者は常に弱者であった。胎児、乳幼児、老人、病者など生理的な弱者、社会的に弱い立場にある人々に被害が集中する。したがって、一方に権力があり、一方に被害者があるとき科学的(学問的)中立とは弱者の立場(反権力)に立つことである。
第五に「独立した自由な学問」である。環境問題は時に国策と対立することがある。したがって、権力にとりこまれることなく、自立・独立しなければならない。そのためには時には権力と激しく対立することも必要である。全てに何でも反対するものではないが、緊張関係を権力と保つことが学問を堕落させない一つの重要なことである。
本書は多岐にわたっているため個々の事件に就いて概略を述べただけになっている。したがって、当時者にとっては不満が残るに違いないし、彩りこぼした事例や問題も多い。しかし、本書が若い人にとってほんのささやかであるが環境学の新しい出発点(入門書)になれれば幸いである。」
もくじ[環境問題]
原田正純・著/世界書院2002年
著者は長年水俣病を見つめてこられた医学の学者のようです。
1990年より熊本学園大学社会福祉学部福祉学科教授をされているようです。
この本は生理学的なことも教科書的なことが書かれてあります。
知っていることが多く、すらすら読めました。
その分野の知識がない人には読みづらいかもしれないとも思いました。
公害のことも、あまりにも広い範囲のことが書かれてあり、
消化不良になること間違いなし。
この方の講義を受けてこその教科書かもしれないと思いました。
しかし、この著者の学者としての信念は多くの人に知っていただきたい。
特に学者の卵の方には読んでいただきたいと思いました。
以下は引用です。
「それに応えるために私は環境問題研究の基本を次のように考えたい。それは私の水俣はじめ現場を実際に歩き回った結果からくるものである。
第一に先に述べているように「バリアフリー(境界不鮮明)の学問」であると考える。学閥、学会や専門領域をこえて研究することが必要である。とくに重要なことはいわゆる「専門家」といわゆる「素人」の壁をこえていく学問、市民を巻き込んだ学問と考える。真の専門家は素人と言われる人の知恵から学ものであるという信念を持っている。それは実際、環境問題を取り組む中で素人と言われた人の方が正しかったことをしばしば経験したからである。
第二には「現場を重視する学問」である。問題の真実も解決策も全て現場にある。とくに環境問題は現場から学ぶことが必要不可欠である。現場を離れたために立派な仕事をしてきたその道の専門家が現実が見えなくなった事例をいくつか経験している。
第三に「いのちを大切にする学問」である。新潟水俣病の時、胎児性患者を出さないために子どもを産まないように指導した。また、ベトナムでは多発する先天異常児のために早期発見の技術を求めていた。環境の研究はいのちを抹殺するためのものではないことは明らかである。しかも障害の存在を否定する学問であってはならない。
第四に「弱者の立場に立つ学問」である。公害の被害者は常に弱者であった。胎児、乳幼児、老人、病者など生理的な弱者、社会的に弱い立場にある人々に被害が集中する。したがって、一方に権力があり、一方に被害者があるとき科学的(学問的)中立とは弱者の立場(反権力)に立つことである。
第五に「独立した自由な学問」である。環境問題は時に国策と対立することがある。したがって、権力にとりこまれることなく、自立・独立しなければならない。そのためには時には権力と激しく対立することも必要である。全てに何でも反対するものではないが、緊張関係を権力と保つことが学問を堕落させない一つの重要なことである。
本書は多岐にわたっているため個々の事件に就いて概略を述べただけになっている。したがって、当時者にとっては不満が残るに違いないし、彩りこぼした事例や問題も多い。しかし、本書が若い人にとってほんのささやかであるが環境学の新しい出発点(入門書)になれれば幸いである。」
もくじ[環境問題]