『岐路にたつ原子力-平和利用と安全性をめざして-』
David E.Lilienthal(著)/古川和男(訳)/日本生産性本部1981年
現場を本当に知らなかったのか?
知ろうとしなかったのか?
--「公害と原発のあるところに民主主義はない」
この言葉が正しいと僕は確信している……。
権威主義的な著者……。下「」引用。
「良かれ悪しかれ、私はアメリカの原子力政策を確立した人々のなかの一人である。日本に原子爆弾が落されてから間もない一九四六年、私がわが国最大の発電事業体であるTVA(テネシー渓谷開発公社)の総裁であったころのことである。私は大統領と国務省から、原子力と核兵器の国際管理に関するアメリカの政策を立案するための特別委員会の委員長となるように委嘱された。そしてその直後に、トルーマン大統領によって、私は新しく発足した文官制の「アメリカ原子力委員会」(USAEC)の初代委員長に指名され、一九五○年初めまで在任した。その後の私は一市民として暮らしており、利害関係についての疑問をさけるために、原子力開発に関係するいかなる公約、あるいは私的なグループへも協力や参加はしていない。しかし、私は折にふれては、原子力政策について、批判も混じえつつ発言してきている。私は原子力平和利用の初期における推進者ではあったが、核廃棄物処分その他の原子力の危険性についての警告を初めて出した者の一人であり、一九六三年には、ニューヨーク市のクイーンズ地区に原子力発電所を設置するという提案に、反対の意志を表明した。
私は、私の生涯のすべてをエネルギー開発に捧げてきている。最初は、エネルギー開発が地域的河川管理と水力発電を意味した時期に、TVAの創始者の一人ついで総裁としてであり、次がAEC(原子力委員会)の委員長としてであった。」
民主主義と権威主義は一致しない。
--権威のかわりは、知識あるいは博愛が、民主主義である。
この人も一部分はファシスト(反民主主義)といっていいのではないか?
有言実行も困難なものである……。
--立場がよくなればなるほど……。
一部・反原子力で先見性はあったかもしれない……。下「」引用。
「私は“反原子力”運動家の草分けのようなものである。一九六三年に、私は原子力発電の安全性に公式に挑戦する講演を、プリンストン大学で行なった。私はのちにこれに手を加えて『変化、希望そして爆弾(Change, Hope, and the bomb)』という本を出した。その中で私は、アメリカにおける「原子力発電所の急激な増加」は、「アメリカをおおうもっとも醜悪な雲の一つである」と掲揚した。AECの初代委員長が「軽水炉路線は“向こう見ずな”方針である」と公式に批判したことは、見のがされるはずもなかった。私の無謀な発言について、政府と原子力会は手荒な対応を示した。
その当時は、私の考えを示してくれる人々は少ししかおらず、「憂慮する科学者連盟(UCS)」も、大規模な抗議デモもなかった。現在では多くの疑問が出され、反対運動は大規模かつ広範にわたり、声も高い。スリーマイル島が口火を切った抗議の嵐は、突然の恐怖による反応ではない。それは、長いプロセスを経た結果である。」
しかし、スリーマイル島原発事故後も、推進派……。下「」引用。
「核戦争の不安に比べれば、原子力発電の危険などは取るに足りない。にもかかわらず、原子力の平和利用についての議論は、まったく別の問題である核兵器の脅威と混同され、それでなくても、すでに十分に重大で複雑な問題が、さらに難解で複雑になるという困難な状況にある。
このような混同は、むりもないと思われることもあるが、見え透いたセンセーショナリズム、あるいは醜いデマであることもある。原子力反対論者のなかには、小悪(原子力発電所の異常による放射線)をつぶせば、巨悪(原爆)がなんらかの理由で軽減される、とでも信じている人がいるかのようである。」
この人は、ただ単にガス抜きをする役目だったのか?
--そんなことさえも思えてくる……。
事実かどうかはわからないが……。
index
スリーマイル島の事故分析も甘い……。下「」引用。
「スリーマイル島の原子炉では、操作ミスのために、大量の冷却水が原子炉建屋家に流出した。この水からの放射能除去が必要であるが、それには何か月もの期間とかなりの費用が必要であり、浄化作業を行う人々に一定の放射線被爆の危険がつきまとう。しかしこの作業には大きな技術的障害はなく、化学的除染すなわちろ過は、永い実績がある通常の工業的プロセスである。」
国家的に隠蔽されたものを知るのは困難である。
--操作ミスではないだろう……。
その他の科学を総合しても、原子力は人類が扱えるシロモノではないという高木仁三郎が現在では正しいことだろうと思う。
もくじ
そして、その後にはチェルノブイリ事故があった。
目 次
--もはや、原発事故も小さなものではないことが予測してもらいたいものだ……。
あれでも、かなり幸運だったのではないか?……。
しかし、グローバルに隠蔽されたので事実かどうか把握するのは困難だけど……。
index
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INDEX
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David E.Lilienthal(著)/古川和男(訳)/日本生産性本部1981年
現場を本当に知らなかったのか?
知ろうとしなかったのか?
--「公害と原発のあるところに民主主義はない」
この言葉が正しいと僕は確信している……。
権威主義的な著者……。下「」引用。
「良かれ悪しかれ、私はアメリカの原子力政策を確立した人々のなかの一人である。日本に原子爆弾が落されてから間もない一九四六年、私がわが国最大の発電事業体であるTVA(テネシー渓谷開発公社)の総裁であったころのことである。私は大統領と国務省から、原子力と核兵器の国際管理に関するアメリカの政策を立案するための特別委員会の委員長となるように委嘱された。そしてその直後に、トルーマン大統領によって、私は新しく発足した文官制の「アメリカ原子力委員会」(USAEC)の初代委員長に指名され、一九五○年初めまで在任した。その後の私は一市民として暮らしており、利害関係についての疑問をさけるために、原子力開発に関係するいかなる公約、あるいは私的なグループへも協力や参加はしていない。しかし、私は折にふれては、原子力政策について、批判も混じえつつ発言してきている。私は原子力平和利用の初期における推進者ではあったが、核廃棄物処分その他の原子力の危険性についての警告を初めて出した者の一人であり、一九六三年には、ニューヨーク市のクイーンズ地区に原子力発電所を設置するという提案に、反対の意志を表明した。
私は、私の生涯のすべてをエネルギー開発に捧げてきている。最初は、エネルギー開発が地域的河川管理と水力発電を意味した時期に、TVAの創始者の一人ついで総裁としてであり、次がAEC(原子力委員会)の委員長としてであった。」
民主主義と権威主義は一致しない。
--権威のかわりは、知識あるいは博愛が、民主主義である。
この人も一部分はファシスト(反民主主義)といっていいのではないか?
有言実行も困難なものである……。
--立場がよくなればなるほど……。
一部・反原子力で先見性はあったかもしれない……。下「」引用。
「私は“反原子力”運動家の草分けのようなものである。一九六三年に、私は原子力発電の安全性に公式に挑戦する講演を、プリンストン大学で行なった。私はのちにこれに手を加えて『変化、希望そして爆弾(Change, Hope, and the bomb)』という本を出した。その中で私は、アメリカにおける「原子力発電所の急激な増加」は、「アメリカをおおうもっとも醜悪な雲の一つである」と掲揚した。AECの初代委員長が「軽水炉路線は“向こう見ずな”方針である」と公式に批判したことは、見のがされるはずもなかった。私の無謀な発言について、政府と原子力会は手荒な対応を示した。
その当時は、私の考えを示してくれる人々は少ししかおらず、「憂慮する科学者連盟(UCS)」も、大規模な抗議デモもなかった。現在では多くの疑問が出され、反対運動は大規模かつ広範にわたり、声も高い。スリーマイル島が口火を切った抗議の嵐は、突然の恐怖による反応ではない。それは、長いプロセスを経た結果である。」
しかし、スリーマイル島原発事故後も、推進派……。下「」引用。
「核戦争の不安に比べれば、原子力発電の危険などは取るに足りない。にもかかわらず、原子力の平和利用についての議論は、まったく別の問題である核兵器の脅威と混同され、それでなくても、すでに十分に重大で複雑な問題が、さらに難解で複雑になるという困難な状況にある。
このような混同は、むりもないと思われることもあるが、見え透いたセンセーショナリズム、あるいは醜いデマであることもある。原子力反対論者のなかには、小悪(原子力発電所の異常による放射線)をつぶせば、巨悪(原爆)がなんらかの理由で軽減される、とでも信じている人がいるかのようである。」
この人は、ただ単にガス抜きをする役目だったのか?
--そんなことさえも思えてくる……。
事実かどうかはわからないが……。
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スリーマイル島の事故分析も甘い……。下「」引用。
「スリーマイル島の原子炉では、操作ミスのために、大量の冷却水が原子炉建屋家に流出した。この水からの放射能除去が必要であるが、それには何か月もの期間とかなりの費用が必要であり、浄化作業を行う人々に一定の放射線被爆の危険がつきまとう。しかしこの作業には大きな技術的障害はなく、化学的除染すなわちろ過は、永い実績がある通常の工業的プロセスである。」
国家的に隠蔽されたものを知るのは困難である。
--操作ミスではないだろう……。
その他の科学を総合しても、原子力は人類が扱えるシロモノではないという高木仁三郎が現在では正しいことだろうと思う。
もくじ
そして、その後にはチェルノブイリ事故があった。
目 次
--もはや、原発事故も小さなものではないことが予測してもらいたいものだ……。
あれでも、かなり幸運だったのではないか?……。
しかし、グローバルに隠蔽されたので事実かどうか把握するのは困難だけど……。
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