『PHP文庫 原爆が落とされた日』
半藤一利、湯川豊(著)/PHP研究所1994年
半藤一利さんらしい作品といっていいかと思います。“菊のカーテン”のことなど、一般の者ではわからなかったことも書かれてありました。
理研の仁科博士に、陸軍から原爆開発の依頼があったという。
仁科博士はニルス・ボーアの弟子であり、ボーアのシステムをとりいれていたという。
永井隆博士は、この理研に行かれたことも書かれてあります。
学問を真剣にとりくまれていたことを永井博士はかいておらました。
アメリカでも、原子爆弾の開発。
シカゴ大学冶金研究所アーサー・H・コンプトン博士は、ワシントンに呼ばれたという。
そして、プルトニウムの抽出を研究することになる。
その翌日、真珠湾攻撃。
科学者たちは、ドイツが原爆をつくり、アメリカに落すかもしれないと恐怖したという。
仁科博士も、「馬鹿な戦争」をはじめたものだと、アメリカとの国力の差で思っていたようです。
アメリカの原爆開発は、イギリスからもやってきます。
いろいろな国の学者が協力します。
原子力研究所は「ノーベル受賞者の強制収容所」と学者たち。
アメリカの暗号名OP-16-Wのメンバーは、日本の分析をきちんとしたようです。
これまでの日本の歴史を研究して、“最後の一兵卒まで”ということはないと考えていたという。
日本には、戦争終結をめざす工作グループが存在したという。
しかし、そんなことはゆるさない、言論統制がひかれていた……。
天皇は質素な生活をされており、一番のお気に入りは、皇后みずからが宮城内の野草での手料理。
「菊のカーテン」というのが書かれてありました。
ちょっと複雑です……。
皇族さえも天皇に近づけない方針になっていたという。
御前会議の田舎芝居と著者は書かれています。
国民だけでなく、天皇にも本当のことを伝えなかったようです。
また、松代大本営に移ることは天皇自身が拒否されていたようです。
海軍は京大グループの湯川秀樹博士などに、原爆の開発を。
しかし、会議を一度開いただけという。
和平についてアメリカのジャーナリズムは伝えていたことは、他の本でも書かれていました。
日本の政治がよく書かれている本といっていいと思います。
INDEX
半藤一利、湯川豊(著)/PHP研究所1994年
半藤一利さんらしい作品といっていいかと思います。“菊のカーテン”のことなど、一般の者ではわからなかったことも書かれてありました。
理研の仁科博士に、陸軍から原爆開発の依頼があったという。
仁科博士はニルス・ボーアの弟子であり、ボーアのシステムをとりいれていたという。
永井隆博士は、この理研に行かれたことも書かれてあります。
学問を真剣にとりくまれていたことを永井博士はかいておらました。
アメリカでも、原子爆弾の開発。
シカゴ大学冶金研究所アーサー・H・コンプトン博士は、ワシントンに呼ばれたという。
そして、プルトニウムの抽出を研究することになる。
その翌日、真珠湾攻撃。
科学者たちは、ドイツが原爆をつくり、アメリカに落すかもしれないと恐怖したという。
仁科博士も、「馬鹿な戦争」をはじめたものだと、アメリカとの国力の差で思っていたようです。
アメリカの原爆開発は、イギリスからもやってきます。
いろいろな国の学者が協力します。
原子力研究所は「ノーベル受賞者の強制収容所」と学者たち。
アメリカの暗号名OP-16-Wのメンバーは、日本の分析をきちんとしたようです。
これまでの日本の歴史を研究して、“最後の一兵卒まで”ということはないと考えていたという。
日本には、戦争終結をめざす工作グループが存在したという。
しかし、そんなことはゆるさない、言論統制がひかれていた……。
天皇は質素な生活をされており、一番のお気に入りは、皇后みずからが宮城内の野草での手料理。
「菊のカーテン」というのが書かれてありました。
ちょっと複雑です……。
皇族さえも天皇に近づけない方針になっていたという。
御前会議の田舎芝居と著者は書かれています。
国民だけでなく、天皇にも本当のことを伝えなかったようです。
また、松代大本営に移ることは天皇自身が拒否されていたようです。
海軍は京大グループの湯川秀樹博士などに、原爆の開発を。
しかし、会議を一度開いただけという。
和平についてアメリカのジャーナリズムは伝えていたことは、他の本でも書かれていました。
日本の政治がよく書かれている本といっていいと思います。
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