龍の声

龍の声は、天の声

「減塩にスプレー調味料」

2015-04-29 11:10:30 | 日本

薄味を基調とする京料理に古くから使われてきた液状の塩「水塩(みずしお)」が近年、スプレー式のボトルに入って売られている。少量でも満遍なく吹き付けられるため、健康意識の高まりを受け、スプレーしょうゆのように減塩につながると好評である。塩こうじ、塩レモンと塩味の調味料のブームが続く中、スプレー塩の利用が広がるか注目される。

水塩に昆布などのうまみを加えたスプレー調味料「昆布の水塩」を販売する大阪・心斎橋筋の昆布海産物製造販売の老舗、松前屋によると、水塩はしょうゆが普及する以前に調味料のように用いられ、室町時代後期の長享3(1489)年の料理書「四条流包丁書」に、海水を煮詰めて作る調理法がみられる。

昆布をメーンにシイタケやかつお節などのうまみを利用し、少ない塩分でもおいしく食べられる。スプレーボトルを採用したことで、むらなく味付けできる。用途は卓上しょうゆの代わりやおにぎりの手塩、ドレッシング、肉・魚の下ごしらえなど。中華や洋食にも合い、料理の仕上げに使える。
 塩分濃度が15%の商品の場合、1回のプッシュの塩分量が0.03グラムなので塩分量をプッシュ回数で簡単に調整できる。家族の健康状態に合わせて調整でき、塩分を控えたい人にお勧めである。

減塩ニーズが強まる背景には、高齢化の進展に伴う健康意識の高まりと、生活習慣病の脳卒中や心筋梗塞につながりかねない高血圧の予防への関心がある。日本人の食塩摂取量は1日約11グラムと世界的にも多く、減塩が国民的な課題ともなっている。

ただ、今のところ塩こうじや塩レモンのブームには及ばない。使い方が分かりづらく、なかなか定着しなかった。

ステーキにソルトとガーリック、ペッパーをプッシュしたり、サラダにソルト、バルサミコ酢、バジルなどを組み合わせたりすることで、自分好みに調整して楽しめる。












「知覚動考」

2015-04-29 11:09:44 | 日本

松本守正さんが「知覚動考」について述べている。



「知覚動考」「知覚考動」というフレーズがある。

知って覚える。
ここまでは同じ。

「知覚考動」というのはふつうよく考えてから行動すること。と解釈されているようだが、私に言わせれば考えてその結果動けなくなる。という意味だと思う。

「知覚動考」は知って覚えてまず動いてみる。
考えるのはそれから・・・ということ。

多くの人は考えすぎ。
考えすぎて動けなくなる。
「まずはちょっとやってみるか!」という精神になろう。

最初に動いてみなければ自分の行こうとしている道がどんな状況かわからない。
まず藪を突っついてみる。それで蛇が出てきたら、それを避ける方法を考えればいい。

まずやってみること。
考えすぎる人の心理は失敗したくないと思う。それでは壁など乗り越えようがないし、乗り越えたという実績がないから自信がつかない。

自信がないからなおさら動けなくなるそれで止まってしまうのが知覚考動。

それでは未来は切り開いていけない。

最初から自信のある人なんていない。

まず動く。壁にぶつかる。それを乗り越える。
そこで初めて自信がつく。

だから自信の大きさは、どれだけ自分が動いてどれだけの壁を乗り越えてきたかという、実践と実績の大きさのこと。
それがその人の実力になり知恵になる。

結局は行動するパワーのある人、自分の夢を実現させることに執念を燃やす人、失敗を恐れずに行動できる人、つまり「知覚動考」 の人間が成功するのである。










「心を耕す読書」

2015-04-29 11:09:02 | 日本

菅家一比古さんから、「心を耕す読書」のブログが送られてきた。
以下、要約し記す。



以前、電車の中で多くの人々が何某(なにがし)かの本を読んでいる風景があってた。外国人が日本を訪れ、その光景に驚嘆していたほどである。

しかし、その光景は一変した。本を読んでいる人は稀(まれ)で、多くの場合が今や携帯やスマホである。ある時、目の前に座っていた人々全員がそうであった。

現在(いま)、若者世代がスマホに講じる時間はどの位だろうか。その時間、家族との関り合いはできず、読書や勉強、思索、内省、反省も中断している。 即ち「心を耕す」時間が無い。

昔、『書を捨て町に出よう』という文学作品があり、映画化されたのを記憶している。その当時、若者たちが勉強に明け暮れ、人との関り合いが希薄になって、現実から遠のいたのだと思う。そういう時代もあった。

しかし未だ人を思いやる心は濃厚だった。社会問題にも敏感だった。多分、読書の力の影響である。どんなに劣悪な生活環境に置かれても、読書だけはその環境から解き放ってくれ、自らを新しい違う世界へと誘(いざな)ってくれる。

子どもの頃、読書で悲しみ、嘆き、夜、家族に知られないように布団を被ってよく泣いていた。時には血沸き、肉踊るような読書もあった。現在(いま)、若者世代はどこで、どのように人の悲しみや痛みに心を寄せ涙する「心の田畑」を耕す時間ができるのか。

いまの世相、若者たちの心が崩れて行っているように思えてならない。「さあスマホを捨て本を読み家族と居よう」と、言いたくなるのである。










「喧嘩片成敗」

2015-04-29 11:08:20 | 日本

「喧嘩片成敗」大人の喧嘩は「先に110番したほうが勝つ」理由について述べる。


自分は殴り合いの喧嘩とは無縁だと考えている人は多いだろう。しかし刑事弁護に詳しい長谷川裕雅弁護士によると、「大人の喧嘩の多くは、喧嘩しそうにない普通の方が当事者になっている」という。

多い事例の一つは、タクシー運転手とのトラブル。酒に酔った乗客が運転手と喧嘩になるパターンである。酔ってタクシー内で寝込んでしまった場合、「目的地で運転手に揺り動かされた瞬間、防衛本能で思わず手を出してしまうことがある。この場合にタクシー運転手が警察に通報すると、飲酒している乗客が圧倒的に不利になる」
酔ってタクシーに乗り、目が覚めたら警察官に囲まれていたということのないように、お酒の飲み方には十分に気をつけたい。

交通トラブルにも要注意である。車外に出ると、何もしなくても、相手が「突き飛ばされた」と言い出したりする恐れもある。相手が医師の診断書を取れば、何もしていなくても、傷害の容疑者とされてしまう可能性もある。このようなトラブルに慣れている“プロ”も存在する。挑発されても車外には出ずに、車内から携帯電話で警察に通報したほうが安全だろう。

このように、ストレス社会では、些細な火種に端を発し喧嘩に発展することも多い。たかが小競り合いでも、暴力は立派な犯罪である。相手に暴力をふるうと暴行罪(刑法208条)。相手に怪我を負わせたら傷害罪(刑法204条)で、15年以下の懲役または50万円以下の罰金という法定刑が待ち構えている。

「手を出したのはお互いさまだから大丈夫」と油断していると危ない。「喧嘩両成敗」は中世日本の法原則の一つだったが、現代の法律においては、大人の喧嘩に両成敗という考え方は存在しない。

「お互いに手を出したなら、理論上は2人とも加害者であると同時に被害者である。ところが警察は、そのように判断しない。どちらか一方が加害者、もう一方が被害者というわかりやすい構図に当てはめて事件を片づけようとするので、実態はお互いさまでも、どちらか一方だけが加害者にされることもある」

相手も手を出したのだから正当防衛だ、という抗弁も通用しない。正当防衛は、急迫不正の侵害に対して自分や他人の権利を守るためにやむをえず行う行為をいう(刑法36条)。最初に向こうから暴力をふるわれたら正当防衛が成り立ちそうだが、「相手に怪我を負わせた時点では怪我を負わせたほうが優位だったとみなされ、切羽詰まった状況ではなかった、すなわち急迫性はなかったと判断される可能性が高い」では、実際には何によって加害者/被害者が決まるのか。鍵を握るのは110番通報だ。「警察は、通報した側が被害者であるという予断を持って現場に駆けつける。そのためどちらかが血を流して倒れているといった明白なケースでないかぎり、そのまま通報者を被害者、通報しなかった人を加害者とみなして事件の処理に入る。どっちもどっちの場合は結局、先に通報したほうが圧倒的に有利になる傾向がある」逆に相手に先に通報されると厄介である。現場で警察官に「こちらが被害者だ」と主張しても、なかなか聞き入れてもらえないこともある。被害届を出すことは可能だが、受理を渋られたり、相手への報復目的で制度を悪用していると受け取られて不利に働いたりする可能性もある。加害者のレッテルを一度貼られると、後から覆すのはなかなか困難である。身を守るためには、先にこちらが通報するしかない。

「もし先に相手に通報されたら、すぐに弁護士に連絡することも一つの方法。うまくいけば、こちらから被害届を出すなどして、被害者、加害者の構図をくつがえせることもある」







「チャンスの神様」

2015-04-29 11:07:34 | 日本

松本守正さんのブログ「チャンスの神様」についてを紹介する。

どんな仕事も考え方、取り組み方、心構えで結果が違ってくる。
考え方とはーどういう判断を下していくか。
取り組み方とはーどういう風にこの仕事を捉えていくか。
心構えとはーどういう風に受け止めていったか。
正しい判断、正しい捉え方、正しい受け止め方をしていかなければ、違う結果がでる。

せっかくチャンスと出会っても、チャンスを生かすことが出来ない。
やはり並の人生を送る人というのは、

・チャンスに気付かない。
・チャンスを捉える事ができない。
・チャンスを捉える事ができても生かす事が出来ない。

ここで成功する人生と並みの人生とに別れてく。

人生の中で誰もにチャンスは3回訪れると言われる。

チャンスはチャンスの顔をしていない。
そしてチャンスの神様は前髪しかないのでしっかりつかんでもらいたい。
あとはそのチャンスを生かして欲しい。

「もうだめだ」と思うのも自分。
「よし頑張るぞ!」と思うのも自分。


挑戦とはそんな自分の心と戦うこと。

「よし頑張ろう」と思う日々の連続が夢の実現へと一歩一歩近づいていく。

さぁ!今日もがんばろうー!







「ハッピーエイジング」

2015-04-29 11:06:51 | 日本

松本守正さんのブログ「ハッピーエイジング」について紹介する。


誰もが素敵に年を重ねていきたいと思っている。
特に女性はそうかもしれない。
暦の年齢は誰にも止めれないですが肉体的・精神的年齢で見た目年齢は随分違ってくる。

精神的若さを保つ6つの条件は

1.生きがいをもつ
2.何事にも情熱をもつ
3.ユーモアを忘れない
4.ストレス解消法をもつ
5.若い人達と一緒にいる
6.オシャレをする

一生は25億秒!
秒に直すとなんだかとても短い。
「女性の品格」という本がベストセラーになったが、品格を落とすのは簡単である。
でも品格を身に付けるのは難しい。
「50代になっても、60代になっても、70代になっても、いくつになっても、謙虚さと品格を忘れない女性は少女のようにチャーミング。
私にとってはチャーミング=色気のある女性なんです。」
とは元タカラジェンヌの真矢みきさんの名言である。
年齢を重ねるごとに経験や豊かなこと、楽しいことがどんどん増えていくから、アンチエイジング改めハッピーエイジングでいきましよう。











「喜ばれる老人になる十か条」

2015-04-29 11:06:12 | 日本

1。服装や身なりをきちんとする。
2。よい趣味をもち、新しい知識を学ぶ。
3。おしゃべり、おせっかい、悪口をやめる。
4。子供が成長したら早く独立させる。
5。自分の信仰・信条を押し付けない。
6。自分本位に考えずに、他人のことを想う。
7。孫の教育は、その親にまかせる。
8。心から語りあえる友をもつ。
9。若い人とつきあい、時代に遅れないようにする。
10。仕事を頼まれたら手伝ってあげる。










「運勢」

2015-04-29 11:05:34 | 日本

松本守正さんが「運勢」について話している。



運勢とは、運の勢いと書く。
運は与えられる物ではなく、自分でつかみとるもの。

では、どうやってつかめば良いのか。
心と思いでつかんでいくのである。
世の中にはチャンスは沢山転がっている。
ただそれに気付くか気づかないかが問題だ。
運も同じで自分はついていると思っていると、運は必ずついてくる。
勢いとは、行動と数である。
鉄砲水の如く、水の勢いと数である。
竜巻は気圧の変化と風力の数による。
大変な事が起こる。
大変とは、大きく変わるという意味である。

勢いは奇跡を起こす。
貴方の人生に奇跡をおこそう!













「独り人でいてもの寂しくない男たれ」

2015-04-29 11:04:52 | 日本

栗澤順一 は言う。
「独り人でいてもの寂しくない男たれ」と!

飲酒歴が長い私は、大の宴席好き。大勢で賑やかに、また仲のいい友人とサシでじっくりと、頻繁に盃を重ねている。そんな私もいまだに苦手なのが、酒場での一人飲み。他のお客さんに「一人で飲んでいて寂しい人だな。」と思われているようで、周りの目が気になる。また、店内の喧騒の中、一人で佇む自分を寂しく感じてしまう。その結果どうにも落ち着かず、自然と飲むスピードが速くなってしまい、早々に退散してしまう羽目になる。

だが、寂しさを受け止めるということは、自分と向き合うこと。そうすることで、内面を豊かにすることができる。そのために実は一人でいる「孤独」の時間がとても大切である。

一人でいる。寂しいという感情を肯定的に捉える。寂しさが成功のためのエネルギーを生み出す。

よく考えると不思議なものである。「嬉しい」「楽しい」「悲しい」・・・。感情を表す言葉形はたくさんあるが、普段、誰かに「寂しい」と伝えることはあまりない。相手にネガティブなイメージを与えてしまうので、使うのを避けてしまうのかも知れない。

諸事情で会社に足を運べず、引きこもりになったとしても、悲観することはない。

寂しくても、一人でいても恥ずかしがることなんかない。









「女傑 中島成子女史とは」

2015-04-29 07:38:27 | 日本

朽木寒三著『馬賊と女将軍―中島成子大陸戦記』の中には、以下の事が記されている。

中島成子女史は栃木県に生まれ、ナイチンゲールの赤十字精神に心を打たれて看護婦を志し、満州に渡る。

やがて富裕な満州人・韓景堂と結婚し、子をもうける。しかし、当時の中国では一般的だった「正妻と妾が一つ屋根の下で同居する」という生活様式が、純真一途な成子には納得できなかった。

あるとき中国人の妻かつを、日本人ということで、中国人農民の陳情を関東軍につなげ、問題を解決してしまった。軍は成子の立場とパーソナリティーに注目し、中国人の懐柔役として、成子を軍の嘱託とした。

以後、おそらく成子は、日本人と中国人の軋轢を押さえ、無駄な戦いで相応の貴い命が失われることが、少しでも減るようとの「赤十字的博愛精神」から、中国人馬賊らの帰順工作に従事していくのである。

「日本の大陸侵略は絶対悪」という歴史観からすれば、成子は絶対悪の手先となって、中国人をたぶらかしたにすぎない、ということになろう。

しかし、ただ「たぶらかす」人間を、何千、何万という、”人を信じることを知らない”中国人が、どうして信じ、帰順の働きかけに応ずるだろうか。成子は帰順した中国人に仕事を与え、生活の糧を得られるようにする、今のハローワークのようなミッションに献身した。

日本人と中国人、戦争のただなか、日本人は中国人を虫けらのように扱い、中国人は日本人を蛇蝎の如く嫌う。しかし成子は両者を隔てなく愛そうとした。成子には韓との間に生まれた子がいた。子供はただの中国人でも、ただの日本人でもない。

両者の血、両者の文化、両者の伝統を受け継いだ「中日人」なのだ。そのような子供を持った成子の母性愛は、中国人だけ、日本人だけを大切に扱いえなかった。

成子は、帰順工作に出かけるとき「丸腰」だったという。信頼(丸腰)していかなければ、信頼(帰順→武装解除)してもらえない、という信念からだった。

様々な工作を成功させ、成子は女ながら、日本軍において少将格の扱いを受けるようになる。日本のための最後の仕事が、なんと、延安を拠点にする毛沢東率いる中国共産党との終戦工作だったという。

実際に、成子は毛沢東に会うため延安に向かい、途中、共産党軍につかまるものの、自らのミッションを話し、工作は進展の方向性にあった。

結局、日本軍のある軍人の裏切りと日本の終戦によって工作自体は失敗に終わる。

その後、国民党軍につかまり、戦犯として中国内で拘留・裁判を受け、結局12年間を中国の獄中ですごすことになった。成子は非を認めれば罪一等減ずる、といった誘いを受けながら、自分は何ら悪いことはしていない、と自らの罪を認めなかった。

それは実に本音であったのだと思う。成子はすべて、自らの良心、あるいは本心の声に従って、工作に従事したのだと思う。たとえ成子を利用した者達の魂胆が、良からぬものであったとしても。

成子は、見方によっては、とんでもない脳天気な人間である。しかし日本人には(日本人に限らないのかもしれないが)、時に、このような政治に係わりながらも、全く非政治的な純粋な人格が現れる。いうまでもない、西郷隆盛である。そのような存在が現れ、歴史の表舞台で活躍しうる。奇跡と言って良いほどである。