中央公論に「日本維新の会党首橋下徹大阪市長の賞味期限」の文章が掲載されていた。この文章は、昨年の春から今日までの世論の支持評価の動きがよくわかる。あれ程の「飛ぶ鳥落とす勢い」が、なぜ急激に今はなくなったのか。
以下、要約し記す。
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結党から1年が過ぎた日本の会が苦境を迎えている。党の看板政策である「大阪都」構想の是非を争った9月の堺市長選で敗北し、地元大阪では負け知らずの「不敗神話」は崩壊した。6月の東京都議選、7月の参院選と不振続きで、党勢退潮は明らかだ。
10月12日、橋下共同代表(大阪市長)は、東京都内のホテルで開かれた党の政策研修会で、堺市長選の敗因について、「維新も既成政党と認識された。無党派層に働きかける力が弱くなった」と分析した。
「メディアの寵児」ともてはやされた橋下氏の発信力にも陰りが出てきたようだ。橋下氏の市役所登退庁時に記者が取り囲む「ぶらさがり取材」。テレビカメラが常に五台以上も待ち構え、橋下氏の一挙手一投足を追いかけていたが、10月15日以降は代表撮影の1台だけに変わった。取材の効率化が表向きの理由だが、テレビ各社が自前の映像にこだわらなくなった背景には、“商品価値”の下落があるという。ある在阪テレビ局関係者は「発言の注目度が薄れ、(視聴率の)数字が取れなくなってきた。そろそろ賞味期限切れかな」と指摘した。
日本維新の会は昨年9月、橋下氏が代表を務める地域政党・大阪維新の会を母体に、国会議員7人が加わって発足した。同12月の衆院選では54議席を獲得して自民、民主両党に続く第3党に躍り出た。ところが、今年5月、いわゆる従軍慰安婦を巡る橋下氏の発言が批判を招いたことをきっかけに急速に勢いを失った。読売新聞社の世論調査によると、衆院選時に10%だった維新の会の支持率は、10月時点で2%にまで落ち込んでいる。
過激なフレーズで「改革」を訴え、先行きに閉塞感を抱く有権者から「ふわっとした民意」を集める手法は、大阪府知事選、市長選で成功を重ねた橋下氏の勝利の方程式だった。「発信力」を最大の武器にしてきた橋下氏が自らの発言でつまずいただけに、「お口でのし上がった人は、お口で失敗する」(みんなの党・渡辺喜美代表)などと容赦ない批判が加えられた。ただ、橋下氏の慰安婦発言よりも、政治、経済状況の変化が維新の会の退潮に大きく影響しているとの指摘もある。
衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」で、「決められない政治」が続くことに失望した民意は、7月の参院選で安倍政権に過半数を与えた。アベノミクス効果で景気は上向き、2020年の東京五輪開催も決まった。安定感を増す安倍政権を前に、「現状打破」を求める人の受け皿として台頭してきた維新の会の存在意義は揺らぎつつある。
堺市長選の敗北で、橋下氏の原点とも言える大阪都構想の実現に黄信号がともったのも懸念材料とされている。今後は、堺市を除く大阪府と大阪市で都構想の手続きを進めることになるが、目標とする2015年春の都制移行のためには、大阪市内を5~7の特別区に分割する区割り案をまとめ、来年秋にも予定される大阪市での住民投票で過半数を得なければならない。区割り案の決定には府議会、大阪市議会の承認が必要だが、維新の会が過半数を握っていない市議会では、都構想反対の自民、民主、共産各党が攻勢を強める構えだ。中立の立場を取る公明党の対応次第では、住民投票にすら進めない可能性があり、橋下氏は10月12日の党執行役員会で「大阪での活動に専念したい」と述べ、当面は都構想の実現に注力する考えを表明した。橋下氏の「大阪回帰」が進めば、国政での求心力低下は避けられず、橋下氏が主導した形での野党再編の動きは失速を余儀なくされそうだ。
維新の会は、橋下氏が都構想を成し遂げた後に国政に打って出るというシナリオを描き、野党勢力を結集する新党結成を模索してきた。だが、堺市長選の結果を受け、新党結成を目指す民主党議員は「橋下氏のカリスマ性が否定された。維新の会が再編の核になるのは難しくなった」と述べ、再編枠組みの見直しを口にした。
党本部を大阪に置き、国会議員ではない橋下氏や松井幹事長(大阪府知事)が司令塔となる異例の形態も、橋下氏の求心力低下で機能不全に陥る可能性が高くなっている。石原共同代表は10月8日のBS日テレの番組で、「政党としての存在感を示すためには東京での活動が中心になる。このままでは地域に埋没する政党にしかならない」と述べ、党本部の東京移転を提案した。維新の会生き残りは、人気頼みの「橋下個人商店」から脱却できるかどうかが最大の課題となるだろう。