龍の声

龍の声は、天の声

「聖経『甘露の法雨』解釈⑥」

2013-07-21 11:59:51 | 日本

「人間」


吾は『真理』なり、『真理』より遣わされたる天使なり。『真理』より照りかがやく『光』なり、迷を照破する『光』なり。吾は『道』なり、吾が言葉を行うものは道にそむかず。
吾は生命なり、吾に汲む者は病まず死せず。吾は救いなり、吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相 の国土に住せしむ。

天使かくの如く説き給えば 天の童子また重ねて問う。
『師よ、人間の本質を明かになし給え。』

天使答えたまわく
人間は物質に非ず、肉体に非ず、脳髄細胞に非ず、神経細胞に非ず、血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず。それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。

汝ら、よく人間の実相を悟るべし、人間は霊なり、生命なり、不死なり、神は人間の光源にして 人間は神より出でたる光なり。光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く 人間と神とは一体なり。

神は霊なるが故に 人間も亦霊なるなり。神は愛なるが故に 人間も亦愛なるなり。神は知恵なるが故に 人間も亦知恵なるなり。

霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、されば、霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし。

まことの人間は、霊なるが故に、愛なるが故に、知恵なるが故に、生命なるが故に、罪を犯すこと能わず、病にかかること能わず、死滅すること能わず、罪も、病も、死も、畢竟汝らの悪夢に過ぎず。

汝ら生命の実相を自覚せよ。汝らの実相たる『真性の人間』を自覚せよ。『真性の人間』は神人にして 神そのままの姿なり。

滅ぶるものは『真性の人間』に非ず。罪を犯すものは『真性の人間』に非ず。病に罹るものは『真性の人間』にあらず。

地上の人間よ、われ汝らに告ぐ、汝ら自身の本姓を自覚せよ。
汝ら自身は『真性の人間』にして、そのほかの如何なるものにも非ず。

されば人間は真理の眼より見る時は 罪を犯す事能わざるものなり、病に罹る事能わざるものなり、滅ぶること能わざるものなり。

誰か云う『罪人よ、罪人よ』と。神は罪人を造り給わざるが故に この世に一人の罪人もあらず。
罪は神の子の本性に反す、病は生命自身の本性に反す、死は生命其自身の本性に反す、
罪と病と死とは、畢竟存在せざるものを夢中に描ける妄想に過ぎず。

実相の世界に於ては 神と人とは一体なり、神は光源にして 人間は神より出でたる光なり。

罪と病と死とが 実在すると云う悪夢を、人間に見せしむる根本妄想は、古くは、人間は塵にて造られたりと云う神学なり。近くは、人間は物質にて造られたりと云う近代科学なり。これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり。この最初の夢を摧破するときは 罪と病と死との 根本原因は摧破せられて その本来の無に帰するなり。

汝ら『生長の家』を読んで真理を知り病の癒ゆるは この最初の夢の摧破せらるるが故なり。
最初の夢なければ 次の夢はなし。悉く夢なければ本来人間清浄なるが故に 罪を犯さんと欲するも 罪を犯すこと能わず、悉く夢なければ自性無病なるが故に 病に罹らんと欲するも 病に罹ること能わず、悉く夢なければ本来永生なるが故に死滅すること能わず。

されば地上の人間よ 心を尽して自己の霊なる本体を求めよ、これを夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ。
キリストは 『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。

誠に誠にわれ汝らに告げん。
『汝らの内』とは汝ら『人間の自性』なり、『真の人間』なり。『汝らの内』即ち『自性』は神人なるが故に『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。外にこれを追い求むる者は夢を追いて走る者にして永遠に神の国を有る事能わず。物質に神の国を追い求むる者は夢を追うて走る者にして永遠に神の国を建つる事能わず。

キリストは又云い給えり、『吾が国は此の世の国にあらず』と。此の世の国は唯影にすぎざるなり。
常楽の国土は内にのみあり、内に常楽の国土を自覚してのみ外に常楽の国土は其の映しとして顕現せん。内に無限健康の生命を自覚してのみ 外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん。人間の五官はただ『映しの世界』を見るに過ぎず。『映しの世界』を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて迷の汚点を除かざるべからず。

われ誠に物質の世界の虚しきを見たり、物質の世界が影に過ぎざることを見たり。われまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。肉体はただ心の影なる事実を見たり。
汝ら、物質は移りかわる影にすぎざること 恰も走馬灯に走る馬の如し。されば、影を見て実在となすことなかれ。

人間真性はこれ神人、永遠不壊不滅の霊体にして 物質をもって造り固めたる機械にあらず、また物質が先ず存してそれに霊が宿りたるものにもあらず、斯くの如き二元論は悉く誤れり。
物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るには非ずして、蚕が先ず糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿るが如し。
人間の真性は先ず霊なる生命にして 心の糸を組み合せて肉体の繭を造り その繭の中にわれと吾が霊を宿らせて、はじめて霊は肉体となるなり。
汝ら明かに知れ、繭は蚕に非ず、然らば肉体は人間に非ずして、人間の繭に過ぎざるなり。時来らば蚕が繭を食い破って羽化登仙するが如く、人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん。

汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿れ。
人間は生命なるが故に 常に死を知らず。想念に従い 時に従い 必要に従いて 肉体と境遇とに様々の状態を顕せども、生命そのものは病むに非ず、生命そのものは死するに非ず、想念を変うることによって よく汝らの健康と境遇とを変うること自在なり。

されど汝ら、ついに生命は肉体の繭を必要とせざる時至らん。
かくの如きとき、生命は肉体の繭を食い破って 一層自在の境地に天翔らん。これをもって人間の死となすなかれ。人間の本体は生命なるが故に 常に死することあらざるなり。

かく天使語り給うとき、虚空には微妙の天楽の声聞え 葩は何処よりともなく雨ふりて、
天の使いの説き給える真理をば さながら称うるものの如くなりき。


(聖経終)


願わくは此の功徳を以て普ねく一切に及ぼし、
我等と衆生と皆倶に実相を成ぜんことを。



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