今、映画館で上映している映画「「ミッドウェー」、是非観ていただきたい。
もしミッドウェー海戦で日本がアメリカに勝利していたならば確実に世界の地図が変わっていた。それも、わずか5分が勝敗の分かれ目となったのである。ミッドウェー海戦について、よくよく学ばねばならない。各種文献を紐解き学ぶ。
ミッドウェー海戦とは?1942年6月5日から6月7日にミッドウェー島付近で起こった、日本海軍とアメリカ海軍の戦いです。
1941年12月の真珠湾攻撃から連戦連勝を重ねた日本海軍は、山本五十六(やまもといそろく)率いる戦艦「大和」をはじめ、主力部隊で臨みます。対するアメリカは寄せ集めの部隊で、整備員など人員も不足していました。
日本が圧倒的優位な状況に見えましたが、アメリカは「暗号解読」という技術で立ち向かってきます。無線を傍受し、攻撃を事前に把握して迎撃準備を整えていました。
さらに失敗も重なって、日本海軍は敗戦。主力空母4隻のほか多くの航空艦載機を失う大損害を負います。
これ以降、第二次世界大戦の主導権はアメリカに奪われたことから、ターニングポイントの戦いともいわれています。
◎ミッドウェー海戦における日本の敗因は?山本五十六と南雲忠一
この海戦で日本海軍はさまざまな失敗を重ねていましたが、主な敗因として挙げられるのは、目的が曖昧だったことでしょう。主な目的が、敵の空母を攻撃することなのか、それともミッドウェー島を攻略することなのか明確にされておらず、このことが現場に大きな混乱を招きました。
そして決定的なのが、連合艦隊司令長官の山本五十六。アメリカ海軍の動きがきわめて活発になり、敵の空母がミッドウェー方面に出てきたことなど重要な情報を機動部隊に知らせず、敵の空母を発見した際もただちに攻撃する命令をくだしませんでした。
さらに作戦は希望的観測にもとづいたシナリオで、燃料の補給なども軽視。またアメリカ側に開戦前から暗号を解読されていて、攻撃日時、戦力の配備などが筒抜けで、対策をとられてしまいました。
またもうひとつ、「運命の5分間」というものがあります。
日本の空母3隻がアメリカ軍から急降下爆撃を受けた際、まさに日本の空母からも魚雷を積んだ攻撃機が飛び立とうとしていました。「あと5分あれば攻撃機は発進でき、日本の空母が攻撃されることはなかっただろう」ということです。
これは、当時第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介(くさかりゅうのすけ)が1949年に発表した文章で広まった説ですが、アメリカ軍の攻撃を受けた際にはまだ発進の準備は整っていなかったとする者もいて、「運命の5分間」は抽象的な意味だといわれています。
◎ミッドウェー海戦でもし日本が勝っていたら
連合艦隊司令長官の山本五十六は、この海戦で勝利した後ハワイを攻略し、その後講和に持ち込みたいと考えていました。
しかし、もし仮に日米の早期講和が実現したとしても、日露戦争終結時よりさらに条件を緩和しなければならなかったでしょう。そうなると講和は決裂し、再び戦争になる可能性があったと考えられます。
また日本が勝利した場合、戦争推進派だったルーズベルトは失脚。その後の日米関係は大きく変わっていたのではないでしょうか。それにともない、中国や韓国など近隣諸国との関係も今とは異なっていただろうことが予想されます。