菅家一比古さんから「言霊の華」が来た。
以下、要約し記す。
⇒
本モノはキラキラしている。
この頃あちこちで聞く言葉に「ワクワクドキドキすることをやる」と言うのがある。それはきっと心が喜ぶことを選択するという意味だろう。それは間違っていないと思う。ただ一つ言いたいことは、泥棒だって痴漢だって「ワクワクドキドキ」でやっているかもしれない。
登山家が何故、山に登り続けるのか。アスリートが何故、辛い思いをして競技に挑戦し続けるのか。野球少年もサッカー少年も好きで始めたのか。好きで始めたはずのものが、そのプロセスでどれだけ厳しい練習、訓練が待ち受けていることか。茶道も華道も書道もそうである。その厳しいプロセスの中から「鋭い喜び」が生じる。
この「鋭い喜び」は魂に直結した証拠である。私のお山登拜も、日々の禊もそうである。このように文章を書くのも、書物を読み研究活動をするのもそうである。魂から来る鋭い喜びがあるからである。
実はそれは「鎮魂」あってのこと、「鎮魂」伴ってのこと。鎮魂のため、辛いプロセスを経て、愈々本モノに近づいていく。これが地に着いた「ワクワクドキドキ」なのである。
安易に考えてはいけない。最初、嫌で嫌で仕方なかった営業活動が、お客様や上司の評価や実績を打ち立てることで、遂に営業のプロとなり、皆から尊敬され輝いている人は多くいる。最初から「ワクワクドキドキ」などしていない。
鎮魂が進んだ人は何事にも感動し、ワクワクドキドキできる。そしてこれらの人の特長は「キラキラ」している。ギラギラではなくギトギトでもない。キラキラしている人こそ本モノなのである。