龍の声

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「エマヌエル・スヴェーデンボリとは、」

2016-09-14 06:54:25 | 日本

エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。スヱデンボルグとも。しかし多くはスウェーデンボルグと表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。


◎生涯

父イェスペル・スヴェードバリ(Jesper Swedberg)は、ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物である。その次男としてストックホルムで生まれる。11歳のときウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により王立鉱山局の監督官になる。31歳のとき貴族に叙され、スヴェーデンボリと改姓。数々の発明、研究を行ないイギリス、オランダなどへ頻繁にでかける。

1745年、イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、以後神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版した。ただし、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するが、王室の庇護により、回避された。神秘主義者への転向はあったものの、その後国会議員にまでなった。スヴェーデンボリは神学の書籍の発刊をはじめてからしばしばイギリスに滞在した。1771年の夏にロンドンに旅し、その地で翌1772年3月29日に没した。

神学・神秘主義思想 スヴェーデンボリの神学論は伝統的な三位一体を「三神論」であるとして退け、キリスト教では異端とされるサベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難した、とするものである。但し聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。神の汎神論性を唱え、その人格性を大幅に後退させており、旧来のキリスト教とは性格的・構造的に相違がある。聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。

スヴェーデンボリが生前公開しなかった『霊界日記』において、聖書中の主要な登場人物使徒パウロが地獄に堕ちていると主張したり、ダビデを「ドラゴン」と呼び彼も地獄に堕ちているとしたり、同様にプロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンが地獄に堕ちたと主張した。だが、非公開の日記であるので、スヴェーデンボリが自身で刊行した本の内容との相違点も多い。この日記はスヴェーデンボリがこの世にいながら霊界に出入りするようになった最初の時期の日記である為、この日記には、文章の乱れや、思考の混乱等も見られる。主イエスの母マリアはその日記に白衣を着た天国の天使としてあらわれており、「現在、私は彼(イエス)を神として礼拝している。」と発言している。
スヴェーデンボリが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、ストックホルム大火事件、もう一つはスウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件である。

スヴェーデンボリは聖書中に予言された「最後の審判」を1757年に目撃した、と主張した。然し現実世界の政治・宗教・神学上で、その年を境になんらかの変化が起こったとは言えないため、「安直である」と彼を批判する声もある。
スウェーデンボリによる霊界の描写は、現代人に起こる臨死体験と共通点が多いとされる。両者に共通する点は、広大なトンネルを抜ける体験や光体験、人生回顧や時空を超えた領域を訪れる体験などである。



「スウェーデンボルグの死後の世界」

彼の生きた時代は、近代スピリチュアリズムを1世紀さかのぼる18世紀です。スウェーデンボルグは霊的な能力を発揮し始める以前に、人望厚い科学者として、押しも押されもしない専門的地位と社会的名声を築いていました。その彼が56歳のときに幽体離脱体験をするようになりました。そして幽体離脱の状態で、100回以上にわたって霊界を見てくることになったのです。

彼は晩年、こうした自分の体験を16冊の大著に書き記しました。科学者としての丹念な分析と論理性を持った死後の世界観は、それまでのキリスト教の考えを根本から覆すような画期的なものでした。それは死後の世界を初めて科学者の目を通して研究したもので、人類思想史上、大きな足跡を残しました。その内容は、今日のスピリチュアリズムと比較しても大枠で一致します。ただ時代的影響は免れえず、その貴重な体験と見事な分析にもかかわらず、キリスト教思想の影響がかなり残っており、今一つ正確さに欠けるきらいがあります。

スウェーデンボルグのような体験(*幽体離脱しての霊界訪問)は、現在では“臨死体験”として世間一般にも知られるようになりました。臨死体験は、特殊な人間に生じる特殊な現象、きわめて稀な現象として考えられています。しかし実は大半の人間が、睡眠中に毎晩のように臨死体験をしているのです。ただ起きてから、その体験中の記憶を思い出せないだけのことなのです。そうした人間に催眠術をかけてみると、睡眠中の体験を思い出すようなことがあります。

スウェーデンボルグの場合は、彼自身に優れた霊能力があったということ以外に、背後霊によって記憶が失われないように配慮されていたため、覚醒後、睡眠中に訪れた霊界の様子を詳しく記述することが可能になったものと思われます。

「スウェーデンボルグの死後の世界」 (ブルース・ヘンダーソン・著  鈴木泰之・訳  たま出版  1994年刊)
◎天界に行くか地獄に行くかを決定するものは、あなたが自分の人生の中で「何を行なうか」ではなく、「なぜそうするのか」である。
◎天界でも地獄でも、あることを考えながら、しかもそれと違うことを行なうといった分離した心を持つことは許されない。基本的に善であるどんな間違いや悪も、次第に天界の真理と情愛に入れ替わってゆきます。
 生活と愛を通して地獄を選んだ人には、これと逆のことが起こります。


◎この世で固めてしまった性格を、死後に変えることはできません。あなたの愛したものがあなたを定めており、死後何か他のものを愛そうとするなら、あなたの生命に反してくるからです。

◎どの人も、霊としての外側と内側を持っている。霊の外側とは、その世界で他人と付き合ってゆくために適応させる自分の身体(特に顔つき・話し方・態度)である。けれども霊の内側とは、その人固有の意図とその結果としての思考であって、これはめったに顔つき、話し方、また態度の中に明らかとなるものではない。人は子供のときから、自己固有の意図から考えることを隠して、友情・親切・誠実を装うことに慣らされている。そこで、習慣の問題として、自己の内面がどのようなものか気にもしないで、外面では道徳や市民生活を身につける。この習慣が、人の中に深く隠れているものや外面的なものに対するその人の意図について無知であることの源泉となっている。

◎この世の極悪人ですら、外面的には賞賛に値する生活を送るでしょう。付き合いをよくし、親切にし、宗教儀式をおろそかにせず、よい評判を得ようとします。殺人を犯した者が「善良な人物」と見なされていたことを何度も聞いたことが有るでしょう。
 このように、外側の生活は衣服を着るようなものであって、とうてい本当のその人を示すものではありません。内部の人である本当のその人が、天界あるいは地獄に自分のためにすでに用意されている住まいを見つけるのです。
この世では、自分の本当の気持ちを偽ることが容易にできます。来世では不可能です。

◎スウェーデンボルグは、天界に行くか地獄に行くかを決定するものは、あなたが自分の人生の中で「何を行なうか」ではなく、「なぜそうするか」である、と説明しています。

◎(私たちの「内部の記憶」とでもいうべき「生命の書」が)他界で開かれ、それに従って裁かれる。人はほとんどこのことを信じることができないが、まったく本当のことである。
その人にとって明確でなかった目的であっても、またその人が考えたことも、すべてのものが、その人の話し行なったあらゆるものと一緒になって、最も些細なことまでもその書の中にあり、そして主が許されるときにはいつでも、天使たちの前で白日の下に晒されるかのように、その書に内容が明らかにされる。このことは何度も私たちに示され、少しの疑いも残らないほど多くの経験で立証されている。

◎スウェーデンボルグは、「主が最後の審判について予告されたとき、働き以外のものは調べない、また、よい働きをなした者は永遠の生命に入り、悪い働きをなした者は永遠の刑罰に入る(マタイによる福音書25章32~46)、と表明された(中略)」と言っています。

◎最も高潔な人でさえ、ときどき心の中で「決してだれも気がつくはずがない」と考えて、地獄の誘惑を感じることがあります。ともすればこれは、私たちみんなを「自分は善人でない」と感じさせてしまいます。しかし、私たちの心に浮かんでくるものについて私たちに責任はなく、ただ私たちの生活の一部に選び取ったものについてだけ私たちに責任がある、と聖書は教えており、スウェーデンボルグがこれを確証しています。

◎れも悪の生活に対する罰としてあなたを地獄に送り込むことをしません。人はただ自分が本当に地獄に行きたいから地獄に行くのです。自分の選んだ生活が地獄にあるから、地獄に行きたいのです。そこが故郷だからです。

地獄は、嘘つき、泥棒、人殺し、姦淫する者、詐欺師など、他人を傷つけることを平気でやって、自分を満足させる人々の故郷です。(中略)
神がたえず私たちを天界に引き上げようとなされている間、地獄はたえず私たちを引きずり込もうとしています。
あざむき、嘘つき、他人を傷つけるといった、私たちが悪いと知っていることを行なうとき、特にこれらを何の良心のとがめもなく喜んで行なうとき、地獄に味方し、地獄を自分に引き寄せています。(中略)

地獄に行く人たちはこの世で地獄への道を歩み始める、ということにスウェーデンボルグは同意します。彼らはもっぱら自己中心の生活を送ることでこの道を歩み始めます。