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「中国5000年の歴史と韓国4500年の歴史の摩訶不思議」

2016-09-09 06:37:13 | 日本

日本の歴史のはじめは、神武天皇即位の年を日本の紀元ととしている。神武天皇は西暦前660年にあたる辛酉年(かのととりのとし)に即位し、前585年に127歳で崩御したといわれている。

これに対して、中国は5000年の歴史(黄帝神話)、韓国は4500年の歴史(檀君神話)といわれている。

何だかおかしいとは思わないか?
この点について考察する。



◎中国は5000年の歴史?

岡田英博著『中国文明の歴史』を中心にして、中国の人口の増減の実例をみる。

中国文明は、4000年の歴史ではなく、紀元前221年の秦の始皇帝の統一にはじまる2000数百年の歴史である(それ以前は、神話や借史の時代)。
但し、国としてみるならば、まだ100年にも満たない国が、中華人民共和国である。

さて、王莽は新という王朝をはじめたが、ことごとく失敗した。その直前の紀元2年に、中国史上の最初の人口統計が記録にあらわれた。『漢書』の「地理志」に残る人口、五千九百五十九萬四千九百七十八人という数である。この数字は、それ以後千年以上も、この約六千万人というレベルに達することができなかったので、繁栄の結果の人口過剰状態を示している。

最初の人口大変動があったのは、後漢の光武帝によって再統一された37年までの間で、戦乱と飢餓のために千五百万人になり、75%も激減してしまったという。

さらに黄巾の乱によって後漢が滅亡した。黄巾の乱より40年前、140年の後漢の人口は四千九百十五万二百二十人だったが、それから半世紀後の魏、呉、蜀、三国の戦乱の世の中では、実に十分の一以下に激減してしまったという。これは古い漢民族の事実上の絶滅と、周辺の北アジアからの新しい血液の流入による新中国人の出現である。この新しい血をもった新しい漢族たちは「北族」といわれている。

この北族(旧北族)も、1276年のモンゴル族の元帝国によって滅ぼされた。1644年から1912年に満州族の清が滅びることによって「新北族」の天下も終わり、今の中華民国 →中華人民共和国の中国になったのである。


◎歴史の始まり・・・檀君神話・古朝鮮

古朝鮮を建国した檀君に関する記録は高麗(高句麗)時代の高僧・一然(イルヨン)の書いた「三国遺事」に詳しく書かれている。

昔々、天の国に住んでいた桓因(ファニン)の息子の桓雄(ファヌン)は、天の下の人間の世を気にしていた、父が息子の気持ちを察して、下界をながめて見ると、人間の世を作っても良さそうな気がしたので、桓雄に天の息子の証”天賦印”を与えて下におりて治めることを許した。父の許可を得た桓雄は3000人の配下を連れて太白山(テベク山)の神壇樹に降りてきた、そこが神市である、と壇君神話は始まります。

しかし、古朝鮮の第一代の王は桓雄ではなく壇君です。壇君はまだ生まれていません、どのようにして生まれてくるのでしょうか。

桓雄が世を治めているとき、毎日人間になりたいと心からお祈りをしている虎と熊が同じ洞窟に住んでいました。毎日、お祈りをする虎と熊を見て、二匹の動物にひとにぎりのヨモギとにんにく20個を渡して、桓雄は「それを食べて100日間太陽の光を避ければ人間になれる」といいました。しかし、虎は我慢できずに飛び出してしまった。熊は言いつけを守りきれいな女性に変わりました。しかし、熊の祈りはそこで終わりませんでした。女になった熊は、毎日、神壇樹の下で、子どもを生めるようにして下さいと祈り続けました。そこで、桓雄は男に変身してその熊女(ウンニョ)と結婚し、子どもが生まれました。その子が檀君です。

檀君は紀元前2333年に平壌(ピョンヤン)を都にして、国名を朝鮮と呼びました。日が昇るところ、という古代の朝鮮語で、アサダルの漢字表現です。古朝鮮という名称は李成桂[イ・ソンゲ、太祖(テジョ)李氏朝鮮(りしちょうせん1392年 - 1910年)の始祖] が朝鮮王朝を建てたため、後に二つを区別するために檀君の朝鮮を古朝鮮と呼ぶようになりました。

古朝鮮の開国が紀元前2333年というのは重要です。それは韓国の年号である檀紀をかぞえるとき用いる年度であり、今年(2006年)は檀紀4338年記なります。韓国の歴史が始まって今年で4338年目になったという意味。
しかし、檀君は単に人の名前ではないという事実も注目に値します。個人を指す固有名詞ではなく、普通名詞です。祭政一致社会、シャーマンの王として政治権力と宗教の権力とを同時に持っていた意味をもつ一般名詞です。古朝鮮は政治と宗教が一致していた社会であったことが分かります。

檀君はその後、1500年間、朝鮮を治めて、アサダルの山に入り、山の神になったといわれます。そのとき1908歳だったそうです。とここまでが、「三国遺事」の記録です。

神話が事実か否かはそれほど重要ではありません。神話が存在する理由は、その民族の象徴であり、意味であるからです。『檀君神話』は、天の神の息子がこの地に降臨してきて、宇宙の木である神壇樹の前でこの世を創り、人々と共に生活する話です。そのハイライトは結婚式です。天があり、地があり、植物を代表する宇宙の木があり、動物を代表する熊がいる。その間に人がいる。全ての宇宙が集まって宴会をするのが、結婚式。この結婚から檀君が生まれる。現代を生きるわれわれがそのような全宇宙の美しい祝福を受けて生まれてきたということを伝えている話です。
檀紀(檀君紀元)とは、「三国遺事」で伝えられる檀君(タングン)の朝鮮建国を称える年号のこと。「三国遺事」以下、各種史料では建国年次が一定していなかったが、1485撰述の「東国通鑑」が「唐堯の即位25年・戊辰」と特定して以来、紀元前2333年建国という認識が定着するようになった。
檀紀は、日本からの独立を果たした大韓民国で公用紀元として採用された年号で、檀君(タングン)の朝鮮建国と伝えられる前2333年を元年とし、陰暦10月3日を開天節と定めている。1961年まで用いられたが、1962年の憲法改正(第三共和制)の際に、西暦に改められた。


◎朝鮮国の始祖とされる檀君

韓国で10月3日というと、「開天節」という名の国民の祝祭日となっています。
この日はどういう日かというと、朝鮮民族の始祖とされる壇君(タンクン)が、朝鮮王朝を建国したとされる日(日本でいうこところの建国記念日のようなもの)です。

この檀君という人物は、親が桓因(ファンイン)という万物の支配者の子にあたる「桓雄(ファンウン)」です。
この桓雄が、天帝から使わされて、支那と満州との国境にある白頭山に降り立った。

で、その白頭山には、虎と熊の夫婦がいた。
桓雄は、夫の虎を追い払い、祭壇の上で熊女(ウンニョ)を犯して子を儲けた。
その子が檀君で、祭壇の上で授かった子だから「檀君」と呼ばれるようになった。

檀君は、神の血と熊の血がまじったとても強くて立派な大人に育ち、支那の堯帝が即位して50年目のときに、白頭山を後にして平壤にやってきて、そこを都と定め、その国を朝鮮と呼んだ。
これが朝鮮のはじまり、とされています。

この平壌を都に定めた年が、紀元前2333年(いまから4344年前)の10月3日で、だから朝鮮半島では、この日を起点とする檀君紀元(西暦+2333年)が、昭和36(1961)年まで使用されていました。

そしてこの檀君は、周の武王が即位した年に、箕子(キジャ)が朝鮮の統治者として周からやってきたときに、支那人から隠れて山の神となった。
このとき、檀君の年齢は1908歳であったとされています。

北朝鮮では、平成5(1993)年に、平壌でこの檀君の骨が見つかったと発表し、また韓国では、国定教科書で檀君の存在を「史実」として子供達に教えているのだそうです。

なぜ「史実」なのかというと、韓国の歴史が非常に長いことを示すためなのだそうで、それが教育指導要領になっている。

そして日本では一部の学者が、古事記、日本書紀に出てくる天孫降臨の瓊々杵尊(ニニギノミコト)とは、この檀君の父親である桓雄のことであり、檀君というのが神武天皇である、などと馬鹿げた主張をしている者がいるのだそうです。

ところがこの檀君、史記や三国史記などの支那の史書には、まったく登場せず、初めて朝鮮の歴史書に登場するのが、なんと寿命が1908歳というのも、誰がどう考えても異常です。

加えて韓国では、この檀君が、1287年に朝鮮半島で編纂された「帝王韻紀」という書物に記録があるというのだけれど、その書は残念ながら現存していません。

現存する書籍で、檀君の名が初出するのは「桓檀古記(かんだんこき, 朝: 환단고기)という書物で、この本は、超古代からの朝鮮半島の歴史を詳細に書き綴ったものです。

けれどこの本は、書いたのが桂延壽という人で、最初に出版されたのが明治44(1911)年です。
現行版の「桓檀古記」は、昭和24(1949)年に書かれたもので、出版が昭和54(1979)年です。

そして内容をみると、清の嘉慶5年(1800年)に命名された「長春」という地名の表記があったり、男女平等、父権など、近代になってから登場した社会用語がそのまま使用されている等、笑っちゃうくらい、明らかに20世紀に入ってから作られた偽書であることが確実視されている。

要するに、明治にはいり、日本が韓国を併合(日韓併合、明治43年)した後、コリアンの桂延壽がたぶん愛国心からだとは思うのだけれど、日本の記紀を真似て、「ウリたちの国の方が日本の倍くらい古い歴史があるんだぞ」とばかり書きなぐってできあがったのが、檀君神話である、ということです。

そうそう、ちなみに北朝鮮が平成5(1993)年に見つけたと発表した檀君の骨ですが、「電子スピン共鳴法」による年代測定で、5011年前のものとだと分かったために、檀君は実在の人物と発表されたのだそうです。

ところが、5011年前では、檀君神話に基づく檀君朝鮮の建国年と667年もの違いがある。
加えて、年代測定に電子スピン法を用いたというけれど、その詳細な解析方法については、まるで詳細が公表されていない。つまりこれもでっちあげのねつ造話である、ということです。

それにしても、民族の誇りを思う気持ちはわからないではないけれど、他人の女房を寝取って子を孕ましただの、その女性が熊だったの、1908年も生きただの、それを韓国の正史として子供達に教科書で教えているだの、なんだかなーと思うのは私だけでしょうか。

ついでに申し上げると、日本の建国は、神武天皇が即位した紀元前660年です。
この年から起算して、今年(2011年)は、皇紀2671年となる。

そして日本では、いまから1万6500年前の土器が青森県大平山元1遺跡から発見され、また出雲氏の砂原遺跡からは、いまから12万年前のものとみられる石器が出土しています。

そして古代文明の発見されている土地は、世界中どこの古代遺跡でも、すべていまでは砂漠化している。
これは人類が火を使うために木を伐採したためだけれど、日本では、古くから植林文化があって、森林は現代においても、日本の国土の70%を覆っています。
木を植えるという文化は、日本独自のもので、古くはスサノオのミコトと一緒に天下ったイタケルのミコトが、九州から東北まで植林してまわったとされています(なぜか朝鮮半島には行かなかった)。

そして現代でも、陛下がお手ずから植樹祭を執り行なう。
そして日本にある山々の木々は、そのほぼ全て、その一本一本の全てが、私たちの父祖によって植樹された木々なのです。

日本は、何のねつ造も必要がないほど、古い歴史と伝統をもった国です。
その日本に、私たちは産まれた。

そして私たちは、未来を生きる子供達に、この豊葦原の瑞穂の国をちゃんと残し、伝える義務をもっている。
絶対に、この日本を、檀君神話の国などに渡してはいけない。
そう思います。


◎檀君の実在性

檀君はあくまでも説話上の存在であり、実在しなかったとされている。
檀君王倹という言葉は、もともと由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行したが、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山で有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされたのはこちらであった。王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精とか妖怪に近いもので「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。
ただし、元になった伝承があったことは夫余の建国神話[1]、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話[2]から察知できる。物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物であって、それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもので、相互に関連のなかった三系統の話を素材にした創作である。

これらの傍証からも、檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されており、国家としての檀君朝鮮の実在性も認められない。
李氏朝鮮末期の19世紀末には、中国由来や西洋由来の宗教でなく朝鮮独自の宗教を振興して民族主義のよりどころとしようという動きが現れ、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。その中でも羅喆らがおこした大倧教は勢力が大きく、独立運動団体としても活動したほか大韓民国臨時政府などへ与えた影響も大きかった。檀君が即位して檀君朝鮮を建国したことを記念する開天節も大倧教が始めたものである。
現在でも、朝鮮人の中には檀君を実在の人物と主張する人々も大勢いる。大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示すために「史実」として教育するように指導されている。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、神話に基づく檀君朝鮮の建国年との間に700年近い差があり、また解析方法についても詳細が公表されていないことから、信憑性は低いと見られる。