龍の声

龍の声は、天の声

「軍歌 航空百日祭の歌」

2016-05-11 08:50:46 | 日本

この歌は実にいい。軍歌のなかでも元気と勇気が湧いてくる。
音楽をユーチュウーブでr聴き、声に出して歌いたい。
やってみよう!



航空百日祭(こうくうひゃくにちさい)は、日本陸軍の軍歌。陸軍航空士官学校における卒業百日前を祝う宴(百日祭)を題材にして作られた。


◎百日祭

将来の陸軍将校を養成する陸軍予科士官学校では、卒業式挙行予定日から数えて100日前の日に各生徒の兵科や原隊と呼ばれる配属任地が決定する。その後の軍人としての人生を左右する重要な要素が決まる日であり、予科卒業百日前は将校生徒にとって特别な意味を持つ日であった。百日祭は、これを祝いかつ離別を分かち合う内輪のいわゆるパーティである。百日祭自体は学校の正式な行事ではなくその起源も不明であるが、明治時代の陸軍中央幼年学校から引き継がれる伝統の行事となっていた。非公式な行事であるためにその開催は柔軟に行われ、兵科・原隊の決定とは関係のない本科卒業の100日前にも予科卒業の時と同様に、長かった本科修練の慰労と惜別の念を込めて祝われることがあった。中隊長や区隊長も士官学校の先輩であり生徒たちの心を理解して招待を受ければ喜んで参加する者もおり、私的な宴という性格上ある程度の無礼講が許された。航空士官学校においてもこの伝統は継承され、同様に百日祭を祝うことがあった。

◎軍歌「航空百日祭」
百日祭にちなんだ歌は数多くあったが航空兵科独自のものが無かったところ、1941年(昭和16年)陸軍航空士官学校55期候補生の間で卒業後の決意や大空を翔る意気込みを綴った自分たちにふさわしい百日祭の歌を作ろうという行動が起こり、梅岡信明(操縦分科)が詞を作り、家弓正矢(整備分科)が曲をつけた。この歌は56期以降にも定着し、陸軍航空兵科の存在感が増すにつれ広まっていった。


◎「航空百日祭」を歌った歌手

曽根史郎(ビクター)

学校内の生徒集会所や食堂、あるいは校外の料理屋で行われた例など資料によっていろいろな実施形態が確認できる。
「昭和十六年十二月十九日 金曜 曇天 百日祭。後百日ヲ名残トシ同期生一同食堂ニ会ス 灯火管制ノタメ電灯暗ク行動不自由ナリシモ、同期生ノ輝カシキ面ハ百万燭光ノ灯ニモ優レリ。実施ハ同期生歌・百日祭ノ歌・会食・軍歌演習トス。(以後略)」(『陸軍航空士官学校』161p、候補生の日記より)
軍歌として有名な歩兵の本領も1911年(明治44年)に中央幼年学校における百日祭を歌ったものが原型であり、10番で百日祭を歌う。



『航空百日祭』

作詩 : 梅岡信明 (55期) 
作曲 : 家弓正矢 (55期


一、
望めば遥か漂渺(ひょうびょう)の   七洋(ひちよう)すべて気と呑みて
悠々(ゆうゆう)寄(よう)する雲海の   果て玲瓏(れいろう)の芙蓉峯(ふようほう)
ああ八紘に天翔ける   男子(だんじ)の誇り高きかな

※望み見れば 果てなく広い七つの海原。
しかし、そんな七つの海でさえ圧倒するほど我々の気概は大きい。
ゆうゆうと迫ってくる雲海。
その果てには美しい富士の山が聳え立つ、そんな広大な光景。
ああ 世界を飛び翔ける男児の誇りとは、この雄大な光景のように高く大きなものなのだ。


二、
朝富嶽(あしたふがく)の気を慕い   夕照(ゆうて)る月に嘯(うそぶ)きし
四季うるわしき武蔵野の   武窓(ぶそう)に深き追憶に
あと百日のおとずれも   そぞろ名残(なごり)の深きかな

※朝には 富士山の空気のような清らかさを追い求め、夕方には 月に向かって自らの理想を述べたてた毎日だった。
(つまり現実よりも理想に目が行きがちな若い日々のこと)
そんな四季の彩りが美しい武蔵野にある航空士官学校における日々を思い出すにつけても、
卒業するまでのあと百日間が言い様もなく とても名残惜しいものだ。


三、
されどめぐらせ我が思い   図南(くなん)の鵬(つばさ)にあこがれて
淡紺青(たんこんじょう)の襟(えり)めざし   修武(しゅうぶ)の台に集いたる
五誓(ごせい)に結ぶ丈夫(ますらお)の   いかで忘れんこのよしみ

※しかしかつて(入学前)の意志を思い出せ。
我らは国運を担う航空分野に憧れて、淡紺青の襟章をつけた航空士官になろうとこの修武台に集まったのではないか。
軍人勅諭の五箇条のもと 結束する我ら軍人がどうしてこの士官学校での友情を忘れることがあろうか。


四、
鬼怒(きぬ)の河畔(かはん)に仮り初(そ)めの   結ぶ露営の草枕
戦(いくさ)の術(すべ)を学びては   常盤社頭(ときわしゃとう)の花吹雪
つばさ憩いし館山や   照り添う筑波の秋の月

※鬼怒川の河畔における野営の思い出も懐かしい。
戦略戦術を学び終えた後は、常盤神社の花吹雪のように潔く散る覚悟だ。
かつて滞在した舘山の地では、秋の夜空に、筑波山の上 月が美しく輝いていたものだ。


五、
期す征空(せいくう)に血潮鳴る   われらが気鋭(きえ)いま見ずや
秋空のごと恬淡(てんたん)の   至誠至純の心もて
皇成空(すめらみそら)の雲越えて   純忠(じゅんちゅう)の義に生きんのみ

※いずれ行う航空戦を思い描いては 血潮がたぎって来る。
今こそ この我らの意気込みを見せてやろう。
無欲で清らかな秋空のように我らはこの上なく誠実で純粋な心を持ち、そして祖国の空をこえ異国の地にゆこうとただ忠誠の道を究めるのみだ。


六、
よし行く道は異なるも   大航空の血は一つ
いざ全天(ぜんてん)の雲呼びて   相搏つ(あいうつ)空の血戦(けっせん)に
誓いて持(じ)せん我が気節(きせつ)   陸空軍の名に負いて

※たとえ進む道が(「操縦」や「通信」など)異なっても航空士官学校出身者の絆はひとつだ。
さあ いまこそ全ての雲を呼び集めて航空機が合い交える空の決戦へと赴こう!
我らが誓った気概と節度を、変わらず陸軍航空部隊の名の下に持ち続けようぞ。


七、
扶桑(ふそお)に羽ばたく九万里   向(むか)うはいずこ六大州
寄る波に見よ太平洋   吹く風に聞け大亜細亜
われらが行手雲暗く   鵬翼(ほうよく)いよよ勇(いさみ)なり

※日本の空に高く舞い上がり、我らは世界中へと翔けてゆく。
寄せて来る波を見よ、これが太平洋だ、吹き付ける風を聞け、ここが大アジアだ!
我らが行く先には暗雲が立ち込めているが、しかしだからこそ一層奮い立って来るのだ。


八、
誓いし翼(つばさ)分かつべき   雲上(うんじょう)高きこの宴(うたげ)
明ける世界の春めでつ   高層風(こうそうふう)の香(か)に和して
歌わん航空百日祭   祝わん航空百日祭

※この航空百日祭の宴は、士官学校で忠誠を誓い合った我々が分かれて行く日を想いながら、高い理想を語りあう集いだ。
(日本の大業の下、共産主義などの黒雲から)
明けてゆく世界の新展開を喜びつつ、大空に吹く悠々とした風に調子を合わせて我らはこの航空百日祭を歌おうではないか。
我らはこの航空百日祭を祝おうではないか。








『航空百日祭』


作詩 : 梅岡信明 (55期)  
作曲 : 家弓正矢 (55期


一、
望めば遥か漂渺(ひょうびょう)の   七洋(ひちよう)すべて気と呑みて
悠々(ゆうゆう)寄(よう)する雲海の   果て玲瓏(れいろう)の芙蓉峯(ふようほう)
ああ八紘に天翔ける   男子(だんじ)の誇り高きかな


二、
朝富嶽(あしたふがく)の気を慕い   夕照(ゆうて)る月に嘯(うそぶ)きし
四季うるわしき武蔵野の   武窓(ぶそう)に深き追憶に
あと百日のおとずれも   そぞろ名残(なごり)の深きかな


三、
されどめぐらせ我が思い   図南(くなん)の鵬(つばさ)にあこがれて
淡紺青(たんこんじょう)の襟(えり)めざし   修武(しゅうぶ)の台に集いたる
五誓(ごせい)に結ぶ丈夫(ますらお)の   いかで忘れんこのよしみ


四、
鬼怒(きぬ)の河畔(かはん)に仮り初(そ)めの   結ぶ露営の草枕
戦(いくさ)の術(すべ)を学びては   常盤社頭(ときわしゃとう)の花吹雪
つばさ憩いし館山や   照り添う筑波の秋の月


五、
期す征空(せいくう)に血潮鳴る   われらが気鋭(きえ)いま見ずや
秋空のごと恬淡(てんたん)の   至誠至純の心もて
皇成空(すめらみそら)の雲越えて   純忠(じゅんちゅう)の義に生きんのみ


六、
よし行く道は異なるも   大航空の血は一つ
いざ全天(ぜんてん)の雲呼びて   相搏つ(あいうつ)空の血戦(けっせん)に
誓いて持(じ)せん我が気節(きせつ)   陸空軍の名に負いて


七、
扶桑(ふそお)に羽ばたく九万里   向(むか)うはいずこ六大州
寄る波に見よ太平洋   吹く風に聞け大亜細亜
われらが行手雲暗く   鵬翼(ほうよく)いよよ勇(いさみ)なり


八、
誓いし翼(つばさ)分かつべき   雲上(うんじょう)高きこの宴(うたげ)
明ける世界の春めでつ   高層風(こうそうふう)の香(か)に和して
歌わん航空百日祭   祝わん航空百日祭