増えすぎる本をなんとかしようと、引っ越しの時に突っ込んだままだった箱をあけました。
そこに確か5年前か4年前に購入した「河北新報のいちばん長い日」という文庫がでてきました。
あの時は、買って置かなければと思い購入したものの、1ページも読めなかった。あの日の事がフラッシュバックしてページを開けない。
そうしてそのまま箱に入れ引っ越した。とうとう本そのものの存在さえ忘れていました。 だがら、見つけたのは読みなさいという天からの声だろう。読めるかどうかびくびくものでした。 8年という月日はとにもかくにも人を前に進ませてくれているのですね。
あの日何があり、新聞記者たちは何を見たのか、冷静に読み進めることができています。まあ、ページをめくるたびに涙が自然と次から次とあふれては来ますが。
明治維新以後賊軍となり 白河以北一山百文と軽視されてきた東北地方で、反発心を抱きあえて河北という名を冠した新聞社の 地域に寄り添い、地域の目線で記事を書き続けるという精神のもと
3月12日朝刊を出し、今もずうと震災関連の記事を出し続けている姿に感謝します。
あの日 サーバがダウンしてどうしても朝刊を出せないという危機。その時の社長の一力雅彦の言葉に新聞社の使命を見ました。
「われわれは地域の住民に支えられて百年以上、この地で新聞を出すことができた。その住民が大震災で苦しんでいる。今こそ恩に報いる時だ。・・・・中略。・・・ だが、いかなる状況になっても新聞を発行し続ける。それが使命であり、読者への恩返しだ」
避難所で河北新聞を二日後か三日後に見た時、そこにいるすべての人が、どうなっているのか情報が知りたくてみんな群がって行ったシーンが、まざまざとよみがえりました。各避難所に数人分しか配布されなかったのでしょうが、どれだけ情報に飢えていたか、どれだけ助けられたか。
すべて読み終えるにはまだまだ時間がかかります。読むたびに止まってはため息と涙と、そうだったのかというなんとも言えない気持ちが起こります。
それでもこれからおこる災害にとってこの本の果たす役割は大きい。買って置いた私に 思わず 偉いと言ってしまった。あと20日後で3.11は8年目に突入。 30年周期でくるという宮城沖地震。
あと22年後私は生きているのでしょうか。その時はもう逃げる力も無くなっていて、(私はいいから若者が先に逃げなさいと言った老人たち)のようになる番かもね。
若者を犠牲にしてまで生きたいとは思わないぞという覚悟はできてます。この本の記者たちのように。