3月11日の報道合戦は、すごかった。どこをつけても、「1年がたちました。」ばっかりのテレビでやめてくれと叫びたかった。
その日を越せるかどうか、近づくにつれて、津波の映像と瓦礫に挟まれていたときの映像がよみがえり、テレビを見るのが怖かった。
誰も、分からない。体験したものしか分からない。だからこそ二度とあんなことを味わう人たちがで出来て欲しくない。
震災を風化させていけないことは分かっているが、私たちの苦しみはずっと続いていくし、永遠に記憶から消えない。
だけど、触らないようにしないと、生きていけないのも事実。ともかく、11日が越せて良かった。
震災後、何もする気が起きず、生きているのか死んでいるのか分からないような毎日だったが、1ヵ月近くたち始めて避難させてもらっているおうちで、食事の後片付けをして、
茶碗を洗ったとき、ほっとした。涙が流れた。家事を普通にできるありがたさに、感謝した。それから、少しずつ前に進めるようになった。
買い物に行けるようになり、道ばたの花たち、イチョウの並木にどれだけ心が慰められたか。
そのイチョウが、今日ばっさりと切られていてショック。電線に引っかかり始めたので剪定されたようだが、やり方があるだろうよ。下の写真を見てください。新芽が出でくるんだ
ろうか?
無残な姿
去年のイチョウ並木
心慰められたチュウリップの芽がやっとで出て来た。
その日を越せるかどうか、近づくにつれて、津波の映像と瓦礫に挟まれていたときの映像がよみがえり、テレビを見るのが怖かった。
誰も、分からない。体験したものしか分からない。だからこそ二度とあんなことを味わう人たちがで出来て欲しくない。
震災を風化させていけないことは分かっているが、私たちの苦しみはずっと続いていくし、永遠に記憶から消えない。
だけど、触らないようにしないと、生きていけないのも事実。ともかく、11日が越せて良かった。
震災後、何もする気が起きず、生きているのか死んでいるのか分からないような毎日だったが、1ヵ月近くたち始めて避難させてもらっているおうちで、食事の後片付けをして、
茶碗を洗ったとき、ほっとした。涙が流れた。家事を普通にできるありがたさに、感謝した。それから、少しずつ前に進めるようになった。
買い物に行けるようになり、道ばたの花たち、イチョウの並木にどれだけ心が慰められたか。
そのイチョウが、今日ばっさりと切られていてショック。電線に引っかかり始めたので剪定されたようだが、やり方があるだろうよ。下の写真を見てください。新芽が出でくるんだ
ろうか?
無残な姿
去年のイチョウ並木
心慰められたチュウリップの芽がやっとで出て来た。
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宮城県にお住まいなのですね、私は、大阪府に住まいしております。
お花に勇気をもらうことってありますね。