11日から全国旅行支援を活用して、行くはずが、都合がつかなくなりやむなく断念。
12日に石巻の日和山には震災後まだ一度も行ったことがなかったので、復興の様子を見に行きました。
そのついでに、七人の秘書の映画も見てきましたが。期待以上にはずれでした。大体鶴瓶が、大悪人を任せられるわけがないのですよ。
もっと重要な裏ボスがいると思いながら見ていたらその通りでした。これ以上は、まだ見てない方にネタバレになるのでやめます。
さて、日和山に行くと 石巻城址跡という石碑が立っていました。なんとここに城があった。
誰の? 調べてみると 鎌倉殿の13人の歴史に行き当たり。頼朝が奥州合戦をした時に手柄を立てた 葛西清重に恩賞として牡鹿郡一体を与えたようです。
それから、豊臣秀吉に滅ぼされるまでこの地域や私の住む地域などは、葛西氏に支配されていたのですね。やっと、葛西という武将がどこから湧いたのかがわかりまずは、私たちの出どころもわかりかけました。
小高い山が祈りの丘のようです。
津波に流された跡地、今は工場地帯になってました。震災前は川の両側に工場から、家や商店などたくさんの人達が暮らしてました。すべて流され亡くなりました。私がいた同じ避難所に、このあたりから流され橋の欄干に捕まり助かったという男性の話も聞きました。お父さんは一緒に居たがその後どうなったかわからないとも話してました。ここからみんな内陸に流されて、ひき並みで海に散っていったのです。本当になんの言葉も出ません。
10年過ぎて、やっとここに立てましたが。心が疲弊します。ふと空を見るとブルーインパルスが飛行訓練をしてました。6連隊の瞬間は残念ながらこの位置からは撮影できず。
でも、元気をくれているインパルスを見て少しほっこり。最後の写真は、3.11当日の写真です。働いていた場所が無残に壊れ、流されていのを見てるしかなかったのですね。でも、石巻城址の日和山があってよかった。でなければ皆さん無くなられていたでしょう。
石巻はずうと平野が続くので。地震が来たら、津波を忘れずを、改めてまたかみしめる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます