早いものです。ぐらっと揺れて、これは尋常ならぬと必死に食器棚を押さえ、
このまま圧死するのかもと思ったあの日から3年目。
その夜、新宿近辺から歩いて帰った奥様、概ね4~5時間は掛かったのかな。
その間、彼女とも愚息とも親族も連絡つかずの状態で携帯、PCで何回メール
を送ったことか!お互いに「結びつかない」状態にイライラしたことを昨日の
ように鮮明に覚えています。
被害に逢った方たちはこんなものではないでしょうけど。
あれ以来、家族との絆、会話を今まで以上に大事にしてきたつもり。明日は
わが身と思っていますが。
翻って、被災地の皆さんの状況は?
いまだに故里に戻れぬ人も多く、復興は遅々として進んでいないような。何が
デッドロックになっているのか、その点の掘り下げが特番を組むマスコミも
詳しく報道してくれていません。きっと細かなニュアンス的なものがあるんじゃ
ないかと邪推していますが。少なくとも大盤振る舞い大得意の民主政権下で
予算だけはかっちり確保している筈。金でない何か、これをちゃんとえぐり出
さない限り、本当の復興はないんじゃないでしょうか。
遅まきながら、今日確定申告に。今日は寒くなったとはいえ、ここ数年に比べ
暖かかったような。昨日の砂嵐がうそのようないい天気でした。帰りに見つけた
蝋梅。今年の寒さのせいでまだまだ元気。きっと明日に向けて灯りを点して
くれているような・・・
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Phoenix Tohoku
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明日はわが身と思って日々暮らさないといけませんね。
小生も、阪神淡路大震災の時、起き上がって箪笥を抑えていたことを昨日のように思い出します。その後、家具に転倒防止器具をとりつけたり、風呂の残り湯を捨てないで次の入浴まで貯めておく等習慣化しています。東日本大震災の一日も早い復興を祈るばかりです。
ウチの奥方 子供の頃静岡に疎開中 かなりの地震にあったらしく、その逃げ足の速い事! 速い事!
この地震の時、小生を押しのけて逃げてました
離婚を考えました!(プッ!)
それはグドアイデアですね。我が家もそうしましょう。
ホントに明日はわが身だと思ってます。
見習わないと(笑)
私も福岡赴任の時、福岡西方沖地震に遭遇し
ストーブの火も慌てて消せない体験をしました。
震度五強でした。
地震は怖いです。
暖かくなったら被災地に行ってこよう。
毎日生活しないといけないんでしょうね。日ごろ
からおさおさ怠りなくです。
まだあるのにはびっくりしてしまいます。
ボクもそのうち行って何らかの励ましをしたいと
思っていますが・・・
と錯覚する自分が怖いです。
家族のお子さんが数人在園しているそうです、
二年前 赤ちゃんをオンブして助手席に幼児を乗せて
磐越道を定められた場所も解らないまま
とにかく子供達を守りたい一心で走って・・・
灯りが沢山灯るのを見つけてインターを降りたと、
避難地で安心した生活の日々も故郷から逃げてきたと云う後ろめたさなど・・・複雑な気持ちの毎日だと思います。
つきます。あの当時の人の行動を非難する
権利は誰にもないでしょうね。