朗読は朗読でも、
書いた作家本人が朗読するケース。
詩人、あるいは歌人が
自分の作品を自ら朗読する(読みあげる)ことは
よくありますよね。
以前、与謝野晶子と斉藤茂吉だったでしょうか、
自作の句をよむ本人の声が残っていて驚きました。
現代では、谷川俊太郎さんの
「ことばあそびうた」や「みみをすます」の朗読が
印象に残っています。
ところで日本の小説や物語を自ら朗読する作家は
いたのでしょうか?
私はすべて網羅していないのでいるのかもしれません。
カミュは「異邦人」を朗読している音源があって、
フランスではCD化しているとききました。
もちろんフランス語での朗読なので(^^;
私なんぞ残念ながらその朗読を堪能することが
できないワケですが、
どんな作品でも、本人の朗読というのは
あればやはりきいてみたいです。
語りの技術は問題ではなく、
作品を生みだした人が朗読するわけですから
まず説得力があります。
「そんなところで息を切っちゃうんだ」
「そこにプロミネンスをおくのか」
のような驚きと発見が多くあるような気がします。
もしかしたら、作家の読み方によって
その文章を書いた意図がうっすらと見えてくるかも
しれないじゃないですか!
あ、もしかしたら、そんなこんなが見え隠れするのが嫌で
自作を朗読しない作家もいるかもしれませんね。
すべては読者に委ねて。
そうは云ってもなかなかそんな音源はない(出会ってない)。
でも、クラシックの楽譜のように作者の指示が
表記されていない文章を
意図を探りながら
自分で咀嚼して表現していくのが
朗読の面白さのひとつだったりします。
当たりだったりハズレだったりしながら。
書いた作家本人が朗読するケース。
詩人、あるいは歌人が
自分の作品を自ら朗読する(読みあげる)ことは
よくありますよね。
以前、与謝野晶子と斉藤茂吉だったでしょうか、
自作の句をよむ本人の声が残っていて驚きました。
現代では、谷川俊太郎さんの
「ことばあそびうた」や「みみをすます」の朗読が
印象に残っています。
ところで日本の小説や物語を自ら朗読する作家は
いたのでしょうか?
私はすべて網羅していないのでいるのかもしれません。
カミュは「異邦人」を朗読している音源があって、
フランスではCD化しているとききました。
もちろんフランス語での朗読なので(^^;
私なんぞ残念ながらその朗読を堪能することが
できないワケですが、
どんな作品でも、本人の朗読というのは
あればやはりきいてみたいです。
語りの技術は問題ではなく、
作品を生みだした人が朗読するわけですから
まず説得力があります。
「そんなところで息を切っちゃうんだ」
「そこにプロミネンスをおくのか」
のような驚きと発見が多くあるような気がします。
もしかしたら、作家の読み方によって
その文章を書いた意図がうっすらと見えてくるかも
しれないじゃないですか!
あ、もしかしたら、そんなこんなが見え隠れするのが嫌で
自作を朗読しない作家もいるかもしれませんね。
すべては読者に委ねて。
そうは云ってもなかなかそんな音源はない(出会ってない)。
でも、クラシックの楽譜のように作者の指示が
表記されていない文章を
意図を探りながら
自分で咀嚼して表現していくのが
朗読の面白さのひとつだったりします。
当たりだったりハズレだったりしながら。