コエトオトからはじまる

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課外授業の思い出

2007-08-31 21:55:51 | 朗読あれこれ


知人の小学校では、課外授業として
谷川俊太郎さんと谷川賢作さんのユニットで
朗読の時間を設けようと計画しているそうです。
実現すればいいなぁと思います。

というのも、私が小学生のとき、同地区の中学校の
音楽の先生の呼び掛けによって
ヴァイオリニストの辻久子さんが
学校の体育館で演奏会を開いてくれたことが
とても貴重な思い出になっているからです。

世界的ヴァイオリニストが、田舎のイチ小学校で、
しかも体育館で、ヴァイオリンを演奏してくれるということが
どれほど“普通あり得ない”ことかというのを
小学生の私は知る由もありませんでした。

何を演奏して下さったか覚えていません。
辻さんの持つヴァイオリンはとんでもない貴重な品だと
説明を受けたのは覚えています。
そのときの演奏に釘付けになり
「エラいものを聴いてしまった」
というインパクトが残ったのも覚えています。

見たこともないような集中力で演奏する姿に
自分とは違う世界からやってきた人のように思え、
一流の演奏家の奏でる音楽というものに
たぶんノックアウトされたんだと思います(笑)。

たとえそのときに辻久子さんという演奏家と
演奏の素晴らしさについて深く理解ができなくとも
目にした耳にした“事実”のある部分が
深く心に刻まれていることがあります。
そこで起こったことの断片が記憶のどこかに残って
何年かのち、あるいは何十年か経って生々しく蘇り、
いまの自分に何かを語りかけてくれる・・・。
「辻久子さんは小学生の前でも全身全霊をささげて演奏してくれたんだ」
などと記憶を反芻しながら。


そんなわけで、ささやかなことではありますが、のちのち色んな形で
“ファンタジックなこと”が起こる子どもたちもいるはずなので、
世の中の一流のものに触れるチャンスがあるのなら
実現すればいいなぁ~と思うのでした。



秋来る!?

2007-08-29 23:40:55 | はしやすめ


きのう夕方の急な雷雨はこわかったです。
私は家の中に居たのだけれど、爆音、地響きに
飛び上がりました。

知人はおろしたてのハイヒールがずぶぬれになって
泣いてました(^^;

雨がやみました。
それまでにぎやかに鳴いていたミンミンゼミの声がせず
どこかでツクツクボウシ、そして
リンリンと秋の虫の声まできこえてきました。

不思議・・・。
雷雨のカーテンによって季節のどこからか
区切られたみたいです。

風がひんやりと肌に触れました。
ゴロンと寝っ転がって天空を見上げると
それはそれは気持ちいいのです。




夏鍋のすすめ

2007-08-28 02:34:08 | はしやすめ



残暑厳しい折りの火鍋。
食べに行こうと誰が云いだしたのか。
けれど正しい選択でもある。
汗は噴き出るけれど食はすすむ。
野菜をたくさん摂取できる。

白いスープは辛くはないけれど
赤いスープは見たまんまの唐辛子スープ。
私は白5:赤1くらいの割合でしか食べられない。
友人は赤5:白0のようだ。
しかも涼しい顔して食べている。
かっこいい。

実は「夏の鍋」は私にとって珍しくない。
冬のように体を温めるために食べるのではない。
夏バテせぬよう食をしっかりとるためである。
空調に馴れた体の新陳代謝を促すためでる。
冷たい飲み物が一段と美味しくなる。

出汁はちょっと濃いめがよいでしょうか。
意外にアリ!
との評価をいただけるかと思います。
お試しあれ。


サッカー話ですみません

2007-08-27 23:59:11 | はしやすめ


各国のプロサッカーリーグが開幕する中、
スペインリーグ「リーガ・エスパニョーラ」も開幕しました。
こうゆうのって縁起物なので(笑)、初戦にどんな試合をするかで
気分は全く違うわけです。

私の応援するレアル・マドリッド。前シーズンでバルセロナとの
デッドヒートを制して見事優勝したわけですが、
さて今シーズンはどんなスタートを切るか・・・。
これ大事なのです。しかも相手はアトレティコ・マドリッドという
ダービーマッチだったりするので。

なんだかオフに選手補強を山のように行ないました。
排出もしました(笑)。
10人補強でかかったお金は132億円以上・・・って
また「カネにもの云わせるヤなチーム」ぶりを発揮。
ヤだけれど、サポーターはトレードに関しては傍観しているしかない
ですからねぇ。それにその大金は犯罪に使うわけではないので
ま、いいかと(^^;
メツェルダー、ロッペン、エインセ、サビオラ・・・
私でも知っている大物を含めて惜しみなく獲得しましたが、
その結果、地元スペイン色が薄れるのはちょっとかなしい。
新しいドイツ人指揮官・シュスター監督の好みもあるでしょうけど。

そんなこんなの不安を一気に吹き飛ばしてくれたのが、
25日の初戦!
私の好きな選手ラウール・ゴンザレスがセルヒオ・ラモスからのクロスに
美しく頭を合わせてGooooooooooooal!
スペインラインで今シーズンの1点目を獲得したのです。
これはとても意味のあることです。
サッカークラブは地元に密着し、大袈裟にいうと地元サポーターと
「運命を共にしている」のですから。
この“核”があってこそサポーターはグッとのめり込めるし、
各国から集められた有力選手はチームで有効に働いてゆくきっかけを
得ることになるんだと私は思うのです。

お陰様で初戦白星スタートとなりました。
「初戦が大事」と云いながら、やはり次も勝たないと・・・と
欲が出るのも正直なところ。
ま、そうやって楽しんでいるんでしょうけどね。




何もできなくて・・・夏

2007-08-26 10:27:47 | はしやすめ
↑昔似たようなタイトルの歌がありましたが(笑)、
まだ残暑が続いているとはいえ今年の夏も
終わりに近づいています。
みなさんの2007夏は充実しましたか?
私は“夏の風物詩”なるものをひとつも経験せずに
終わっちゃいそうです。とほほ。

今日はニュースでも「夏休み最後の日曜日」というフレーズが
使われることしばしば。
子どもたちにとっては、名残惜しむ気持ちもさることながら
焦りに追い打ちをかけられるのではないでしょうか?(^^;

今は美白を気にする私も、昔は真っ黒に日焼けする同級生を
うらやんだものです。私は体質的にあまり焼けなかったのです。
焼けてもすぐ皮がむけて痛いだけで。

市民プールによく行きました。
いま情報番組などで都会のプールの子ども料金をきいていると
1500円だの2000円だのというので驚きます。
そうゆう時は必ず「ウチは100円だった」「いや50円だった」
「子どもは10円でロッカーはタダだったよ」
などとみんなで安さ自慢になります。
加えて、プール上がりのカップ麺はサイコーだったとか、
いや、自転車で売りにきていたくず餅の甘さがたまらなかったとか、
プールひとつとっても夏の子どもの思い出は尽きないわけです。

海外旅行なんかしてしまう今の子どもたちの夏休みの思い出の残り方は
どんなものなのか分かりませんが、
お金をかけなくても思い出に残ることはたくさんありますよね。
だって子ども時代って何事に対しても吸収力抜群だから。

あっ、いま思い出しました、今年の私の“夏らしい思い出”。
人から桃をいただいて食べました。
甘くて美味しかったぁ~。


チェ・ゲバラの本

2007-08-25 04:10:41 | 朗読あれこれ



今年が没後40年にあたるということからか
(命日は1967年10月9日)
書店にはチェの本が並んでいます。

ウチには一冊だけありました。
この本は写真も豊富に載っているのですが、
改めてこれをみると、讃えるつもりはなくとも
チェ・ゲバラは「絵になる男」だと分かります。


ゲバラ没後40年

2007-08-24 23:59:08 | はしやすめ


「キューバ CM」という名の珈琲をのみました。
で、映画『チェ・ゲバラ&カストロ』(2002年)を観ました。
ふたりが成し遂げたキューバ革命の戦闘部分を中心に
一応、事実をベースに作られたものでした。

アメリカ映画だからといってゲバラたちの会話が英語だったことや
タイトルの割にカストロが主役であること、
また描いて欲しかったカストロとゲバラの友情と確執が少ないこと、
カストロの功罪を問いかけようとするには内容が薄いことなど、
真実に迫って欲しかった私としては疑問・不満が数多くありましたが、
まぁ、ざっくりとキューバ革命とその後の流れを
知ることはできる映画かな、といった作品でした。
(あとできくと、もともと3時間あまりのテレビ映画だったものを
 DVD用に短く編集したんだとか。どうりで話が飛びまくっていた)

きょうは映画の話をしたかったのではなくて、
今年はチェ・ゲバラがボリビアで処刑されてから40年だということを
日本経済新聞(8/19付)の記事で知ったからです。
記事によると、ゲバラが命を奪われたボリビアのイゲラ村では、
ゲバラの足跡をたどる地元旅行会社のツアーが人気だそうで。

そのゲリラ活動には批判もあるものの、処刑されたときの写真が
世に出まわり、社会主義革命の象徴「赤いキリスト」と呼ばれ
今も崇拝者が世界中にいるのは周知のとおり。
こうしたゲバラへの共感はなぜ今も消えずにあるのか、
私はとても興味があります。

その答えをさがすには、映画なら
『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004年)の方がずっと
役に立つし、革命家チェ・ゲバラのルーツを
垣間見ることができるでしょう。

ゲバラの生まれたアルゼンチンはじめ中南米の国々は
知りたい出会いたい場所ですね、私にとって。


竹といえば

2007-08-22 23:59:56 | はしやすめ
萩原朔太郎の詩、『竹』の話をして
竹、竹、竹が生え。
などと云っていると思い出しました。
風呂場の隅に忘れられた竹踏みがあったのを。

写真で見ていただいて分かるように、これは
本物の竹です。
もう20年以上前になるでしょうか、母方の祖父が
自分の山から切ってきた竹を竹踏みにこしらえてくれたのです。
手作りなので、裏返すと少々ささくれだっています(^^)

でもこれが踏むと足裏に強烈なインパクトが与えられて
「おぉ~っ、イテテテテ」などと云いながら
イタ気持ちいいマッサージ効果抜群なのですよ。
隅に忘れ去られているわりには、引っ越しのたびに持ってきて
今でも思い出したように、たまぁに踏んでいます。

足を当てると、つるっとした竹の表面が冷たくて気持ちいい。
きっと人工の足踏みグッズとは違うでしょう。


ところで、この竹踏みを作ってくれた母方のおじいちゃん、
1911年(明治44年)生まれの96歳。
加えておばあちゃんも健在で
1912年(大正元年)生まれの95歳。
ふたりとも元教師で、おじいちゃんは校長先生も務めました。
杖を使いながらですが今でも歩くし、よくしゃべります(笑)。

おばあちゃんには逸話があって、10年ほど前、母も加えて
女3人で田舎のスーパーに出かけた際、ある洋品コーナーで
おばあちゃん用の洋服を物色。
私がある地味めのゆったりとしたワンピースを差し出して
「おばあちゃん、これどお?」
というと、おばあちゃんは
「そんなオバアみたいなのはイカンわい」
と一瞥して拒否したのです。
母も私も大爆笑。
「あんたがオバアでなくで誰がオバアなん?」
そのとき80代のおばあちゃんでしたが、自分が婆という
意識が無かったのでしょう。
私も年をとってもこうありたいです(^^)

祖父も祖母も私の自慢。
田舎に帰って顔が見たくなりました。


萩原朔太郎の詩を思い出した

2007-08-20 23:48:08 | 朗読あれこれ
またまた昔のテレビ番組からの引用話で恐縮です。
これって連鎖反応でしょうか?(笑)

NHKの朝の連続テレビ小説で『すずらん』というのが
ありました。朝ドラの得意分野、主人公が子どものころから
何かと不自由で、それでも健気に生きてゆくのです。
確か北海道の小さな駅に捨てられた女の子が逞しく生きてゆく姿を
太平洋戦争中も背景に入れて描いていた記憶があります。
主人公を演じていた遠野凪子という女優さん、
とても楚々とした美人さんで好演でした。

それはさておき、主人公には子どものころ親友がいて、
(彼女はとても頭のよい苦学生だったとの記憶があります)
その親友が「私はこの詩がとても好きなの」と云って
主人公にきかせたのが萩原朔太郎の『竹』だったと
忽然と思い出しました。



 竹
         萩原朔太郎

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるへ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。



自分を竹に投影するかのように誦じた彼女が
とても印象的でした。
ドラマの流れから不覚にも私は泣きました。

実は『竹』という同名の詩が直前にもうひとつあります。



 竹

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。



最初の『竹』に至る前の、まだ顔をあげる前の心象を
吐露したような・・・そんな風に私は感じました。

『竹』が入っている詩集『月に吠える』の“序”で、
朔太郎が次のように書いているのと繋がっていかないでしょうか。

~~~~~

私は詩を思うと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と
孤独者との寂しいなぐさめである。
詩を思うとき、私は人情のいじらしさに自然と涙ぐましくなる。

~~~~~



岩手県民必須!?

2007-08-19 23:19:02 | 朗読あれこれ
8月、JRの駅などでは「東北に行こう」というような
ポスターやチラシが目に付きます。
確かに夏の東北には祭りが多いですからね。
ほぼ祭りは終わったのでしょうが
行かれた方はいらっしゃいますか?

知人に岩手出身の人がいまして、以前何かの拍子に
宮沢賢治の話になりました。
すると彼の口からスルスルと『雨ニモマケズ』のフレーズが
出てきたので少々驚きました。いや、見た目にはバリバリ
ロックなお兄ちゃんなので意外で・・・ごめんなさい。

きくと、小学生のころ、お母さんに「これは覚えておきなさい」
と云われたんだとか。
「覚えておきなさい」というお母さんの感覚と
それを素直に覚えた少年の態度がとても微笑ましく、
偉大な人物を世に送り出す土地は興味深いと思いました。
「『雨ニモマケズ』の暗誦は岩手県民必須なの?」なんて
笑ったけれど、まんざらでもなかったりして。

あまりにも有名な賢治の『雨ニモマケズ』。
学校で習い、多くの方が朗読し、碑に刻まれていますが、
私は昔、あるテレビ番組で関口宏さんが朗読するのを
強烈に覚えています。
『知ってるつもり!?』という番組です。
あの番組が始まって確か数回目に宮沢賢治をとりあげ、
賢治の人生を追ったあと改めて番組の最後に『雨ニモマケズ』を
朗読したのです。
その朗読は淡々としていた記憶があります。
ただ賢治の人生を振り返ったあとだけに何か意味めいたものが
付随してきて印象的でした。

この「詩」は、賢治の手帳に無題の詩あるいはメモのように
書き込まれていたそうで、「11.3」という日付が記されているから
1931年11月3日ということらしいです。
ワタシがナリタイと思っているモノが素晴らしいかどうか
よりも、人には様々な現実が襲ってくるんだという恐れと
それに立派に立ち向かえるかどうかの不安が呼び起こされて
私にとっては“いっぱいいっぱい”になる詩です(笑)。
でも確かに対比のリズムがあるから暗誦したくなりますね。

みなさんもよろしければ、よくご存じのこの詩を
改めて読んでみてください。



雨ニモマケズ    

            宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂヤウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

        新編 宮沢賢治詩集(新潮文庫)より