コエトオトからはじまる

コエトオトが発信する、発見と創造のブログですコエトオトのパフォーマンスをお見逃しなく!

メンバー募集!

2007-05-29 00:07:28 | お知らせもの
Bookmarkさせていただいている塙野ひろ子さんもメンバー、
朗読ぐるーぷ「もある」が、只今
メンバーを募集中とのことですので
ここでお知らせします。

「もある」は、俳優でありテレビや映画のナレーターとしても
活躍する伊藤惣一氏を師としています。
普段は、自分が読みたい作品を持ち込んで
(どこかで披露する予定のものでも勿論OK)
伊藤先生に、その作品の朗読について教えてもらいます。
先生とともに、朗読と作品への向かい方をさぐる
といった方が良いかもしれません。

年一回の朗読公演も毎回好評。
作品選びは自由。ひとりでじっくり仕上げるもよし、
ふたりで組んでやるもよし。
また生演奏を加えたりと、アイディアを自由に出し合って
作品の演出にも力を入れているので
“聴衆を意識した”きかせる朗読を目指す方に
おすすめできるのではないでしょうか。
公演の最後にメンバー全員で行う詩の朗読は
「もある」の名物です。

興味のある方は、塙野さんのホームページから
メールでお問い合わせください。

ちなみに「もある」のメンバーのみなさんの職業は
ナレーター、役者、歌手、キャスター
などだそうです。

北原白秋

2007-05-28 23:25:01 | 朗読あれこれ
この夜、友人と話をしているなか、
北原白秋という名がでた。

福岡県柳川出身の詩人。
童謡の歌詞でこの名を覚えている人も多いのではなかろうか。

私は「ペチカ」と「砂山」が特に印象深い。
「ペチカ」は、子どものころ

~ 雪の降る夜は たのしいペチカ
  ペチカもえろよ おはなしましょ
  むかしむかしよ もえろよペチカ ~

(漢字の使い方は自己流です、あしからず)

という歌をきいて、
ペチカという見たことのない暖炉らしきものと
メジャーコードなのにうら寂しい
そのメロディーライン(山田耕筰作曲)に
得体のしれぬ恐怖を感じたものだ。


そして「砂山」。
有名な童謡だが、私が好きだったロック歌手が
「この歌、子どものころ好きでよく歌ってたんだよね」
とラジオで話して、その場でアカペラで歌った印象が強く
以来、私も好きになった。単純だ。

~ 海は荒海
  むこうは佐渡よ
  すずめなけなけ もうひはくれた
  みんなよべよべ お星さまでたぞ ~

(やはり漢字の使い方は自己流です、あしからず)

曲は中山晋平バージョンと山田耕筰バージョンの
2つあるらしい。
私の知っているメロディーはどちらのものなのか・・・。
私の日本海のイメージは、この「砂山」にあります。


童謡は「童の謡い」と書くけれど
童のときには無垢に大きな声でうたって
大人になって噛みしめたくなるもんですね。

みなさんはどんな童謡が心に残っているのでしょう?

5月24日の補足

2007-05-27 09:24:21 | 朗読あれこれ
24日付けの『朗読もの』に
「ういらう売りせりふ」の中の一節、


河原撫子 裏の石竹 根が引き抜きにくい


という部分を紹介しましたが、
一般的にはこの部分、


河原撫子 野石竹(のぜきちく)


とだけいうケースが多いです。

『朗読もの』で採用しているのは、24日の話の中にもでてきた
秋浜悟史氏によるもの。
でも「根が引き抜きにくい」の云いにくさなど
こちらの方がちょいと
ういらう売りを語る楽しさがある気がします。
どんなもんでしょ?(^^)

声に出すということ

2007-05-26 20:43:14 | 朗読あれこれ
映画でも話題になった、小川洋子著「博士の愛した数式」を
遅ればせながら読み始めました。

数式の美を讃えるーーー。

読むきっかけは、作品の中に流れる、
数式に対する博士のそんな愛情に興味をもったのです。
どんな偏屈オヤジが出てくるんだ?
そんなことも思いながら(笑)。

博士が、賞金のかかった数学の問題に応募したとき
「証明が美しくなければ台無しだ」
と云ってのけるのを読んで、
昔、ある予備校の数学の教師が
「漸化式をみると心がやすらぐ」とのたもうたのを
思い出しました。
数学を拒否してきた人には、嫌味か、あるいは
もはや何のことだかワケが分からない別次元の言葉にきこえるでしょう。

漸化式というのは、簡単にいうと
数列の規則をあらわす関数・・・でいいのかな・・・たぶん。
えーっと、その予備校の教師はきっと、
その漸化式を解いてゆくことによって
並んだ数の関係がクリアになり、
そこにえも言われぬ安らぎを感じたのかもしれません。
あくまで想像ですが(^^;


朗読に纏わる話に移しますと、
朗読のヒントになる下りを
「博士が愛した数式」の中に見つけましたーーー。

博士の家に通う家政婦の10歳になる息子。
博士は彼を「どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、
実に寛大な記号」になぞらえて「ルート」と名付ける。
あの√です。
博士がルートの算数の宿題をみてやっているとき、
博士は問題を音読させるのです。そして云います。
「問題にはリズムがあるからね。音楽と同じだよ。
 口に出してそのリズムに乗っかれば、
 問題の全体を眺めることができるし、
 落とし穴が隠れていそうな怪しい場所の見当も、
 つくようになる」

これだと思った。
音読のなせる技です。
たとえそれが算数や数学の問題でも、声に出すと
問題の促すところやからくりが見えてきたりする。
解き方が分かるのではなく
(最終的には解答しなきゃいけないんだけど)
問いを声に出すことによって
まず文章を自分なりに心に留めておく作業となる、というか。

博士は、ルートが算数の問題を音読するのをきいて
「一篇の詩のように聞こえたよ」
とまで云いました。

素敵です。

朗読をする意義・・・、そんなエラそうなものでないけど
朗読することは
作品を声に出して語ることは
自分がその作品に向かっていることなんだと
作品を知ろうとしていることなんだと思いました。
それは目で読み拾っているときより
能動的なのです、きっと。

当たり前のことかもしれないけど発見でした。


読み始めの「博士の愛した数式」。
期待以上に得るものがありそうです。

かわらなでしこ

2007-05-24 20:13:08 | 朗読あれこれ
語りや芝居をする人が一度は口にする
『ういらう売りせりふ』。

(ういろう、うゐらう、外郎などいろんな表記があるが
 ここでは劇作家で演出家の秋浜悟史氏が使った表記を記す)

~ 拙者親方と申すは お立合に 御存じのお方もござりましょうが ~
というせりふで始まるアレです。

18世紀初期、二代目市川団十郎が初めて演じて
以来有名な演目となったのはご存じかと思います。

舌のまわりを良くするための
自分の声を発するための訓練材料とされることが多いので
あまりその中味を解釈しようということはなされないのですが
上記の秋浜氏は生前、この『ういらう売りせりふ』を
事細かく(笑)解釈解説されています。
気になる部分だけでもその解釈解説を読むと面白い。
その成果が一冊の本になっているのですが
いま本屋さんでそれを買うことはできるのでしょうか?
ここ“朗読もの”は所有しています!

さてさて、今回何故『ういらう売りせりふ』を思い出したかというと
河原撫子という花に出会ったから。
秋の七草に数えられるけど、6月ごろから咲くそうです。
右上の写真をみればわかりますが、薄紅色が多い中
目にしたのは白でした。

『ういらう売りせりふ』の中盤で

~ 河原撫子 裏の石竹 根が引き抜きにくい ~

という部分があります。
それを思い出したのです。
石竹(せきちく)というのもナデシコ、中国原産の唐撫子を指します。
「かわらなでしこ」と「からなでしこ」とは音が似ているから
並べたのかしら。
『ういらう売りせりふ』には、こうゆうあそびが
山のようにありますよ。
ちなみに「根が引き抜きにくい」という部分は
意外に(?)言いにくいです。試してみてください(笑)。

言いにくいことばを、わざと「これは言いにくいんですよぉ」と
みせながら、するっとやり抜ける・・・
そんな風にやると面白いよ、と云ったのは
以前、語りの単独公演で『ういらう売りせりふ』を上演した
秋浜氏の盟友、伊藤惣一氏でした。



距離感

2007-05-21 22:10:59 | 朗読あれこれ
NHKの『世界ふれあい街歩き』という番組がある。
文字通り、有名無名問わず世界の街を訪れて
足で歩ける範囲のエリアを一日かけて見てまわる。

この「足で歩ける範囲」というのが大切なポイント。

設定としては、カメラの視線が旅人の視線。
あっちこっちを見ながらゆっくりゆっくり歩く。
カメラだけ抱えて歩くわけだから
狭い路地なんかも平気で入っちゃう。ひとんちまでも。
この設定が、画面を通して観ている私たちに
臨場感をもって街の空気を伝えてくれるんだ。

歩いていると道行く人とすれ違う。
気になる人には「こんにちわ」「それ何ですか?」なぁんて
話しかける。
相手は大抵その街に住む人々。
どこの国の人々も気さくであったかいなぁ~なんて感激する。
向こうからすると、どうみても「取材のクルー」だろうけど
みんな自分の街のことを訊かれるのがうれしいみたいだ。
そう映る。
「どこから来たの?」なんて尋ねてくる人も!
まるで旅人に話しかけるみたいに。

午前中から夕暮れ、陽が沈むまで歩く。
場所によっては午後9時になっても明るい。
あ、そういえば、バッテリーライトを照らして歩く
というのを見てないな。
陽のあるときに街のあかりのなかで歩いているのかも。

そんなのんびりした街の風景にナレーションが入る。
ナレーションというより旅人の声だ。
歩きながらのひとりごと、人々との会話。

そうゆうナレーションはとてもデリケートに入ってきて欲しい。
そう思う。

見上げて3階で洗濯物を干しているおばちゃんに声をかけるのと
そこのベンチに腰掛けてるおじいさんに声をかけるのと
家の中を案内してもらいながら話すのと
夕陽を眺めながらつぶやくのと・・・etc.

これらの声の出し方は絶対に違うはずだ。
あくまで"旅人の位置"から声を出して欲しい。
画面がそうゆう絵だから。
観ている人がそこに身をおいてしまっているから。

芝居じみてもいけない。
調子ではなく、その場の空気を考えて語る。ヘンな話、
うしろで観ている人(視聴者)を意識して、ともいうのでしょうか。
それがうまくいってる時の旅人の声はとても心地良いんです。

これは朗読の中でも通じることで、
会話文を読むときなどに意識しなければならない大切なことだと
思っています。
この台詞はどんな状況の中だれに向かって発しているのか。
相手のある芝居と違って、朗読はすべて自分で語らなければならない。
自分で物語の空気を悟って(笑)
距離感を意識してきかせていかなきゃならない。

きいているお客さんの頭の中に描かせるために朗読者のできる工夫。

いやぁ、朗読ってホント面白いですね!では、また。

大阪の風景

2007-05-19 19:09:27 | 朗読あれこれ
大阪ビジネスパークというエリアを訪れた。
新大阪駅から車でおよそ20分。
松下電器関連のタワーやビル、住友生命本社ビル、
読売テレビ本社などの建物が立ち並ぶ商業エリアだ。
こんな風に再開発されていたんだねぇ。知らなかった。

南西の位置には大阪城。そして大阪城ホール。
かつての天下の城は、ここをどんな気持ちで
見下ろしているのだろうか・・・。

大阪ビジネスパークの北側を流れる寝屋川の静かなる澱みが
この場所のかつての姿を彷彿とさせるーーー。


ここには、1945年8月14日、そう終戦の前の日、
アメリカ軍の爆撃を受けて全焼した
大阪砲兵工廠があった。
アジア最大の兵器工場といわれた。
大阪城ホールが立っているところはその本館だったという。
戦のための軍需品の生産。
6万人以上の人が働いていた。
炎とともに消え去ったあとは、不発弾が多く危険だという理由で
広大な土地はその後およそ20年も放置された。
もはや「廃墟」だと、見て見ぬふりされたのか・・・!?

この(国による)立ち入り禁止の砲兵工廠跡に忍び込み
生きのびるため鉄屑を掘り起こして売りさばいていた
“アパッチ”と呼ばれる人々のことを、以前
梁石日(ヤンソギル)氏の小説『夜を賭けて』で読んだ。
金守珍(キムスジン)監督が映画化したのでご存じの方も多いだろう。

混乱と絶望と恐怖と渇望が入り交じった
そこに住む人々のエネルギーの塊が
確かにここにあったんだ。


ビジネスパークの整備された広い道路を歩きながら
そんなことを思ったのでした。

塙野ひろ子さんのHPもよろしく

2007-05-17 14:26:54 | お知らせもの
朗読ぐるーぷ『もある』というみなさんがいます。
俳優でドキュメンタリー映画のナレーションでも有名な
伊藤惣一氏を師として
定期的に朗読公演などを行う
語りのプロの集団です。

そのメンバーのひとり、
フリーアナウンサーとして活躍する
塙野ひろ子(こうのひろこ)さんのホームページが
ありますので、ブックマークしておきます。

彼女は朗読をライフワークとするばかりか
ナント落語家としても活動してるんですよ!
詳しくはこのホームページをご覧下さいませ。

御見知りおきを

2007-05-16 01:12:59 | お知らせもの
タイトルにあるように
朗読に興味がある人が立ち寄ってくれたら
何かを発見できる・・・
そんなブログ『朗読もの』です。

朗読に纏わるあれこれのスクランブル交差点になれるよう
書き込んでゆきますので、これからどうぞよろしくお願いします。


広辞苑第三版で「朗読」とひくと
"声高く読み上げること。"
とだけ書かれています。

声を出すということはとても気を遣うもので
大きく出せば伝わるものでもなく
一字一句間違わずに読んだからといって伝わるものでもない。

なので、この"声高く読み上げること"という云い方は
声の調子を意識したり単に字を目で追うのではなく

"自分の声で、書かれている本の中味を伝えてゆく"

そんな風に勝手意訳してみました。

・・・それがなかなか難しい(笑)。