一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
家族から
もう疲れました。だから帰ります。
でも今日からきちんと朝10キロ走っています。もう通常運転です。だんだんと普段の生活に戻していこうと思います。
今日、思ったのですが何をするにしろ、どう働くにしろ「お坊さん」として生きればいいのだと思います。
お坊さんらしくみたいな感じではありません。お坊さんとして自分の心に向き合っていきればいいのです。
お経をあげてなくても衣をつけていなくてもいいのです。
自分はお坊さんとしてふさわしいのか。それでいいのか。
そうして自戒しなが生きていればどんな環境でも境遇でも人に何を言われようと関係ないのです。
これは自分の家族がそう教えてくれています。
やはりそこからはじまるものだとあらためて思う次第です。
静けさ
私はもともと静かなことが好きです。できれば静かな空間で静かに瞑想していたい。
でも現実は毎日仕事に追われてあわただしく生活しています。何もゆっくりと考える暇がないくらい。
それで時々、忙しい中に心の中の空間に静けさがうまれます。
例えば夕暮れ時のヒグラシの鳴き声の中の草の匂い。
空に大きくひろがる入道雲に過去の風景を重ねたりして。
もうすぐ秋風がふいてきます。そうしたら彼岸。彼岸が終われば急に寒さを感じるようになるでしょう。
否が応にも静かな時間もふえてきます。
マラソンのシーズンが到来します。今年は去年のような惨敗にならないようにトレーニングしようと思います。
無理は禁物
なんでも完璧にやろうとすると無理がたたります。そうしていつのまにか精神も疲弊してくるのです。
まず自分のできることをある程度限定した方がいいのかもしれません。それをミスなくしっかりと遂行する。
そもそも400メートルトラックを常に全力で走ろうとすれば無理がたたります。どこかで走れなくなるものです。
ならば400メートルを無理なく走って継続する方のが近道の可能性があります。
いや、体調不良でスタッフが一人お休みです。ただでさえも少ない人数なのに。
できないものをできるとすればいつか自分がダメになってしまうでしょう。
そもそも仕事はあくまでも仕事です。やりすぎもよくありません。
明日も無事終えられるように頑張ります。
丁寧
自分自身の心にすむ魔もの。やはり一番弱いところをついてきます。
でもそれが人間です。そうならざるえないのが人間。
悟りを開いた賢者ではないからそうなってしまうのです。
なかなかうまくいかない自分自身とどう折り合いをつけて生きていくか。
さあ、どうする。
まあ、明日は明日で丁寧に生きていこうと思います。それが私の初心です。
一遍上人
今日はようやく集中して仕事ができました。明日で自分の担当ぶんは決まりが付きそうです。
それでも他の人のほうもどんどん片付けをしなければならないので頑張ります。
私、ずっとブログを書く前は日記を書いてきました。その日記が自分で言うのもなんですがまるっきりよくなかったです。たいてい、今日は何々がありました。そしてこうなりました。でも明日も頑張ります。です。
つまらないものなので全部燃やしてしまいました。
一遍上人はあの世に旅立つ前に自分に関するほとんどの文献を燃やしてしまいました。
すべては阿弥陀仏に帰するから必要ないと。
今のこっていれば相当貴重な歴史資料になったでしょう。
確かに一遍上人は当時に最たるアウトロー坊さんの道をいっていたように感じます。
これでいいんだ。とても勇気のあることです。多くはそうしたくても易きに流れてできないものなのです。
権力や団体に迎合しない。
私も今の時代のある意味、異端僧侶です。でも時代に即して生きるのなら自分の信念を貫かなければなりません。
私も上人のようにありたいです。
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