一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
目連尊者
お盆は目連尊者が母親の供養のためにお釈迦様から教えられて行ったのが由来です。
大好きだった母親が神通力でさがしたところ地獄に堕ちていました。驚いた目連尊者はお釈迦様に救いをもとめたのです。
子供には優しかったが他人には冷たかった。それが理由だそうです。
お盆の供養により目連尊者の母親は浄土へとあがることができました。
目連尊者は大神通力があったために他宗の輩にうらまれていました。あいつさえいなくなれば・・・。
何度も危険を神通力で回避していたのですがある時にこう思いなおしました。
これも自分自身の持って生まれた因縁。その因縁を受け入れよう。
目連尊者は自ら殺されることをわかってその因縁を受け入れ旅立ちました。
目連尊者の兄弟弟子、舎利弗は嘆き悲しみ追うようにこの世を去りました。
お釈迦様は一番弟子と二番弟子をいっぺんに失ってしまったのです。
私はこのことがお釈迦様の人間性が少し垣間見ることができて胸が熱くなります。
どんなに悟りを開いた大人格者であっても無常に悲しみからは逃れることができない。
それに大切な人を愛する気持ちはいつの時代も同じだと。
お盆はそんなお釈迦様が目連尊者にのこした弟子への思いにも受け取れるような気がします。
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