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人権

先日、ニュースでイギリスに中国の習近平国家主席は国賓として訪れていた時のこと、「人権に問題がある国にこれだけの経済的援助をしてもらうことに抵抗がないのか」とイギリス国内で問題になっていると取り上げられていました。その時のコメンテーターが「ヨーロッパは人権に向き合ってきた長い歴史がある」と述べた時に、私は少し違和感を覚えました。

まず、第一次世界大戦、第二次世界大戦はヨーロッパを中心に起こりました。第一次世界大戦において、迫撃砲・火炎放射器・毒ガス・戦車・戦闘機など大量殺戮を可能にした兵器を開発したのはヨーロッパ人であってそれぞれの国の利権がからんでの争いだったと思います。その後、敗戦国のドイツが戦勝国からの圧力から再び復興し、反動として世界の歴史上もっとも恐ろしいファシズム政権、ナチスドイツが誕生するのです。裏を返せば、ナチスドイツも争いの絶えないヨーロッパ人が生み出したとものとも言えます。
第二次世界大戦前の世界はヨーロッパ中心の植民地主義の世の中でした。植民地はアフリカ、アジア、南アメリカに及び、ヨーロッパの小さな国土の国々が植民地で得た利益で自国の繁栄を保っていたのです。その時代には確かに人種差別はありました。植民地にされた国々の民族は宗主国とは対等でなかったのは、歴史を検証すれば容易にわかることです。だからこそ、ヨーロッパ人は人権重視の歴史観を持つと言われてもなんだか素直には受け入れられません。

戦前、日本は有色人種として唯一、近代化を成し遂げ、欧米列強と対等な関係を保っていました。あの戦争は軍国主義に傾倒した日本が、正義のアメリカ、イギリス、オランダと戦ったように世界では定められていますが、敗戦と同時に不可侵条約を無視して侵攻してきたロシアも含めて、戦勝国にも勝てば官軍のような歴史の歪曲があったのは事実なのです。戦争に勝てば、敗戦国の領土を好きなように取っていい、若い女性を好きなように弄んでもいい、虫けらのように民間人を殺してもいい、軍人を抑留して強制労働を強いてもかまわない。戦争に負けるとはそういうことです。ドイツのベルリンでは年齢問わず女性の80パーセントがロシア兵によって強姦されました。

第二次世界大戦で多くの人々の苦しみと悲しみの結果、ようやく世界諸国の植民地主義からの独立、人種の平等化が難産の末、誕生することができました。しかし、国同士の生活基準の格差、価値観の異なる国、民族同士の対立はいまだおさまりません。日本は軍事大国であるアメリカの庇護のもと、平和な暮らしを満喫してきましたが、いままでのように自分たちだけ生活に充たされながらの世界平和は通用しなくなってきています。
本当に世界の平和を望むのならば、再び難産がまっています。いいとこ取りをせずに自ら泥まみれにならなければ、本当に世界の国の為に役立ったとは言えないでしょう。
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息る

私たちは毎日、必ず息をしています。当たり前ですが、息をしなくなればそれは死ぬときです。意識せずとも心臓は音をたてて鼓動をならし、口から酸素を取り入れて血液を循環させます。私の父は首に腫瘍ができる病気でした。少しづつ首を絞められるように圧迫され、息がしずらくなっていきます。亡くなる二か月前には首に穴をあけて空気の通りをなんとか確保しました。今思えば苦肉の策だったような気がします。

父の死で思ったのは人は亡くなる前に呼吸が困難になるということです。父のような病気でなくてもほとんど亡くなる直前には呼吸器を最終的にはつけることになります。「ハアハア」と苦しそうだった呼吸がモルヒネを投与の後、少しづつ落ち着いていきました。酸素量がゆっくりとさがっていきやがて静かに死を迎えるのです。呼吸さえ普通にできていれば助かったかと思えば、そうではありません。その前に身体が生きることの状態を維持できなくなったのです。悲しいかな、この身体は必ずいつかは具合が悪くなりどんなに手を加えようが動かなくなってしまいます。

走っているとき、仕事で忙しいとき、緊張しているとき、呼吸が乱れます。しかし、その息が一生懸命な程、「あー自分は生きているのだなー」と感じるのです。呼吸を意識して生活などはできませんが、息してこそ生きれるとおもえば、この呼吸音もなんだかいとおしいような気がします。
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人と比べて

自分が他と比べて優れていようが、劣っていようがそんなことどうでもいい話です。なんてこのように普通にいえるようになれればいいですが現実としてはすぐに人と比べてしまいます。

子供のころ、よく母親の化粧台の鏡で風呂上がりの自分の裸を見たときになんて足が短いのかと嘆いたことがあります。ちょうど、中学生になったばかりのころですから容姿が気になってたまりませんでした。最近、鏡がそれていたので余計短く見えていたのに気付いたのですが、その当時は一大事でした。確かに私はそれほど体系的に足は長くはないのです。そのせいか、いつも初対面の人に「サッカー部でしょ」と言われました。私が大学生の時にJリーグが開幕したので武田修宏選手によく似ていたのもあやかってあまり足の短さは気にならなくなりましたが、時々友達にバカにされようものなら本気で怒っていました。
僧侶の世界に入って、普段は作務衣でいることが多くなりました。この服装は私にとってはもってこいです。ズボンの下の方がブカブカになっているのでまるっきり足の長さはいで立ちとしては引き立ちません。その上、お坊さんの正装である衣姿はこの体型にはよく似合うのです。僧侶仲間に白衣姿が本当に似合うといわれたことがあります。

よく妻に言われることは、足は短くないけど顔が小さく、顔から上の頭が大きい。そして体もそれにくらべてちょこっとしていて小学生のような体型だといわれます。これは明らかに遺伝なのですが、兄弟ではどうも私だけがそれを引き継いだみたいです。ちなみに大人になった今でもお尻に蒙古斑があります。
「少年の心をもった大人ですね」ある信仰の道に励む人から言われたことがあります。それでは体型も心も子供っぽい自分が、もしかしたら他の人よりも優れているところかもしれません。
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手いっぱい

皆、自分のことで手いっぱい。何もかもが完璧な人間なんていやしない。いざとなれば自分や自分の家族が一番大事になる。この地球にはたくさんの国があるが、そんな手いっぱいの人がそれぞれの国の未来を方向付けていると思うと本当に不安に駆られます。

選挙のときはさもそれが正しく、自分にはそれを遂行できる特別な存在とばかりに演説をくりかえしますが、いったい本当に何がいいたいのか、何がしたいのかわかったものではありません。私には与党も野党もまた平和を訴えている若者も言葉のレトリックみたいに、何かの信念に乗っかっているように思えてなりません。
幕末には倒幕派、尊王攘夷派、開国派とわかれて国難に対し、多くの血が流れ、異国の侵略から日本を守りました。それぞれが信念を掲げて国をまとめようとしたわけですが、尊王攘夷と思えば西洋諸国と強く結びついたり、あれだけ開国派をののしりまくり弾圧したわりには結局は同じような思想だったのではと思えてきます。
今の時代はある意味、明治維新のときのように日本の国にとって大きな転換期です。それは世界全体にとっても今まで保ってきた秩序が再編される大きなうねりが起こってきています。その中で、もし真の日本人として生き抜くならば、この国が私たちの孫子の代に今よりも世界から信用され、頼られ、愛されるような国にしていかなくてはなりません。第二次世界大戦後、日本は敗戦国としての足かせをはめながら、自らの主張よりも相手国の意見が尊重される立場として国の繁栄、世界の繁栄を目指してきました。いまだに少しでも軍事的な方向に向きようものなら、今回の安保法案の時のように中からも外からも批判の対象になります。
日本は戦後、他国の主権や人権を尊重しないような行為を一度もしてきませんでした。国益の為だからとむやみに領土を拡張するようなことも、圧力をかけるようなこともしてきていません。しかし、戦後70年たっても残虐な民族だと言われ続けます。まるであの忌まわしい戦争のすべてが日本の国に責任があったかのように。いとも簡単に自国の目をそむけたくなるような蛮行を日本の責任のようにすり替えられてしまうのです。

私は思います。今、信条がどうであれ日本人であるならば日本の未来をどんなことがあっても守りぬく気概をもってください。安保法案が賛成だろうが、反対だろうがこの国の中で起こっていることならまだ安心です。もしそんなこと抜きに日本人としてのひとくくりで、諸外国と何か問題が起こったときに一番に自分達の子孫が守られるようにするにはどうすべきかを考えてください。日本、日本と自分達の国さえよければいいのかと感じる人もいるでしょう。しかし自分を愛せない、守れない人が誰かを愛したり、守ったりできないのは国にあてはめても同じことだからです。

本当にこの国を愛する気持ちがまとまれば、今までにない本当の意味で世界に貢献できる国に成長することができます。私は日本人が笑顔で生きられる未来をどうしても守りたいと思います。
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思えば

ふと振り返れば、自分もずいぶん年をとってしまったように感じます。まだまだ若いとばかり思っていたのに、ニュースで41歳の千日回峰行の行者さんが行満されているのを観て、もう世間に何かをなしとげてもおかしくない年齢なんだとふと感じられました。巨人軍の新監督になるでろう高橋由伸選手も40歳です。私も同世代なので、これからの10年間は気を引き締めて邁進していこうと思います。

人生の後半はまるで秋の夕暮れのつるべ落としのように、どんどん過ぎていくような気がします。夢や希望よりも、とにかく日々の生活で精一杯。まだ20代の頃、「あーなりたい。こーなりたい」と思っていたのがウソのようです。高校生や大学生、若くてエネルギッシュな若者を見るとなんだか、うらやましくなります。まだまだこれから、いくらでもやり直しもきくし、どんどん自分の道をみつけてほしい。少しぐらいつまづいても大したことない。それは私ぐらいの年齢になればつくづく思うのです。人生は頑張ったもの勝ちです。

学生時代、成績が悪かろうが、いじめられていようが、先生からえこひいきされていようが、くずあつかいされていようが関係ありません。そんな過去をものともせず、頑張ってこつこつ仕事をし、家庭をもち生き生きくらしていれば、自分が認めなくても周りは自然と認めてくれます。社会にでれば、その人が過去どうだったのなんて気にしているひまなどないのです。皆、今を生きているからです。ほとんどの目線はそこに集中しています。
もちろん、これから油断して信用をなくせば、その報いを受けなくてはなりません。でも油断さえしなければ、道は大なり小なり曲がっていきますが、それなりにそれなりの人生が楽しめるはずです。

幸せは意外に単純な生活の中にあるものなのです。

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