一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
仕事と責任
先日、テレビで今回の横浜マンション傾き問題についてコメンテーターの方がこう話されていました。
「今の時代、仕事に対する責任の所在があいまいになっているのではないか。偽装した工事管理者も工期を間に合わせるため、会社の意向だから仕方ないか。自分は確かに、杭をいい加減に打つはめになったがある面では会社の利益の為。大事にならなければ大丈夫。だからそんなに悪いことしているわけではない。そんな顧客優先でない気持ちが今回の問題につながっっているのだと思う」
確かに、全体的な意識でいうとそうあるのがいいとなっていれば、みんな無意識に罪悪感も感じないでしてしまうのかもしれません。
「誰も知らなくても、己自身の良心が許さない」
そんな高邁な精神が以前の日本人の心の中にはありました。しかし、段々と「いいか。周りもやっているから。自分だけくそ真面目でやっても何にも得にならないだけ損だ」と「自分だけよければそれでいい」といういい加減さが時代とともに蔓延してきたのも事実です。
「仕事は自分のライフワークとして誇りをもって行っていれば、必ず自らの魂の向上につながる」
そのことを働く私たちが自覚していかなくては、次第に濁った空気に包まれた国土に日本が変わっていってしまうでしょう。
「今の時代、仕事に対する責任の所在があいまいになっているのではないか。偽装した工事管理者も工期を間に合わせるため、会社の意向だから仕方ないか。自分は確かに、杭をいい加減に打つはめになったがある面では会社の利益の為。大事にならなければ大丈夫。だからそんなに悪いことしているわけではない。そんな顧客優先でない気持ちが今回の問題につながっっているのだと思う」
確かに、全体的な意識でいうとそうあるのがいいとなっていれば、みんな無意識に罪悪感も感じないでしてしまうのかもしれません。
「誰も知らなくても、己自身の良心が許さない」
そんな高邁な精神が以前の日本人の心の中にはありました。しかし、段々と「いいか。周りもやっているから。自分だけくそ真面目でやっても何にも得にならないだけ損だ」と「自分だけよければそれでいい」といういい加減さが時代とともに蔓延してきたのも事実です。
「仕事は自分のライフワークとして誇りをもって行っていれば、必ず自らの魂の向上につながる」
そのことを働く私たちが自覚していかなくては、次第に濁った空気に包まれた国土に日本が変わっていってしまうでしょう。
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