一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
役者
時々、自分がこうしてこの世界で生きているのに自分でない感覚になります。
まるで自分というものを客観的に動かしている何かが存在するみたいに。
あきらかに不完全で欲深く、小心者でビビり。先が読めずに自己中心。そんな私がまるで別人のように僧侶としてこの世界で生きている。
同じ人なのに同じ人のような気がしない。まるで芸能人が役になりきってそのまま生きているように。
よくこんな話を聞きました。本物の役者は他に感動を与える。だから僧侶として役者のように自分を演じきれと。
私はこの言葉にいつも違和感をもっていたのです。何故なら役者はその役になりきっているだけでその人自身ではない。
自分も本物の僧侶として自分自身として生きたいと。
どうでしょう。多少年をとって本物、清廉潔白、清貧、聖者、人格者、善人でなくても人は私を必要としてくれているのだからこんな感じでもいいかと思うようになりました。
嘘をついているわけではありません。私はすごいお坊さんだと一言もいっていないのですから。
修行をつんで僧侶として生きているただのお坊さんです。それでも人は私のことを認めてくれます。
役者は大変です。演技と自分の区別がつかなくなるのではないでしょうか。
私も多少、その気持ちがわかります。
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