一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
ガンジス川
暑くて頭がくらくらします。こんな暑さの中ずっと外仕事をしている人に頭がさがります。
この世の中、何もかもきまったようにうまくはいきません。ある意味、清も濁も併せ持つくらいでなければやっていけないのです。
あの時、自分がこうしておけばよかった。確かにそれはその通りかもしれません。でも仕方ないのです。頭で考えるのと胸で考えるのでは違います。
そうしておけばよかったはあくまでも後から思うことであって事実ではありません。そして真実でも。
真実とはある意味、清も濁も併せ持つことなのかもしれません。
あるべきようは
言葉の意味はなせることすべてその通りということです。良かれとしても悪しき結果に終わったとしてもそれがその時の真実。あるべきようだったのです。
五輪代表の体操選手が喫煙と飲酒で代表辞退になりました。
でも彼女の人生はそれで終わったわけではありません。今はつらく反省の日々かもしれませんがそれで終わり、終止ではないのです。
あるべきようはとはそこから何を得て何を選択してどう変わるかの過程だと思います。
清も濁の併せ持ったとしてもガンジス川のようにきれいでなくても尊ければそれでいいのではないでしょうか。
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