一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
次の時代の真理
それは私のせいではないのです。時代の流れ。この大きな流れには誰も逆らえません。
どうして明治維新の時にちょんまげを辞めたのでしょうか。今まで通りのスタイルでいいとは誰も思わなかった。それが流れだから。
お寺社会の変貌も誰もとめられないのです。お寺の数が20年後には今の半分に減る。本山の偉い方がそう述べたと聞きました。
私はそれを外側から見ている立場です。つまりその潮流から違うスタイルへと変化した側。
納得できる存在ではないのかもしれません。
その流れをつくったのは私ではないのです。確かに流れに先にに乗ったのは確か。
でも自分がその張本人なんてそんな力は私にはありません。
よーく考えてみてください。私がその世界からしたら異端児であったとしても私ではいのです。
誰かのせい、お前が悪い。お前のしていることは道理に反する。人間性の欠如。和を乱す者。
どうして戒名の文字数でお布施の金額が大きく変わってしまうのでしょうか。誰がそんなことをきめたのでしょうか。そしてこれは仏教界にとって未来永劫に続けなくてはいけない真理なのでしょうか。
今の時代の真理が次の時代の真理とは限りません。
私が流れにのって楽しくしているとでも思って。
けっして楽はしていません。命を削っています。
もう次の時代の真理から目を背けてはいけないのです。
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