ちょっと前の話。
ある日、妻がクルマを走らせていたら、前から対向車が来た。
交差する時、対向車を見たら、近所のお寺の住職さんだった。
住職さんは、僕や妻と同世代・・・おそらく40代らしき方だ。
妻は軽く会釈したが、住職さんはそれに気付かなかったのか、
前方を向いたまま走り去ったという。
妻が見た限り、住職さんは別に妻を無視したわけではないらしい。
クルマを運転しながら、携帯で話をしていたのだそうだ。
これは交通ルール違反であることは明白だ。
しかし、残念ながら街中でよく見る光景であることも確かだ。
僕は一度もそういうことをしたことがない・・・と言えば
ウソになる。
しかし、どうも違和感がある。
この話を妻から聞いた時、僕はそう感じた。
それはたぶん“住職さん”という、言わば特別な“職種”に
引っかかったのかも知れない。
昔から“聖職”と呼ばれる職種がある。
学校の教師などが、最も顕著な例だと思う。
あと、警察官とか医者もその類いではないだろうか。
そして、宗教に関わる仕事・・・神父、宮司、住職も“聖職”
と呼ばれる職種だろう。
大人になって、分かったことがある。
それは、世の中に“聖職”なんてモノはない、ということだ。
どんな仕事でも、自分の心身を奉仕してその対価を貰っている
ことに変わりはない。
それなのに、なぜか、教師や医者や神父には、何かしらの威厳
というかオーラというか、そんなモノを感じてしまう。
人間の生死につながりが深いからかもしれないが、それは、限
りなく錯覚に近い幻想なのだ、と僕は思う。
今回の妻の一件で、僕が違和感を感じたのも、それに関係が
あるのだろう。
住職は“聖職”なんかじゃない、なんて言いながら、やはり
その長年の幻想に、心のどこかでいまだに引きずられている
のだと思う。
そんなこと考えていたら、いろんなことが頭に浮かんできた。
例えば・・・その住職さんの携帯はスマホだったのだろうか?
もしスマホなら、ツイッターとかmixiとかするのだろうか?
どこに電話していたのだろうか?
海外への電話なら、やっぱり住職でも最初は“ハロー”という
のだろうか?
クルマの中では音楽を聴いていたのだろうか?
それは民謡や演歌ではなく、AKBや韓流POPだったのだろうか?
それともパンクロックやヒップホップだったのだろうか?
それとも山下達郎の「クリスマスイブ」なんか聴いて、“あぁ、
今年も、もうそんな季節か・・・”なんて感慨に耽っている
のだろうか?
そんなことをが次々から次々へと浮かんでくる。
浮かんだ疑問は、脳みそで熟考されないで、そのまま口から出て
妻へ投げかけられる。
宗派は別として、尾道は寺が多いが、尾道だけの寺院の“組合”
のような団体もあるのだろうか?
もしあるのなら、この時期には忘年会とかするのだろうか?
どこでするのだろうか?
ホテルでの立食パーティーでもOKなのだろうか?
コンパニオンは呼ぶのだろうか?
もしもコンパニオンを呼んで、それが全員、瀬戸内寂聴レベルの
尼さんだったら、やっぱり激高するのだろうか?
ゴルフコンペとかも開催するのだろうか?
OBを打ってしまった時に“ファ―――!”と言うのだろうか?
もし言うんだったら、日々の読経の成果で、キャディーさんより
声が通るのではないだろうか?
お寺とは関係ない遠縁の親戚の結婚式に招待されて、その結婚式が
教会だったらどうするのだろうか?
讃美歌を歌わなければいけない場面になったら、素直に歌うのだろうか?
それともみんなが讃美歌を歌う中で、1人だけ般若心経を読むのだろうか?
それ以前に、その時の服装は、やはり洋服ではなく、袈裟をかけた
ような格好なのだろうか?
そういえば、近所の住職さんはクルマを運転していたけど、その
クルマには、交通安全のお守りを付けているのだろうか?
それは交通安全で有名な神社のお守りなのだろうか?
クルマを購入した時、ディーラーに値引きとかオプションの追加とか
そんな俗世的な要求をしたのだろうか?・・・・・
・・・・妄想は、どこまでも続く(笑)
ある日、妻がクルマを走らせていたら、前から対向車が来た。
交差する時、対向車を見たら、近所のお寺の住職さんだった。
住職さんは、僕や妻と同世代・・・おそらく40代らしき方だ。
妻は軽く会釈したが、住職さんはそれに気付かなかったのか、
前方を向いたまま走り去ったという。
妻が見た限り、住職さんは別に妻を無視したわけではないらしい。
クルマを運転しながら、携帯で話をしていたのだそうだ。
これは交通ルール違反であることは明白だ。
しかし、残念ながら街中でよく見る光景であることも確かだ。
僕は一度もそういうことをしたことがない・・・と言えば
ウソになる。
しかし、どうも違和感がある。
この話を妻から聞いた時、僕はそう感じた。
それはたぶん“住職さん”という、言わば特別な“職種”に
引っかかったのかも知れない。
昔から“聖職”と呼ばれる職種がある。
学校の教師などが、最も顕著な例だと思う。
あと、警察官とか医者もその類いではないだろうか。
そして、宗教に関わる仕事・・・神父、宮司、住職も“聖職”
と呼ばれる職種だろう。
大人になって、分かったことがある。
それは、世の中に“聖職”なんてモノはない、ということだ。
どんな仕事でも、自分の心身を奉仕してその対価を貰っている
ことに変わりはない。
それなのに、なぜか、教師や医者や神父には、何かしらの威厳
というかオーラというか、そんなモノを感じてしまう。
人間の生死につながりが深いからかもしれないが、それは、限
りなく錯覚に近い幻想なのだ、と僕は思う。
今回の妻の一件で、僕が違和感を感じたのも、それに関係が
あるのだろう。
住職は“聖職”なんかじゃない、なんて言いながら、やはり
その長年の幻想に、心のどこかでいまだに引きずられている
のだと思う。
そんなこと考えていたら、いろんなことが頭に浮かんできた。
例えば・・・その住職さんの携帯はスマホだったのだろうか?
もしスマホなら、ツイッターとかmixiとかするのだろうか?
どこに電話していたのだろうか?
海外への電話なら、やっぱり住職でも最初は“ハロー”という
のだろうか?
クルマの中では音楽を聴いていたのだろうか?
それは民謡や演歌ではなく、AKBや韓流POPだったのだろうか?
それともパンクロックやヒップホップだったのだろうか?
それとも山下達郎の「クリスマスイブ」なんか聴いて、“あぁ、
今年も、もうそんな季節か・・・”なんて感慨に耽っている
のだろうか?
そんなことをが次々から次々へと浮かんでくる。
浮かんだ疑問は、脳みそで熟考されないで、そのまま口から出て
妻へ投げかけられる。
宗派は別として、尾道は寺が多いが、尾道だけの寺院の“組合”
のような団体もあるのだろうか?
もしあるのなら、この時期には忘年会とかするのだろうか?
どこでするのだろうか?
ホテルでの立食パーティーでもOKなのだろうか?
コンパニオンは呼ぶのだろうか?
もしもコンパニオンを呼んで、それが全員、瀬戸内寂聴レベルの
尼さんだったら、やっぱり激高するのだろうか?
ゴルフコンペとかも開催するのだろうか?
OBを打ってしまった時に“ファ―――!”と言うのだろうか?
もし言うんだったら、日々の読経の成果で、キャディーさんより
声が通るのではないだろうか?
お寺とは関係ない遠縁の親戚の結婚式に招待されて、その結婚式が
教会だったらどうするのだろうか?
讃美歌を歌わなければいけない場面になったら、素直に歌うのだろうか?
それともみんなが讃美歌を歌う中で、1人だけ般若心経を読むのだろうか?
それ以前に、その時の服装は、やはり洋服ではなく、袈裟をかけた
ような格好なのだろうか?
そういえば、近所の住職さんはクルマを運転していたけど、その
クルマには、交通安全のお守りを付けているのだろうか?
それは交通安全で有名な神社のお守りなのだろうか?
クルマを購入した時、ディーラーに値引きとかオプションの追加とか
そんな俗世的な要求をしたのだろうか?・・・・・
・・・・妄想は、どこまでも続く(笑)