私がこっちに戻ってくる前日は日中1日看護を担当した。
午前中から、ぶつぶつせん妄なのか、父は文句を言う。
「昔から人間は畳の上で死ぬって決まっとんじゃ。なんでそんな簡単な事を叶えてくれんのぞ。家に帰らせてくれや。」
「夫婦なのにぞな母と離れて暮らしよるとはバカな話じゃ。おかしいとは思わんのか。」
「わしは何のために生きとるんかわからんなった・・・・」
口数の少ない普段の父とは違う、人が変わったようにまともな事をくどくど言う。あまりにも妥当な事を言われると返す言葉がなく、うっとつまることも何度もあった。
こんな会話、いや、一方的な父の話が続いた。
お昼を食べた後、体温も平熱だったので、思い切って散歩に出る事にした。
この変な空気を一新したいという気持ちもあった。
「お父さん、散歩行こか」
「お前どこに行くんぞ」
「散歩や散歩」
外出届けを出して、ベッドから車いすに移動をさせて、毛布を上にひっかけて、まずエレベーターに乗って、病院の外に出た。
雨が降ると言われていたけど、今の所まだお天気。
5月の風が気持ちいい。
「お父さんはぼけてきた。なにがなんやらわからんなってきた。」
「お父さん、本当にぼけとったら自分がぼけとるなんてわからんよ。お父さんはそれがわかるだけまだましよ。」
「そうかのう・・・」
お尻の肉がなくなってお尻が痛い痛いと言っていたので、クッションのない車椅子ではさぞ痛かろうと、
「お尻大丈夫?」
と、聞いたら、
「何事も我慢我慢!」
と、普段我慢をしない父には珍しく殊勝な事を言っていた。
病院の前を通って大通りに出るとすぐ電車通りだ。
もう家まで行っちゃおうか。
路面電車の線路だけ気になったけど、引っかかりながらも一気に渡った。
道路をよたよた、車いすを押しながら、もう一つの線路を渡らなければならない。
今度は後ろ向きで進んだ。
後ろ向きの方が車輪が引っかからなくて楽なのだ。
いざとなったら工事現場のお兄ちゃんに助けを求めればいい。
自宅近所になると、
「おー、懐かしの故郷の道」
と父が言った。
家に着いたはいいけど、はて、どうしよう。
車庫に車いすを停めて、父には待っていてもらった。
家には誰もいない。
母の携帯に電話をすると、私の娘を連れて温泉に連れて行って出た所だと言う。
「危ないから一人で絶対入れないで! 倒れたらそれこそ大変だから」
と、きつく言われた。
私も父をしょって階段を登ってベッドにまで運ぶ自信がなかったので、車庫にいたまま水を飲んでもらった。
「わしを押して来た人にも水をあげてくれや。相当喉が渇いとるはずや」
「押したんは私やがな」
「ほおか」
全然わかってない。
「さ、帰るぞ」
帰ってんけどな~。
今、どこにいるのかわかってないみたい。
これだと部屋に運んだとしても、一瞬はわかってくれても、またどこにいるかわからなくなるかもしれないな。
「お前はなにぐずぐずしよんぞ。早よ帰らんか!」
怒った口調で言うので、こっちも腹が立って、
「ほな、帰るよ!」
と、ぐいぐい車いすを押し始めた。
せっかく家に連れて帰ったのに・・・・
でもしょうがないわな。
同じ道を病院まで戻った。
路面電車の横断歩道では年配の女性が気にかけてくれて、渡り切るまで車を誘導してくれた。
「ありがとうございました」
と、お礼を言ってまた押す。
病院に無事着いた。
往復1時間の小旅行。
病室に戻ると、何だか父の部屋に戻って来たみたいで、父もほっとしたようだった。この部屋が父の部屋になっちゃった。
さすがに疲れた様子で、3時にお相撲が始まる頃には爆睡していた。
5時頃回診があったので、
「今日は引きずり回したのでばてて寝ています」
と伝えた。
「ほお、家に帰れたんですか。よかったですね。」
父はへばって寝ている状態。
「ロバの荷馬車の上に乗ってたみたいですね。よく行ったわ。」
と、先生も笑っておられた。
私たちもげらげら笑った。
午前中から、ぶつぶつせん妄なのか、父は文句を言う。
「昔から人間は畳の上で死ぬって決まっとんじゃ。なんでそんな簡単な事を叶えてくれんのぞ。家に帰らせてくれや。」
「夫婦なのにぞな母と離れて暮らしよるとはバカな話じゃ。おかしいとは思わんのか。」
「わしは何のために生きとるんかわからんなった・・・・」
口数の少ない普段の父とは違う、人が変わったようにまともな事をくどくど言う。あまりにも妥当な事を言われると返す言葉がなく、うっとつまることも何度もあった。
こんな会話、いや、一方的な父の話が続いた。
お昼を食べた後、体温も平熱だったので、思い切って散歩に出る事にした。
この変な空気を一新したいという気持ちもあった。
「お父さん、散歩行こか」
「お前どこに行くんぞ」
「散歩や散歩」
外出届けを出して、ベッドから車いすに移動をさせて、毛布を上にひっかけて、まずエレベーターに乗って、病院の外に出た。
雨が降ると言われていたけど、今の所まだお天気。
5月の風が気持ちいい。
「お父さんはぼけてきた。なにがなんやらわからんなってきた。」
「お父さん、本当にぼけとったら自分がぼけとるなんてわからんよ。お父さんはそれがわかるだけまだましよ。」
「そうかのう・・・」
お尻の肉がなくなってお尻が痛い痛いと言っていたので、クッションのない車椅子ではさぞ痛かろうと、
「お尻大丈夫?」
と、聞いたら、
「何事も我慢我慢!」
と、普段我慢をしない父には珍しく殊勝な事を言っていた。
病院の前を通って大通りに出るとすぐ電車通りだ。
もう家まで行っちゃおうか。
路面電車の線路だけ気になったけど、引っかかりながらも一気に渡った。
道路をよたよた、車いすを押しながら、もう一つの線路を渡らなければならない。
今度は後ろ向きで進んだ。
後ろ向きの方が車輪が引っかからなくて楽なのだ。
いざとなったら工事現場のお兄ちゃんに助けを求めればいい。
自宅近所になると、
「おー、懐かしの故郷の道」
と父が言った。
家に着いたはいいけど、はて、どうしよう。
車庫に車いすを停めて、父には待っていてもらった。
家には誰もいない。
母の携帯に電話をすると、私の娘を連れて温泉に連れて行って出た所だと言う。
「危ないから一人で絶対入れないで! 倒れたらそれこそ大変だから」
と、きつく言われた。
私も父をしょって階段を登ってベッドにまで運ぶ自信がなかったので、車庫にいたまま水を飲んでもらった。
「わしを押して来た人にも水をあげてくれや。相当喉が渇いとるはずや」
「押したんは私やがな」
「ほおか」
全然わかってない。
「さ、帰るぞ」
帰ってんけどな~。
今、どこにいるのかわかってないみたい。
これだと部屋に運んだとしても、一瞬はわかってくれても、またどこにいるかわからなくなるかもしれないな。
「お前はなにぐずぐずしよんぞ。早よ帰らんか!」
怒った口調で言うので、こっちも腹が立って、
「ほな、帰るよ!」
と、ぐいぐい車いすを押し始めた。
せっかく家に連れて帰ったのに・・・・
でもしょうがないわな。
同じ道を病院まで戻った。
路面電車の横断歩道では年配の女性が気にかけてくれて、渡り切るまで車を誘導してくれた。
「ありがとうございました」
と、お礼を言ってまた押す。
病院に無事着いた。
往復1時間の小旅行。
病室に戻ると、何だか父の部屋に戻って来たみたいで、父もほっとしたようだった。この部屋が父の部屋になっちゃった。
さすがに疲れた様子で、3時にお相撲が始まる頃には爆睡していた。
5時頃回診があったので、
「今日は引きずり回したのでばてて寝ています」
と伝えた。
「ほお、家に帰れたんですか。よかったですね。」
父はへばって寝ている状態。
「ロバの荷馬車の上に乗ってたみたいですね。よく行ったわ。」
と、先生も笑っておられた。
私たちもげらげら笑った。