ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

昨日の続き

2007年10月17日 22時46分28秒 | 古い日記
以下、北朝鮮の帰国事業の際に実際にあった話。

(いや、テレビでそう言っていただけなので、保障はしないけど)

一足先に帰国する事になった親戚の一家がこう言った。

「手紙の内容は、当たり障りの無い事書くから。
 もし、ボールペンで書いてあったら、すぐにでもこっちに来い。
 でも、鉛筆で書いてあったら、絶対に来るな」

以来、何通か手紙が着たが、全て鉛筆書きだった。

これを見た俺の親父(故人)は、激しく納得していた。

「そう言えば、俺には死んだ妹がいたんだ」
「そうなの?」
初耳だった。
「女子高生の時、病気で入院してな。退院したらボールペン、
いや、当時の名前はボール・ポイント・ペン。それを買ってやる約束をしていた」

(結局、父はその約束を果たせなかった)

さて。

終戦直後、(1940~50年代?)の日本では、
「ボール・ペン=アメリカから来た夢の筆記用具」で、
おいそれと手に入る物ではなかったらしい。

ペン先のボールはベアリングの様に「精度の良い金属球体」でなければならない。
しかも「職人の手作り」では、庶民には行き渡らない。

つまり、「ボールペンの大量生産」はある意味、
その国の技術力の試金石だった。

もし、「北の国」が日本で言われているように工業国だったら、
ボールペンくらいは簡単に手に入る筈である。

そういう含みが「ボールペン」にはある。(多分)

さらに言えば……

「手紙」は「書かれている内容」なんぞよりも、
「使っている筆記用具」で、その生活レベルが十分、推し量れる。

俺が「鉄っちゃん」や「軍オタ」に一目置くのは、
彼らがそういう視点(ハードウェアの細部重視)で物を見るからで、
「人間の口先」や「国家のプロパガンダ」を容易に信じないからである。

そう言えば軍事評論家の江畑さんってどうしているのかな?