ひろむしの知りたがり日記

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「燃えよ!カンフー」の敵を「キル・ビル」で討て!(1) ─ 「燃えよ!カンフー」編

2014年05月04日 | 日記
1966年にレギュラー出演した「グリーン・ホーネット」で、ブルース・リーはそれまで誰も見たことがないスピーディーでパワフルな功夫アクションを披露し、アメリカ人たちを魅了しました。しかし、番組としてはその前に放映されていた人気シリーズ「バットマン」の高視聴率には及ばず、26話で終了します。その後はいくつかのTVドラマや映画に端役で出演したり、武術指導を務めたりはするものの、より創造的で次元の高い演技や役柄を求める彼の野心と情熱は、決して満たされることはありませんでした。

1971年、ワーナー・ブラザースは連続TVアクションドラマ「ウォリアー」を企画します。少林寺で功夫を学んだアメリカ人と中国人のハーフであるクワイ・チャン・ケインが、19世紀中頃、西部開拓時代のアメリカに渡って様々な苦難を乗り越えながら放浪するという物語です。彼は自分から争いをしかけることはありませんが、やむにやまれぬ状況に追い込まれ、最後は磨き上げた武術の腕に訴えて虐げられた弱者たちを救います。また彼が体現している東洋哲学の叡智が、周囲の人々の心を捉えます。

ブルースはこの企画を知らされた時、それがまさに自分にふさわしいものであると確信し、制作会社のワーナーに対して、細部にわたって数多くのアイディアを提供しました。彼は当然のことのように主演を期待していましたが、実はワーナーも放映元のABCテレビも、彼の起用を考えてもいなかったのです。
12月、香港で「ドラゴン怒りの鉄拳」をヒットさせたブルースのもとに、ワーナーから「ウォリアー」を降ろされたという電報が届きます。あまりに無名であるとか、小柄すぎるとか、経験不足であるとか、英語の発音が完璧でないといった理由が挙げられていましたが、「グリーン・ホーネット」で流暢な英語を話し、主人公を上回る人気を勝ち取ったブルースに向けられたものとしては、はなはだ根拠が薄いと言わざるをえません。真の原因は、アジア人に対する人種差別にあったのです。スポンサーがあまりに中国人らしく見える俳優が、毎週放映されるTVシリーズの主人公を演じることに危惧を感じたという一事に尽きます。
こうしてハリウッドでビッグなスターになるというブルースの夢は、決定的な挫折によって一端幕を閉じます。彼は香港で、映画俳優としてのキャリアを積んでいくことを心に決めるのです。

「ウォリアー」は「クンフー」(KUNG FU)と題名を変えて、1972年に全米で放映されました。邦題は「燃えよ!カンフー」です。主演のデイビッド・キャラダインは、これっぽっちも中国人の血が流れていないブロードウェイあがりの俳優で、功夫についてはその名を聞いたことがあるという程度の知識しか持ち合わせていませんでした。物静かで思慮深い男を演じるのはまあまあさまになっていても、そのアクションのキレは、ブルースの華麗な功夫技を知る者の目にはいささか物足りず、まるで素人が踊るダンスを見ているようでした。
そうは言ってもこのドラマ、相当人気があったらしく、6シーズン、全62話が放送され(1972年~75年)、さらには舞台を現代に移した全21話の「新・燃えよ!カンフー」(KUNG FU:THE LEGEND CONTINUES。1993年~97年)、1986年には外伝「ブランドン・リーのカンフー・ファイター」(KUNG FU:THE MOVIE)が作られ、キャラダインとブルースの子ブランドンとの共演まで実現しています。残念ながら、そのほとんどを私は見ていませんが、これだけやればキャラダインの功夫アクションの腕も、相当に上がったことでしょう。

功夫と西部劇のコラボ「燃えよ!カンフー」

つい皮肉っぽくなってきましたので、気を取り直して話題を変えることにしましょう。
少林寺でケインに功夫と東洋の哲学思想を教えた師匠の1人が盲目のポー老師です。しかし修行を終えて寺を去ったケインは、再会したポーを目の前で撃たれ、さらなる銃撃を避けるためにやむなく清国皇帝の甥を殺めてしまいます。こうして追われる身となった彼は、アメリカへ逃れることになるのです。
物語の発端に関わる重要な役割を果したポーを演じるケイ・ルーク(陸錫麒)は、ブルースとは浅からぬ縁のある役者です。彼は人気ラジオ・ドラマを1939年に劇場映画にした「グリーン・ホーネット」の初実写化版で、後にブルースが演じたカトー役をやっています。さらに、「燃えよドラゴン」で悪の総帥ハンに扮したシー・キエンが英語が不得手だったため、セリフの吹き替えを担当しました。
ついでに言えば、やはり「燃えよドラゴン」でブルースとともにハンの要塞を壊滅させるローパーを演じたジョン・サクソンが、「燃えよ!カンフー」にゲスト出演しています。

ブルース・リーのハリウッドにおける挫折は、「ウォリアー」が最初ではありませんでした。かけた時間や労力の分量から見れば、むしろそちらの方が彼に与えたダメージは大きかったかもしれません。
それこそが遡ること3年前、ブルースが俳優としての飛躍を賭けて自ら考え出した冒険活劇映画「サイレントフルート」の制作計画でした。


【参考文献】
リンダ・リー著、柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』キネマ旬報社、1993年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年
関誠著「「グリーン・ホーネット」魅力の源泉はブルース・リーにあり!」『キネマ旬報』2月上旬号(No.1574)
  キネマ旬報社、2011年

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