GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

世間体と青年団 1960年

2009年06月20日 | 青年団鎌形支部『心の集い』
 全国的にも出稼青年の多い現在、青年団活動も組織運営などいろいろの面で従来どうりの方針では活動しにくく、活動が低下していると思います。本当に青年団が必要であるだろうか?……とこんな事を考えた事もあるが(こんな事を言っては無責任かもしれないが)必要である事は、自分自身、身を持って体験した。農村にいくらテレビやラジオが普及して来たとはいえ、まだまだ私達はこれらのものから吸収できないもの、つまり団体生活を行って行く中に、お互の人格を向上させて行く事を体験し、実行して行く事だ。この中から社会を見る目をやしない、互に親善をはかる事によって、私達は少しでも、将来への確実な土台を築いて行くのだ。だからして農村青年の修養の場としては身近な青年団が一番ふさわしいと思う。だがこう考えて来ると私達とは切っても切りはなせないはずの青年団ではありながら、入団者も減少し、活動が低下して行くのだかろうか?……
 行事が多く、毎年の行事をくり返しているために興味がなかったり、又時間的に私達はおわれていると思う。日曜も休まずに働きにでなければならない現在の家庭生活、……。団活動も行事を日曜へふりむけてはいるが、このたまの行事にも参加出来ない環境に立つ人達もいる。こんな現状で利用できる時といえば夜だけであるので、夜の活動が多くなるが、女子など家人の理解がなければ出席できない事が多い。又「では理解してくれるが、「周囲の人の口がうるさいから青年団はぬけろ」と母親に言われ、退団した人もいる。これは一部にすぎないが女子活動の不活発な原因の一片であると思う。だが私達は、家の人、近所の人達に理解してもらえるように努力する事もたりないのかもしれない。農村に根強く残っている封建性や世間体というものに、私達自身まきこまれているように思う。よく、「年寄の云う事はみんな古いから」と頭からきめつけてしまいがちであるが、祖父や父母達を批判するより、私達が考えなおさなければいけないのだ。農村の封建性がやぶられない原因の一つに、農村の若人の婚期が早い事が上げられる。つまり自分の考えがまとまらない若いうちに結婚するか事から、姑や祖父の言うなりになってしまうと、こんな意見も耳にしました。又ある本で、今の若い人達は自分の意見を通そうとするが、自分達から進んで親に孝行する事はしないと書いてあった。私などもこの言葉には考えさせられる事が多い。だからして周囲の人達に青年団というものを理解してもらう事も大切であり、共に奉仕作業も必要になってくるのではないか(団員の減少により不可能な事もあるが)。行事も全団員の参加できる行事を多くとり入れる事も良いが、今の環境ではちょっと疑問である。このためグループ活動が生まれているのだろうが、このような中で活動と共に仲間作りと云うか、皆がしっかり、団結していかなければならないと思う。
 又、いろいろの行事の行なわれた後など、一定の時間の余裕を見ておき、ざっくばらんのおしゃべりでなく、テーマをきめてあまりかたくならない程度の雑談会など、皆の心のほぐれるようなチャンスが必要だと思います。(何年か前、大野支部長さんの時だと思う。将軍沢との雑談会が正月四日、料理講習の後で行なわれた事や、前団長内田章さんの時、婦人会との話し合いが行われているが、これらは良い例だと思います。ただおしい事は話し合いできまったのに実行されていない事です。)とかく青年団と云うと、お祭り青年団だとか、一杯青年団だとか言われますが、青年団外の人達とも良く話し合い、お互の立場を知り合ったら、もっと私達も楽しく、こだわりがなく青年団活動に参加出来るのではないでしょうか。
 私など青年団の味をしめたと云っては変かも知れませんが、青年団が本当に真じめな集団である事を信じます。そして、お世辞でなしに青年団という所が、私は大好きです。
     菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年


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