GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

これからの農業 SY生 1960年

2009年06月22日 | 青年団鎌形支部『心の集い』

 最近私はある人に会い、こんな事を耳にしました。「百姓はだめだなあ、まったく何もかも安く、ただとって食っているだけだ。勤めの方がよっぽどいいからなあ」、と言ってたのです。この人もずい分長い間農業をしていたのだそうですが、今では息子はA会社にサラリーマンとして勤めていて、父母だけの農業をやっているのだそうです。そしてその人の言う事に「家じゃあ百姓なんかもうどうでもいいんだ。どうせ米も麦も安いからなあ、それに養蚕だってもう先が見えたようなものだ」と私に話したのです。
 この話を聞いたとき、私は、この人のような考え方で良いものだろうか。又我々若い農村青年がこのような事をどう解決すべきかと言う難しい問題に直面しているのです。そこで私はいろいろと考へて見ました。このおじさんのようになにもかもはじめからだめだだめだと言わないで、どうしたら安い麦を高く売るようにしたら良いか、という方法でも対策でも講ずれば決して、安い麦でも高く売れるのではないかと思うのです。例えば安い麦をそのまま販売しないでそれをにわとりや、乳牛に与へてこれを卵や牛乳にかへて見れば決して安い麦も安くはないのではないでしょうか。又養蚕にしてみても千円養蚕をどうしたら良いか。それにはあまり手間をかけず、又桑園には畦巾等を広くしてそこへ家畜の飼料でもまけば決して千円養蚕が出来ない事はないと思います。
 このように農業だって考へよう、やりようによっては、まだまだいくらでも将来の望みはあるものをと思います。だからこのおじさんのように何でもだめだだめだと言わずに、何でも考へることによって、立派な農業経営が出来るものと思う。考へる農民になって、これからも一生懸命に農業に従事してゆくつもりです。

   我一人たたづむ畑の麦を見て
     まぶたに浮かぶ未来の希望  SY生

     菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年



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