桜の名所と中世の城跡
北上川沿いの「北上市立公園展勝地」。
北上川沿いの約2㎞の桜並木は、「さくらの名所100選」のひとつで、大正九年(1920)から植栽事業が行われ、現在約1万本のサクラが咲き乱れる名所となっています。
展勝地から道路を挟んだ向かい「みちのく民俗村」の入り口の看板がある丘陵地は、陣ヶ丘と呼ばれ、かつてこの一帯を治めていた豪族の館跡です。
みちのく民俗村駐車場より階段を登り頂上につくと、平坦なところがあり松の大木が数本、中心にそびえているのが、見えます。
頂上部に館があり、周囲には空堀が張り巡らせてあったと云われています。
急峻な崖と雄大な北上川を利用した天険の要害となっています。
陣ヶ丘は北上川に面した絶壁の地で、東西160メートル、南北86メートルの広さに空堀と土塁が張り巡らせていました。
北上川対岸の黒沢尻柵(阿倍五郎正任の居城)を攻撃するために源氏方が築いた陣跡と伝えられていますが、確証はありません。
空堀の幅は5m程と小規模で地方の豪族の館と同程度の規模でした。
中世時代に和賀氏が、葛西氏やその家臣の江刺氏の侵入に対する警備が目的の城と考えられています。
本丸周辺には空堀や土塁がめぐらしてあったのですが、現在は埋められてベンチが置かれ、春にはサクラを愛でる名所となっています。
陣ヶ丘には城跡の他、周辺に「はさみ塚」といって、南部氏の盛岡藩と伊達氏の仙台藩の藩境示す高さ1.8mほどの2基1対の塚があります。
盛岡藩と仙台藩は天正十九年(1591)に境を接してから50年余りにわたって、藩境争いを続け、寛永十九年(1642)に江戸幕府の裁定でようやく、境界を確定しました。
(はさみ塚 右 伊達領 左 南部領)
秋田県境の三界山から釜石市唐丹町に至る約155㎞の藩境線のうち塚が築かれたのは夏油温泉近くの駒ヶ岳山頂から遠野市・住田町境の貞任山近くの狼岩塚までの約60㎞で、大塚94基・はさみ塚17組・小塚335基は築かれたと云われています。
盛岡藩領鬼柳と仙台藩相去には両藩の番所がおかれて、藩境を守ったのです。
鬼柳には花巻から役人や足軽が交代で詰め、相去には明暦二年(1656)に仙台から足軽102人が移住しています。
また、鬼柳の北の和賀川には橋が架けられておらず、増水で渡河できないときのために、また、参勤交代で盛岡に帰藩する際の藩主の宿所として御仮屋が設けられていました。
(出典 岩手県の歴史散歩 )
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