先日、新規に人材登録会社に面談に行った。仕事が忙しくて、結構
遅めの時間帯に行ったにも関わらず「キャリアコンサルタント」と
いう肩書きの担当者とその会社の社長が私を待っていた。
私は先にメールで送っておいた履歴書と職務経歴書の内容について
説明するように言われ、今まで何回も繰り返してきた自分の経歴を
ゆっくり話した。
私はしゃべりながら、随分とこの作業にも慣れてしまったな、と
思った。相手の顔を見ながら、私の経歴のどこに興味があって、
どこが疑問点かなんとなくわかるようになってきたからだ。
一通り話し終わって、社長さんからいくつか質問があり、私はそれに
対してすらすらと答えることができ、なんだか自分が世間擦れした
嫌な女に思えてならなかった。
どういう職種と業界を転職先として希望するか、と聞かれて
B2Bの機械関連メーカーの広報や宣伝だと答えると、今までにこやか
だった2人の顔が少しだけ曇った。
残念ながら、そういう業界の広報の求人はなかなかないという。
私は予想していた通りの答えだったので、もしあればぜひよろしく
お願いしますとだけ言って、なんとなく世間話をした。
「業界にこだわらなければ、広報のお仕事は結構ありますよ」
そう言って、担当者は化粧品会社、アパレルやら、ベンチャー企業の
IT関連企業やらの案件をいくつも出してくれたが、私は興味がなかった
のでお断りして、自分の希望を貫くことにした。
広報ならば何でも良い、という考えは自分の今後のことを考えたら
良くないだろう、私は自分が納得したところで今度こそ長く勤めようと
思っているからだ。
二度、三度と転職を繰り返すと、職場にあわないと思うとすぐに新たな
職場を探す、これを「転職病」というらしい。
我が身を振り返ると、私は重症な「転職病」患者かもしれない。
やっと手に入れた安定した社会人生活が、実は先の見えない非常に危うい
ものだと知ったとき、私は自分の今までの経験を頼りにまた転職活動に
踏み出した。
他に自分が働く場所があるかもしれない、自分を必要としてくれるところが
あるかもしれないと期待する気持ちが、一番の麻薬だ。
せっかく築いた人間関係を捨てて、私はまたどこかへ出かけようとしている。
他人との関わりの中でしか、自分の存在意義を確認できない、これはある種の
「依存症」だと思う。
遅めの時間帯に行ったにも関わらず「キャリアコンサルタント」と
いう肩書きの担当者とその会社の社長が私を待っていた。
私は先にメールで送っておいた履歴書と職務経歴書の内容について
説明するように言われ、今まで何回も繰り返してきた自分の経歴を
ゆっくり話した。
私はしゃべりながら、随分とこの作業にも慣れてしまったな、と
思った。相手の顔を見ながら、私の経歴のどこに興味があって、
どこが疑問点かなんとなくわかるようになってきたからだ。
一通り話し終わって、社長さんからいくつか質問があり、私はそれに
対してすらすらと答えることができ、なんだか自分が世間擦れした
嫌な女に思えてならなかった。
どういう職種と業界を転職先として希望するか、と聞かれて
B2Bの機械関連メーカーの広報や宣伝だと答えると、今までにこやか
だった2人の顔が少しだけ曇った。
残念ながら、そういう業界の広報の求人はなかなかないという。
私は予想していた通りの答えだったので、もしあればぜひよろしく
お願いしますとだけ言って、なんとなく世間話をした。
「業界にこだわらなければ、広報のお仕事は結構ありますよ」
そう言って、担当者は化粧品会社、アパレルやら、ベンチャー企業の
IT関連企業やらの案件をいくつも出してくれたが、私は興味がなかった
のでお断りして、自分の希望を貫くことにした。
広報ならば何でも良い、という考えは自分の今後のことを考えたら
良くないだろう、私は自分が納得したところで今度こそ長く勤めようと
思っているからだ。
二度、三度と転職を繰り返すと、職場にあわないと思うとすぐに新たな
職場を探す、これを「転職病」というらしい。
我が身を振り返ると、私は重症な「転職病」患者かもしれない。
やっと手に入れた安定した社会人生活が、実は先の見えない非常に危うい
ものだと知ったとき、私は自分の今までの経験を頼りにまた転職活動に
踏み出した。
他に自分が働く場所があるかもしれない、自分を必要としてくれるところが
あるかもしれないと期待する気持ちが、一番の麻薬だ。
せっかく築いた人間関係を捨てて、私はまたどこかへ出かけようとしている。
他人との関わりの中でしか、自分の存在意義を確認できない、これはある種の
「依存症」だと思う。