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お仕事どんぶり

正社員、契約社員、派遣社員、嘱託社員、アルバイト・・・
経験してきた「仕事」と日々の生活についての記録です。

遺産相続のその後

2015年02月19日 19時56分55秒 | 終活あれこれ
昨年10月末に父方の伯母が亡くなって
遺産相続手続きが進んでいたが、やっと
遺産のお金が相続人各位に振り込まれる
運びとなった。

まずはめでたし。

遺産分割で全く揉めなかったので、司法
書士に頼んだ作業は淡々と進んだ。

伯母が残した土地と建物は遺言書により
長らく伯母と同居していた父のものと
なる。

この手続きが終わったら、今度は父の
遺言書作成である。

父の所有する土地、建物、現預金は全て
母が相続するという遺言書を作成して
母の生活を安堵しなくてはならない。

今回の伯母の相続の件で、私は遺言書の
威力を実感した。私ら夫婦も早く手続き
しなくては、と思う。
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遺産分割のその後

2015年01月09日 19時46分06秒 | 終活あれこれ
10月に亡くなった伯母はの遺産分割は
全くモメることなく、粛々と進んで
いる。

やはり伯母が生前住んでいた部屋から
見つけた遺言公正証書の威力はすごい。

そして相続人全員がガチャガチャ言わず
さっさと遺産分割協議書にハンコを
ついたのが本当にラッキーだった。

多分、2月中にはカタがつく。
そうしたら、心おきなく夫と台湾に
行こう。(笑)

この件を通じて、私たち夫婦は多いに
学ぶところがあり、遺言書を作成する
ことに決めた。子どもがいない私たちは
配偶者に遺産を全部渡すにはそれなりに
準備をしておく必要があるからだ。

本当は生きているうちに、好きなことに
使ってお葬式の費用程度が残っている
のが理想。

そんなことを考えるようになった私は
歳をとったのだと思う。
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実家の解体

2014年12月24日 21時50分55秒 | 終活あれこれ
実家のゴミを片付けていると、古い写真
やら手紙やらが出てくる。子どもの頃の
お習字や、学生時代のノート、大量の
服や布団、祖母や大伯母の時代の着物、
揃いの食器や古い鍋釜の類もどんどんと
発掘される。

私は心を鬼にしてかなり捨てたけれど、
その作業を続けていると、なんだか心が
病んでくる。

こんなに大量のものに囲まれて、でも
使っていないものがほとんどだ。
実家の片付けの最大の敵は、母親の
もったいないという気持ちだと思う。

私はいろいろ捨てて、もし後で足りない
と思ったら、最悪また買えば良いと思い
バンバン捨てた。

いよいよ実家の解体のために重機が入る
日がきた。解体屋さんは外国人の親方と
若手が2人、日本人のベテランが2人で
親方の重機を扱うテクニックは相当な
ものだった。




壊される実家を見て、感傷的な気分に
なることはなかった。
大して良い思い出がある訳ではなし、
むしろ親方の重機テクを見ていながら
感心していた。

さよなら、私が育った家。
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実家の片付け

2014年12月17日 20時33分24秒 | 終活あれこれ
亡くなった伯母の部屋の片付けと時を
同じくして、私の実家を取り壊すことに
なった。

理由としては、築60年以上の古い木造
家屋は、雨漏りしたり、歩くと床が
ふわふわしたりして、住むには適さなく
なっていたのと、両親が頭のはっきり
しているうちに片付けなくてはならない
と思ったからだ。

実家に大量にあった洋服や着物、家財
道具を処分するのには本当に苦労した。

何より母がものを捨てられない性分で
かつ、実家にかつて住んでいた父の
兄、姉たちの荷物まで残っていたから
である。

それでも、私、私の夫、私の弟が週末に
何度も片付けに行き、非情なまでに
ものを選別する作業をした。

取って置くものだけ運び出し、後は全部
解体屋さんにガラ袋に入れてもらい、
トラックにバンバン積んで処分して頂く
方式で片付けた。

その後に及んで、ものを運びだそうと
する母。

私は自分が死ぬ時のことを考えてしまい
とにかくものは減らそうと思った。

一連の作業は本当に疲れる。
自分が体力がないとできないと思う。
コメント (2)
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伯母の四十九日法要

2014年12月10日 21時12分54秒 | 終活あれこれ
実家のお墓があるお寺で、10月に亡く
なった伯母の四十九日法要をした。

集まったのは親戚のみ10人程度。
私はその場で多分35年ぶりくらいに
年上のいとこと会った。

小さい頃はずいぶんとお姉さんに感じた
けれど、お互いにいい年になり、かなり
イメージが変わった。

彼女は伯母の相続人なのである。

四十九日法要は淡々と終わった。
こういっては何だが、お坊さんの読経が
テキトーで全くありがたみがなかった。

地獄の沙汰も金次第というが、せめて
送り出す時には徳のある感じにして
もらいたいものだ。

法要が終わってから信徒会館で会食し
昔話などをする。

伯母の弟たちは、私の父を除いて皆さん
亡くなっていていとこたちが代襲相続
する。

妹たちは高齢で具合が悪かったりする。

会食が終わって私は伯母の遺産相続に
ついて切り出した。伯母の遺言書を皆に
回覧し、司法書士に作成してもらった
遺産分割協議書の案を配付して説明し
その場にいる人々の意向を探った。

本来ならこの話は伯母と同居していた
私の父がすべき話だろうが、父は10年
以上前の脳梗塞の後遺症で上手く話が
できないので私が説明した。

いろいろ意見が出るかも、と覚悟して
いたが、意外にお任せします、という
話で、私はほっとした。

その後、いとこに実家に来てもらい、
伯母の宝石や毛皮、着物を見せて好きな
ものがあれば持っていってほしいと
言ったが、彼女の母上の相当量の遺品が
あるとのことで、要りませんとのこと。

世の中には相続ならぬ争族となって苦労
する家族も多いだろうに、我が家の場合
あっさり済みそうな気配だ。

司法書士からは、あまり間をおかずに
決められるなら手続きをどんどん進めた
方が良いと言われ、私は伯母のお葬式の
費用や老人ホームの清算などを計算して
遺産総額をはじき出す作業をする。

諸々の手続きが終わって、無事に遺産
相続が済んだら、私は夫と台湾旅行に
出かけるつもりだ。

何か区切りをつけたいし、夫には本当に
いろいろサポートしてもらったからだ。

その日を目指して私はあと一踏ん張り
する。

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