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お仕事どんぶり

正社員、契約社員、派遣社員、嘱託社員、アルバイト・・・
経験してきた「仕事」と日々の生活についての記録です。

ゲキジョー型転職 その20 退職願

2007年08月27日 10時15分49秒 | 転職活動
上司の「アントワネット様」との話し合いの前に、私は転職に至った
顛末を予めメールで伝えていた。転職の理由はあくまで「方向転換」、
会社への不満等は告げていない。

実際面と向かって話す機会が来た時、「アントワネット様」はすでに
私が退職することを前提に話を進めた。
私は9月末日退職、その前に有休を消化したい旨を伝え、既に新たな
転職先が見つかっていることを改めて告げて、退職願を提出した。

「この会社に取ってはとても残念なことだわ。でも・・・」
彼女はにやっと笑ってこう続けた。

「・・・同じことを考えているとはねぇ。私も9月末で退職なの」

ああ、やっぱり、と私は納得した。この数ヶ月間、彼女の「フェード
アウト」っぷりは目に余るものがあったからである。
マネージャーである「メンターさん」や、アシスタントマネージャーに
仕事を振りまくり、自分は部内会議にはほとんど出ず、会社にもあまり
来ない。仕事の相談はすべてメールで対応していて、その姿を直に
見ることはとても少なかったのだ。

その「アントワネット様」も結果的には3年ちょっとの在籍だった。
長く勤める人の居ないムードは、すでに「社風」と言って良いのかも
しれない。

私は極めてにこやかに、この会社での処遇について感謝の意を述べ、
この経験を活かして次の勤務先で頑張ります、と話した。

ともに来月にはいなくなるもの同士、お互いに面倒は避けたいせいか
「上っ面」の会話で時が過ぎて行く。

「縁の下の力持ち、だったのにねぇ・・・。居なくなると困る人が
 たくわんいるわね」

私はどこの職場に行っても、そう言う役割を負うことが多い。
人の愚痴を聞いて、人のケンカの仲裁をして、人の代わりに謝って・・・。
ギスギスした雰囲気のなかで、私はまるで通訳のように他人の話を
つないでいる。

この職場で、それが果たして必要なことだったのか。
今の私には、わからない。
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ゲキジョー型転職 その19 告白

2007年08月26日 14時27分43秒 | 転職活動
健康診断書を送って程なくして、正式に内定が出た、と人材紹介会社の
担当者から連絡があった。

私は上司である「アントワネット様」と「メンターさん」に、「お話したい
ことがあるので」時間を取ってくれるようお願いした。

「アントワネット様」は大変多忙で会社にほとんどいないので、先に
「メンターさん」にお話することになり、退職の件を切り出したところ、
彼女は大変驚き、口をあんぐり開けて、大きなため息をついた。

「なんで辞めちゃうの?会社に不満があるなら、改善するべきところは
 改善するけれど・・・」

今まで何人もの退職者を送り出してきた「メンターさん」でも、私がまさか
こんなに早く辞めるとは思っていなかったらしい。ちなみに私が入社してから
およそ1年、その間に退職したのは4名、これは実に社員の50%をにあたる。

私は自分の仕事の興味が、極めてニッチな機械メーカーのPRに移行した
ことを伝え、会社に不満がある訳ではない、自分の将来の方向転換だと
説明した。

本当のところは会社と自分の関係に将来の希望を見いだせなかったのだ。

詳しい退職の本音を告げることはなく、「メンターさん」は私の頑固な
性格を知っているのか、「引き止めても、もう辞めることは決めている
んだよね」と言って後は残念だ、残念だと繰り返した。

私は社員の退職はよくあることなので、多分慰留されないだろうと踏んで
いたので、「メンターさん」が結構がっくり来ているのは意外な気もした。

私は自分の仕事の引継ぎプランを話して、それについては「メンターさん」も
大筋で了承したので、話は20分ほどで終わった。

私は退職への第一歩を踏み出したことで少し気持ちが高ぶっていたが、
それを表には出すまいと努めて冷静を装っていた。

9月末付けで退職、でもその前に忙しくて使っていない有休を消化するために
9月中旬で会社に来るのは最後にする。10月1日から新しい職場に行って、
心機一転の再スタートだ。

私の頭の中の「退職カレンダー」の初日に、私は自分で赤い「×」をつけて
消した。カウントダウンの始まりだ。

それから数日経って、やっと「アントワネット様」との話し合いの日が
やってきた。
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ゲキジョー型転職 その18 お礼

2007年08月25日 12時08分55秒 | 転職活動
内々定が出てから、私は前職の上司である「ポカリ課長」と同僚の
「ペコちゃん」らに転職の顛末を簡単にメールで送った。

私が今度の会社に採用されたのは、今のPR会社での経験も関係して
いるが、むしろ前職で「省エネ」「地球温暖化防止」関連の仕事を
していた実績が好まれた、と私は思っている。

5年ちょっとの期間、私を雇ってくれ、私に思いもかけない貴重な
経験の場を与えてくれた「ポカリ課長」に、私は直接お礼を言う
ために電話をした。

電話に出た「ポカリ課長」は開口一番
「意外に早かったね~」とゲラゲラ笑っていた。

「最近、音沙汰ないなと思っていたら転職活動してた訳ね。
 ペコちゃんとも『早くね?』と話していたところだよ」

私は昨年は大変お世話になりました、おかげさまで転職がうまく
行きました、とお礼を言った。

「ま、会社も近いし、展示会の出展営業に行くから、早く偉くなって
 自分の裁量で使える予算を増やしておけよ~」

多分「ポカリ課長」の期待に応えることは難しいと思うが、互いに
情報交換をする機会はこれからもあると思う。
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ゲキジョー型転職 その17 最終面接の結果

2007年08月24日 09時06分30秒 | 転職活動
最終面接の結果は、思ったより早く来て、人材紹介会社の担当者から
電話連絡が来たのは面接後2日経ってのことだった。

私はその企業から内々定をもらった。
「2007年 転職の旅」はひとまずおしまいだ。

電話口で「おめでとうございます~!」を繰り返すネイルアートの
担当者。案件を紹介してもらってからおよそ1ヶ月半の早い決着だった。
私もほっとしたし、次の職場が見つかって嬉しかった。

ネイルアートの担当者によると、先方は一次面接が終わった段階で、もう
ほぼ私の採用を決めていたそうだ。最終面接は役員による諸々の「確認」が
主目的だったらしい。それなら、私が「女性の活用大作戦(仮称)」への
参加を拒んでいたら、男性候補者に決まっていたのだろうか。

とにかく、私は自分の少し先の未来が、方向転換したことに気分が
ざわついていた。

担当者は、私に入社前のチェックとして「健康診断書」を先方に提出する
ように言った。私は近所の気のいいヤブ医者H先生に診てもらい、高い検査料を
払って血液検査やその他の検査を受けた。
翌日出た結果は「健康」。私は診断書を書いてもらって、すぐさま先方に送った。
この結果を見て、問題がなければ内定が出ると言う。

担当者からは、時期を同じくして、採用条件の確認書が送られてきた。
予想していたよりも条件が良く、給料の年額は今よりも上がって有休も
今の勤務先よりも多かった。今は全く支給されない残業代もボーナスも
出る。ありがたい話だと思った。

次のステップは、今の職場の上司にいつ、どうやって退職の意思を告げる
かだ。このことを考えると少し頭が痛かった。
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ゲキジョー型転職 その16 地ならし

2007年08月23日 11時00分28秒 | 転職活動
私がここで「はい」という以外の選択肢はあるのかどうか、考えた。

ある程度社内で勤めていたら職位が上がる、後進を育てる、部下を持つ、
こういう企業にとって「普通のこと」は、転職ばかりしている私には
縁がなく、「昇進・昇格」のレールには自分は乗らない(乗れない)
だろうと思っていた。

この会社は、見ず知らずの私に、しかも転職5回目の30代後半の
「オンナ」の私に、とりあえずそのレールに乗ってみろ、と言っている
のだ。・・・恐るべきチャレンジ精神である。
私はこれからどんな経験をして、どんな風に会社で過ごしていくことに
なるのだろうか。

その企業に「総合職」として採用された第一期生の女性はまだ20代半ばだ。
彼女らに先んじて「女性の活用」とかいうこの会社に広がる未開の原野の
「地ならし」を期待しているなら、子どもがいない私には、「育児」という
ことで仕事が中断することないわけだから、それはそれで良いか、と
思った。

新卒では一定の割合で女性社員を採用しているそうだから、何年か
後には、女性総合職社員のグループが出来ているかもしれない。
現状、産業向け機器の営業職として頑張っている人も居ると聞いて、
私よりも10歳以上若い彼女らが、どういう動機で入社したかを聞いて
みたい気もした。

私は企業には本音と建前があると思っている。
いま専務が言ったことだって、会社が本当に実現しようとしているか
どうかは、私が入社できたらゆっくり見極める。

私は専務の質問に対して「自分の出来る限りのことはします」と答え、
面接は40分ほどで終了した。その会社が入居しているビルを出る頃には、
「私はこの会社に採用される」、その思いはほぼ確信に変わっていた。
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