3D CG, CAD/CAM/3Dプリンタ な日常でつづる クルスの冒険ブログ

このブログは引っ越しました!引っ越し先は…「とある思索の集合演算」と検索してみてください。よろしくお願いします。

Second Lifeと『市民政府論』(ジョン・ロックね)

2008年07月03日 | □CAD/CAMな日々
 
*ちゅうい*
今回は、割と自分の知識が足りないメタバースのことを書きます。
もしワタシの知識に誤りがあった場合は、どうぞご指摘ください。
謹んで、訂正いたします。

じゃ、書きます。
 
この前、Virtual World Conference & Expoに出展する機会があったものだから、メタバースというものへの理解が一気に進んだ。その後、メタバースのサービスをなさっている人たちとも割と多くお話しする機会もありました。
なるほどねー…ってカンジ。
まぁ、今回は全てのメタバースという概念をわかりやすく"Second Life"の一言でくくって書きますね。
 
…で、思い浮かべたのが『市民政府論』だ(笑 いや、本当なんだよ)歴史というよりも、公民とか現代社会の授業で登場して来る15世紀イギリスの哲学者…でいいかな?ジョン・ロックが書いた名著。
英国のジョンと言っても、ジョン・ポール・ジョーンズじゃないよ。
 
皆さんは、初めてSecond Lifeの存在を知り、それを眺めて見たとき何を感じましたか?
 
ワタシ、すごくシンプルに、これしか思い浮かばなかった。
もうホント、一点突破にこれだけ。
そしてそれは、Second Lifeの核心を突いていて、誰が何と言おうとコレが一番大事で、しかもすごく大変なんじゃん…って一瞬で判断した。
そしてそれは今も全く変わっていない。
 

「3Dモデリング…結局これが大事だ」
 

これだ。もう、見て、1秒で思った。
 
で、ほぼ同時に『市民政府論』を思い浮かべたんだよね。

なぜか?

『市民政府論』は、アメリカ革命(宗主国イギリスに対する植民地アメリカによる独立戦争だね)において、独立を欲するアメリカ側を啓蒙し、その動機に正当性を与える背骨の役割を果たしたのだけれども、そこには大まかに言うとこんなことが書いてある…(あー引用じゃなくて、ワタシの記憶ね、もちろん他のことも書いてあるよ)
 
「人の手が入ってない大地があるとするじゃん?そこにさ、家建てて、一生懸命耕して農業やって、牧畜やってさ、頑張った分だけ収穫するとするじゃん?… そうなったらさぁ、その土地は頑張って耕した、その人のものだよねぇ?そうだよねぇ?」
 
って書いてあるんだよ(笑)すげぇ簡単に言うとね。
 
この本、「近代」と「アメリカ合衆国」を理解するには絶対外せない本なので、結構真面目に読み込んだんだよね。岩波の訳が退屈で、しかも意味不明な傍点が多用されていて必ずしも面白いわけじゃないんだけど…

さらに困るのは、『市民政府論』は本当につまらないんだよね(笑)それはなぜかというと、完成した「近代」に暮らす私たちには、あまりに当たり前のことが書いてあるからだ。じゃ、なんでそんな当たり前のことがわざわざ書いてあるのか?…
うん、書いた当時は「当たり前じゃなかった」からだよね。逆に、あまりに当たり前のことは、どの時代でも本になんてならないものだ。

もちろんこういった『市民政府論』みたいな本は、超革新的な思想を提示したのではなく、どちらかと言えばジワジワと人々の間に広まりつつあった、ある種の新しい感情や常識を、ひとつの思想として書籍にまとめ上げたのだろうな。
 
まぁ、革命ってのにはその是非は別にして精神的な背骨になる思想があって、それは大抵啓蒙的な書物になってたりするのだけど、これがアメリカ独立の思想的正当性を担保したと思う。
簡単に言えば、
「ここはイギリスの土地じゃないぜ、一生懸命耕したオレらの土地だぜ」
ってキモチと、
「先住民は居るけどさ、彼らは耕してはいないじゃん。だからオレらの土地だぜ」
という大義名分を下支えしたはずなんだよね。
もちろん、そのキモチと大義名分の是非は、ここでは問題にしません。
少なくとも、最初のアメリカ人はそう考えたという事実の話。
  
何が言いたいかって?(笑)
 
Second Lifeにおける世界とはすなわち、3Dデータのことなんだよね。
ここまで還元しちゃっていいと思いますよ。あったりまえですよ。

Second Lifeが数あるSNSや2ちゃんねるや、ネトゲや掲示板などと唯一異なるポイントは、3Dの形状データで世界がつくられている…ってことだ。まぁ、ネトゲもそうだけどさ。(あ、ここではビジネスモデルの違いは無視してますよ)
もしそこに3Dの形状データによる世界が無かったら、SNSも2ちゃんねるも、掲示板もネトゲも…なんか大して変わらない。

ジャンジャンサーバを増設して「世界」を広げてみたって、そこに3Dデータが無ければ「世界」になんかなりゃしない(笑)暗い空間にポツーンとアバターがあって、何が楽しいのか?自己の外が無ければ、自己が存在する意義もまた無いんだよね。

で?Second Lifeって土地を売るんだってね?うふふー… Second Lifeを考えた人は、アメリカ人のくせにジョン・ロックを読んでないのかねぇ?と思いましたよ(その人本人と、この前ちょこっとお話したけどね)。
 
『市民政府論』を背骨にするのであれば、よく耕した(=3Dモデリングで建物や風景、マップなどを作った)人は、その土地を所有できるようにしなきゃいけないじゃんね。
 
そうしなきゃ、だれも世界を作ってくれないんじゃないだろかねぇ?(だって、モデリングって大変だよぉ?)

と。

まぁ、この際ビジネスモデルとかの話は置いておいてさ。
少なくとも、
「空間売ります、買った空間は自分で世界を作りなさい」
っていうのと、
「モデリングしてくれたら、その空間を差し上げます」
っていうのと、どっちがモチベーションが上がるか?ってことだ。
 
この、Second Lifeにおける世界とは、すなわち3Dの形状データのことだ… という話抜きに、やいのやいのととり上げている各種報道の姿は、ワタシには全く理解できませんでした。

なんか、本質が見えてない気がしてね…


「こりゃ、3Dのデータが少なくて、またはモデリングに手間とカネがかかり過ぎて、世界が広がらないんじゃないの?そこが弱点だよねー」


って、一瞬で思ったんですよね。
 
…そんなこともあって、今、masterpiece製作委員会の仕事は、とても楽しい。
(ここから我田引水スイッチが入るけどさ)
 
だって、製造・建築に沢山うなっている3D形状データを、Second Lifeに持ち込むことで世界(=3Dデータの量)を広げよう…って機能もmasterpieceには持たせ得るからだ(いや、ぜひ持たせよう)。
 
そして、それは…
 
「コンテンツ=メタヴァース」 と 「モノづくり=設計・製造・建築」が3Dデータで融合する…ってコンセプトのとても分かりやすい実例ともなるだろう。

まぁ、建築の話は只今その状況を勉強中なんだけど、恐らく、建築における3Dとは製造ではなく、VRやマーケティング、レイアウトという呼び名の構想設計や、今であれば「建築パース」って形で存在しているのだろうな…と予測してます。(建築については、ある程度勉強したらまた書きますね)
 
読者の方で、このブログが「ほぅー面白いこと言うなぁー…」と思っていただけたら、ぜひ秋葉原の当社をおたずねください。
 
Second Lifeを見て、ジョン・ロックを思い出してる人が、秋葉原に居ます。

世界ってのは、作るもんなんすよね。
そして、つくった人のもの、なんすよ。
これが、私たちの暮らしている近代ってもんでしょう。
少なくとも、近代の初期においては。
これは、前近代と近代を分ける大きな思想的ポイントでもあるだろう。

世界を、より豊かにするために維持管理し経営して行く対象と見るか、恩恵豊かな所与の条件と見るか… この前者のキリスト教的な世界観が西洋思想の基礎にはあって、それが近代を生み出す揺りかごでもあった…んじゃないかなぁ?

まぁ、そんなことを考えました。

市民政府論 (岩波文庫)
ロック
岩波書店

このアイテムの詳細を見る