LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

「賛成の反対なのだ」 byバカボンのパパ

2012-12-20 07:29:49 | 時間旅行

   

「賛成の反対なのだ」 byバカボンのパパ


赤塚不二夫先生・不朽の名作「天才バカボン」

子供の頃は、なぞ多き漫画だと思いテレビごしに見入っていました。
笑っていいものか?
それとも?
複雑に思ったシーンも数多く。
何故なら・・実社会とはかけ離れていたから…
1970年代、子供の頃の実社会とは、

学校と両親から得るものだけで、
あとはテレビで知ることのできる近所では見たコトもない流行モノくらい。
現代に比べて情報は極少なく限られていた中で、

テレビのブラウン管の中の「天才バカボン」は・・・
とにかく、世間ではぜったいしてはいけないことを

するのがバカボンのパパでした。
     
バカボンのパパは、
産まれた時は次男のハジメちゃんのように
既に話しをし、悟りきった天才だったそうな。
しかし、時がたち…漫画作品の中でのパパは41歳。
生まれながらの天才が、

大人になってバカになった訳ではなく、
天才を超えた姿がバカボンのパパで、
つまり『賛成の反対なのだ!』

いえいえ・・いきなりそうではなくて!笑
パパは、総てを知り…悟りきっているからこそ《逆の意味》を表現する。
世間の常識を一番よく知り尽くしているから、

その逆の非常識を表現出来るのです。
常識を知っていないと出来ないことなのです。
 
世間の常識

人間の常識を知り尽くしているから
非常識もしたくなる。

そんなパパと結婚をしたママの存在は、苦労が多い訳ではなくて…
凡人には興味がなく ?
天才を許せる賢い女性ということになります。
なので、どこか…男性の憧れの存在として、

バカボンのママがよくあげられます。
 
人間の常識の中には「愛」も含まれ、

それが天才ともなると「至極深い愛」となり…
パパにとっては収拾つかなくなり、
愛の常識を超えた…愛の非常識に。
 
因みに長男のバカボン君の学校の凡田先生は、

常識人の代表とされるような存在ですが、
いつもバカボン家を尊重しているんです。
家庭訪問のとき

(アニメ 天才バカボン第35話・学校の先生がせめてくる)
パパに性格を見抜かれてしまった先生は、
本音をさらけ出すことになりハチャメチャに。
それが凡田先生にとっては至福の時になったようなオハナシでした。

凡田先生のとって、パパはすべてを許せる存在だった…
 
あと僕個人的には・・
アニメ 第52話・パパは男の中の男なのだ
というお話しが子供心にも印象に残っていて。
町の神社での歌合戦で、

一等賞・電子レンジを目当てにパパが北島三郎の
「仁義」で参加するのですが、
そのパパの歌唱の説得力に、場内静まり返るのです。
対戦相手の“組の若旦那 一郎”が歌う

「悪魔がにくい」もナカナカどうして笑えるんです。
一見の価値アリです! 笑
 
常識の更に先を生きる赤塚不二夫先生の「天才バカボン」

『これでいいのだ』
ウンウン!
それでいいんですよねぇ ?
いえいえ!

それがいいんです!!!!!

「賛成の反対なのだ」で

検索・閲覧、非常に多く戴いていますので、
もう一度おさらいしておきます。

賛成の反対なのだ』とは、
世の中の全てを知り尽くし、

悟りきっている天才だからこそ言えるコトバなのです。
人知を超えたパパの生まれながらの性分と天性は、

逆のコトをしたくなるのです。
理解し尽くしているからこそ、逆のコトが出来るのです。
天才だから、バカも出来るのです。
次男のハジメちゃんは、パパと同じ天才です。
生まれながらにして何でも知り、理解しています。
なので…大人になるにつれ、

きっと父親ソックリに成長すると思いますヨ~
たぶん!笑 (想像ですが)
つまり、長男のバカボン君はママ似で、

ハジメちゃんがパパ似なんですよね。 
    
“賛成の反対なのだ”
“反対の賛成なのだ”
“賛成の反対の…反対の賛成なのだ”
つまりどちらでも、答えの行く先は、
ひとつに繋がっているんです。
どちらでも…同じなんです。
バカボンのパパにとっては。
だから
『これでいいのだ』 


サイキックの眼  山本 コージ