LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

永遠と、尊さと、…恐怖。

2017-08-06 16:49:50 | サイキックの眼

     

永遠と、尊さと、…恐怖。


蟻んこだって、永遠に脈々と命を繋いで生きている。
そして、その命の果てしのない尊さを、恐怖をもって感じ生きている。
蟻さんだけじゃない、勿論、全ての生き物みんな。

“恐怖を感じ得て生きる事は、社会にあってはならない事だ”
“恐怖の無い安全な暮らしの実現を~!”
なんてのが毎日毎晩、色んなカタチでもって増え続けている。
“すべての生活をすべて安全にしましょう”

つまり、

「生きる恐怖を感じたくない」
「生きる恐怖を忘れたい」

これが原点にあるんだ。

学校などの虐める虐められる問題だって、虐める側の子は、自分が虐められる前に相手を虐める。これからの人生の怖さを拭いたいから、他人にその恐怖を与えて、自らの恐怖から逃れたい。学校の教師だって、生きる恐怖のリスクは同じで、生徒同士の生き残りに何も言える言葉は無いだろう。
“安全で安心な学校を実現します”と…モゴモゴ言うので精一杯になる。

決して、永遠も、尊さも、美しく軽やかなものではない。
すべて、恐怖の上に成り立っているものだ。
それも、 という恐怖
そして、 をも超えた恐怖も、この世の深みには存在する。

永遠の大きさと永さ…、その途方もないどうすることも出来ない尊さ。
ロマンではない、途方もない恐怖なのだ。
だから、宇宙を仰ぎ見て、何も言えなくなる。

〝恐怖を感じてはいけない…リラックスして~、良い事を考えて~〟
そんな暗示なんて、当然逆効果になる。
なぜなら答えは簡単、日々その恐怖を上回る恐怖が成長していくからだ。
例えば、酷いコトを例えて言いますが…
戦争が起こらないように神様に祈り続けても、その間にもっと恐ろしい兵器を開発している人がいるわけだ。
祈っても祈っても追いつかない。
宗教の神様は永遠で尊いから…きっと願いは届く?!助けてくれる??
いいえ。
おカネ有りきタイプの金持ちの人や、新型の武器を開発する人らの方が、恐怖に対して精通していると思う。
生きる為の進化をしようとしているんだ、…良くも悪くも。

つまりは、
「みんな仲良く隣人とわきあいあい」も、生物原理としては何れ破綻するし。
「人生は進化と生き残りである!」も、恐怖と苦痛の連続である。
共産主義と資本主義の相対性。


『 永遠と、尊さを、感じ持って生きる。』

地方の壮大な祭や、由緒ある儀式などには、これを表現し、恐怖心を越えるだけのエネルギーを費やすモノも多い。
永遠に続くものの尊さと、その恐怖に対しても尊いものとして扱っている、そう思う。
それぐらい、恐怖という代物は、絶対に無視出来ない、大事な心のヒトツなのだ。

だが、その恐怖という尊き永遠は、苦しい 恐い

何故?苦しく恐いのか…、それは…

「〝永遠〟と〝尊さ〟に、精神が耐えられないから。」

永遠 と、尊さ と、恐怖 と。
これに対し、精神と肉体が耐えられるか?どうか。
これがバランスなんです。
人間社会の外側に居るすべての動植物は、このバランスに対し向き合って生きていることになるのです。
では逆に、人間社会の堀の内側では…
一瞬 の、卑しさ と、安心。  (⇔反対語にしてみた)

「永遠の尊き恐怖」 = これが宇宙の生物原理
これを乗り越え続けていくことが生物の必須条件。
これは苦しく、恐ろしいことの連続。
この恐怖に耐えられなくなると、人間社会の中では死にたくなるのだ。
これに耐えなくても良い、楽に避けて通る安心?安全社会?の構築?
すると…最終的には、精神的に一瞬すら耐えることが出来ない、卑しい(いやしい)安心社会の出来上がりとなる訳だ。

計り知れぬ 永遠
計り知れぬ 尊さ
計り知れぬ 恐怖
これらとどうやって向き合って生きていけるのか?
尊すぎて…返す言葉は見つからない、そう全身全霊で感じる恐怖が、答えだと思う。

身震いする
寂しくなる
泣きたくなる
ベッドから出れなくなる
自己嫌悪になる
被害妄想になる
人生が嫌になってしまう
何もかも忘れてしまいたくなる
暴れたくなり
みんな死んでしまえばいいと思って
そして身震いして
また寂しくなって
また泣きたくなって
恐くて、生きていく自信が無くなって。

こうやって自分と向き合って
恐怖と向き合って
向き合い続けて
更に向き合い続けて
もういっちょ向き合ってみて…
そしてそして、
こうして、永遠と、尊さの、第一歩を築いていってほしい。
恐怖に負けない精神の第一歩を踏み出してほしい。

我々は、底知れぬ宇宙を相手に生きているコトを認めてほしい。

底知れぬ 永遠に
底知れぬ 尊さに
底知れぬ 恐怖に
負けないように。

浅はかな 一瞬
浅はかな 卑しさ
浅はかな 安心安全
これらにも負けないように。
 

 
サイキックの眼 ヤマモト・コージ