LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

サイキックの眼から視た…日々

2018-01-13 16:17:02 | サイキックの眼

   

サイキックの眼から視た…日々


どれだけ進化しても
どれほど発展を遂げても
どれだけ働いても
どれほど泣いても
どれだけ生きても
そしていつか息絶えても
変わらない大きなものの上に成り立っているに過ぎない。

大金持ちになっても
どうしようもないドン底にあっても
よりそれ以上もあれば…
より深いドン底よりも深い場所もある。

つまり、日々の生活や人生の浮き沈みなど…
船のオールを力強く漕いで流されまいと努力しても
或いは波にまかせて水面にまかせたとしても
見えて感じるところは水平線だけであって
本当は、限りの無い上限と、限りの無い下限の、
その中間のほんの一部の中で生きているだけなんだ。

別にヘンな悟り方をしたいわけじゃあない。
もっと地に足ついた言い方をしてみますと、
幸せを超えた幸せもあれば
不幸を超えた不幸も
この世には存在するのです。
超越した幸福も
超越した不幸も
何れにせよ超越した精神力が必要となり、
耐えられないモノなんです。

例えば
都心部の高級な高層マンションに住みたい?
ひかり輝く高見の生活
ドン底じゃない高価な世界?
…いいえ。
否定はしませんが。
ゼロ地点の地上から空に向かって高く積み上げたビルディング
そんなビル群を見るにつけいつも思うのが…
「あの高層ビルは、ビルの上限と共に豊かさ誇らしさがあって。それと同じだけの下限と貧しさと恥ずかしさが、地中深く、ビルと同じだけの分量沈んで同居しているんだ、と。」
この世の全てのモノは、左⇔右も上↑↓下も、何もかもが同じ分量でもって成り立っているんだ。
どちらかが片方だけ存在することは無い。
だから、地上40階の部屋に住んだとしたら、地下40階に住む精神的な度量と度胸も必要になる計算になる。
だがきっと殆どの人は、地下40階のジメジメした暗い人生なんて地獄だ!なんて言うでしょう。
だけど…この世の原理は、地上40階の生活には、地下40階の暗くジメジメした苦しみがもれなく付いてくる。
易しい言い方をすると、ピアノの鍵盤だって高い音も低い音も限りなく平等に揃ってるんだものね。
どちらか片方だけが存在することは無いんです。

僕は、いつも双方を両方を知り、そしてそれらを持ち得ていたいと考え…苦しみあぐねいている。

地上40階の喜びと苦しみ
地下40階の苦しみと喜び
そして海抜ゼロメートルの波風や、地上ゼロメートルの混沌。
あらゆる左右、あらゆる上下、そしてあらゆる明暗。

これって簡単ではない作業なんです。
だって、右が正しい! いや左こそ正義である!!とか?
上こそが最上の至福! 下なんて関わりたくもない!!とか?
道徳の時間や宗教や、どっかの先生が言うような「相手を理解しなさい」「相手に優しくしなさい」ってなシロモノではなんともならん。
そうかも知れんが、それよりも『自分を知る』ことの方が先だ。
自己基準の上下・左右・明暗などを自分で知る努力だ。

これが、簡単に知ることは出来ない。
占いやら自己診断テストとかで知ることなんて易しい。
・左の正しさと間違い
・右の間違いと正しさ
・上の喜びと苦しみ
・下の苦しみと喜び
・明るさの嬉しさと悲しみ
・暗さの悲しみと嬉しさ
まだまだある相対性のそのすべての苦しみと喜びと、
それらを人生の中で自らが体験し、肉体と精神と魂の内にコンプリートすること。
宇宙そのものの成り立ちは、こうやって完璧となっているんです。
喜びや幸せの分量は、悲しみや不幸の分量と対等であり比例しているんです。
そのすべてに耐えられる精神が、重要な幸福と言える。
永遠と尊さと…恐怖。すべてが対等で比例しながら成長と進化をもって広がり続けている。

もう一度、言い方を変えて、同じことを言います。

・左も右も共にぶつかりあって摩擦を産み熱を帯びる
・上も下も共に引っ張り合って引力を産み重力をもたらす
・そして明も暗も共に同時に存在し合う

この状態の中で、日々が産まれている。


サイキックの眼  ヤマモト コージ


トップページ
ブログ・項目一覧