不安よ永遠に。
動植物には、地球上において生き続ける自由がある。
例えば、スギ花粉。
花粉が大量に必要になるので、大量に放出する。
動植物どうしが生きる自然輪廻のサイクルから総合計算したら、
必要とする花粉の量が大量となるのである。
5年ほど前、ニュースの中で「花粉が出ないスギを開発中」
と言うのを耳にしたことがあります。
すべての動植物・微生物が生きていくバランスを考えると
木々が必要量に達していないのでしょう。
なので、スギ花粉等が大量に放出されるし、
放出されても、それが受粉されるほどにはまだまだ至らず。
それが人間に影響するのでしょう。
このように書き・・説明してみると、
動植物は「自由奔放」に生きているように思えます。
ですが、同じ動物でも人間はというと・・。
ルールで決められた事だけをやらなければいけない社会。
なので、スギ花粉ですらも人間ルールから割り出し決められた量に合わせようと、日々・・品種改良・制限を持たせようとするのです。
人間の立場から見たら・・。
上げ膳据え膳社会ルールに似合った自然でなければ安心出来ないのです。
自然保護地域・・って何でしょう?。
何から守っているのでしょうか。
つまり・・、自然も動物も植物も微生物も、
すべてに対して人間と同じ生活をしてくれないと気が済まないのです。
ルールだらけの社会を与えたくて仕方が無いのです。
或いは言い方を変えますと、
自然の中で、自己を生きている動植物が恐いからなのです。
その自由奔放なあたりまえの姿が・・人間には恐く、そして不安なのかも知れません。
「鬱」「躁鬱」「精神疾患」「心身疾患」
「統合失調」「虐め」「虐待」
「生活不安」
不安は永遠に。
なぜならば、生きる本能と賢さが「麻痺」しているからです。
社会不適応による「鬱」
そんな診察結果によって、社会更生する努力をされている人も多いと聞きます。
僕の《サイキックの眼》から視た場合、どの人もすべて『正常』です。
(正常=常に正しいよ!という意味です)
どの人にも、心の中に生きるための『本能』『賢さ』『品』があります。
それが、社会のルールの中で生きるには必要とされないのです。
「楽して生きることが人生最大の喜び」
戦後・・こんなのが良き社会保障や良き人生設計とされてきました。
「将来楽して生きたいなら、ルールに従うべきであ~る!。」
「だから、自分を捨てなさい。」
『本能』を捨てて生きる社会。
「鬱」「躁鬱」「精神疾患」「心身疾患」
「統合失調」「虐め」「虐待」
「生活不安」
『正常』になれるわけがありません。
動植物と自然には、不安を解消出来る自由があるのです。
それは『本能』と『賢さ』と『品』と共にあるからです。
悩み・不安は永遠です。
その解消方法とは、本能の自由ではないでしょうか?。
本能がコワい?。
怖がっている人間は、相手をコントロールしたがります。
戦争も社会のパワーバランスも、原因のひとつだと思います。
深い深い『本能』は、
深い深い『賢さ』と
深い深い『品』をもたらします。
自然の美しい姿は、きっとそれなんでしょうね。
自分の『本能』を見つめ直してみませんか?。
サイキック 山本 浩二
カウンセリングのご依頼、心よりお待ち致しております。
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【追記】
この記事を書き終えたのちすぐに、
ネットのニュースに、このような項目がありました。
『生徒を「反社会」「障害」と分類文書、誤配布』
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