LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

運命を超える

2013-05-27 09:39:15 | サイキックの眼

      
    
運命を超える
    
      
運命を超える。運命を越える。
題にどちらのコエルの漢字を用いるかを考えました。
どちらもあてはまっている。
●超える (予想をー/常識をー/能力をー)
●越える (山をー/障害をー/権現をー)
   
しかし・・これらの意味の中で、いちばん心に留めて戴きたいと思ったのは「常識を超える」というのが合ったので、このタイトルにしました。
      
運命を信じる?信じない・・。
    
僕の発想の中には無かった感覚でした。
運が良いとか、運が悪い・・とかも、僕の考えの中にはありませんでした。
なぜならば、人の運命の在りようが視えているからなのです。
人の運命の在りようが視えているということは、社会の在りようも視えているのです。
物心ついた時にはわかっていた・・。
    
例えば、僕の両親が長生きすることもわかっていた。
それが僕にとってはあたりまえのことで、だから両親の健康のことなどの関心や不安は全くなかったのです。
両親共に健康で、入院ひとつしません。
或いは先日父親に、「糖尿病の検査にひっかかったよ」・・と、報告を受けましたが。
僕の《透視》で父を視ると・・『治る!!!!!大丈夫だから』
と、そう答えたのです。
一週間後・・。
再検査の結果、「糖尿病、治ってた。」とのことでした。
      
それが、特別なパワー?とか、ナントカ・カントカ?いうようなモノも自分では特に感じません。
僕にとっては極あたりまえのことなのです。
と言って、楽な人生ではなかったことも・・大変多かったのも事実。
僕自身の精神と肉体の疲労は異常でした。
その理由は、あまりにも辻褄が合わないことが社会に多すぎて・・困惑の連続だったからです。
辻褄が合わない学校の勉強などは殆どできませんでした・・。
      
社会の辻褄があわないこと。
山のようにあります。
「でもそんなのあたりまえでしょう?。」
そうですよ・・ね。
「そんなこといちいち気にしてたら生きていけないよ。」
ごもっとも。
だけど・・その辻褄があわない社会の先には何が待ち構えているのかも視えているのです。
今までも、社会の辻褄が合わない先の未来におこってしまったことは数多く見てきました。
それを運命とか、運が良かった・・悪かったとは僕には言えないのです。
辻褄が合わないことをスタートして、未来のどこかで辻褄が合うようなことは絶対ありません。
    
なので、僕のサイキック《透視》は、非常に奥深く辻褄が合っている感覚といえるのではないか?。
      
あるカウンセリング依頼者のケース。
新興宗教的なスピリチュアル系の活動?をされている方でした。
僕は《透視》し、『今の状態の人生では交通事故をおこすでしょう?。』
と・・先ずそうお伝えすると、「既に今まで事故多発済み」という返事でした。
やっぱり。
なぜならば、その方の自己が完全に消えているからです。
自分の運命・人生を変えたいと思って・・熱心にそのような活動を選ばれたのでしょう。
ですが効果は真逆です。
自己意識が完全に無く、新興宗教的スピリチュアル系の教えを信じきっておられる。
完全に自己の人生を他人にゆだね、依存しているのでしょう。
なので自己のコントロールを自分で出来ないのです。
ですから車の運転などは危険です。
このような方は大勢居るのではないでしょうか?。
自分の人生から逃れたい。人生を変えたい。
「だからこっちへおいで」と言われればホイホイついていく。
      
運命を超える。このテーマに戻ります。
もっと強く重要なことをシッカリ書いていくつもりでいるのですが、現実は上記のケースのような状態です。
   
「運命を超える」とは、『自分を超える』という意味です。
    
誰かをこえる?。
社会をこえる?。
虚栄をこえる?。
運命という名の波乗りが上手くなる?。
世渡り上手になる?。
    
いいえ。
何よりも『自分を超える』ことが大前提です。
「運命を変える」のではありません。
「運命を超える」、自分を超えることが最優先です。
    
運命を超えるには、最終的には親を超えることが一番の難関です。
運命を超えるには、自分との戦いで・・孤独です。
みんな仲良しルンルンルン♪では成せないことです。
    
運命の火種は、自分の中に灯っているのです。
その火種を知るのも自分ですし、超えるのも自分です。
運命の火種を消してしまうのもまた自分。
   
自分らしい運命は、何処かからホイホイやってくることはありません。
もしもそんなモノがあったとしたらそれは、有り余ったバブル経済時の有り余った既製品です。
大量生産のボタモチが有り余って、棚に積み上げられていたのが、誰の頭にも勝手に上から落ちてきた系の「棚からボタモチ」です。
      
何度も言いますが、本当はもっと「実のある」・・?
いいえ、『身の在る』話しを書きたいのですが、
先ずはこのようなオハナシにからになってしまいます。
       
あなたの中に在る「運命の火種」
運命を変えるのではなく、運命を超えるのです。
   
このテーマだけでも、量的に実際は何万ページにもなりますが、ブログとしては今日はここまで。
      
是非、自分を確かめにお越し下さい。
そのお手伝いと、お力になれればと心から思っております。
      

    
サイキックの眼  山本 浩二
     
        
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