恐怖の量
怖い思い、苦しい体験。
拭い取ることが出来ない経験は、消化することができずに蓄積されていきます。
心に中に…などという問題に納まらず、歳を重ねる毎にその苦しさは比重が増していくのです。
なにも考えられなくなり
カラダも重苦しく
感情もトボしく、笑うこともできなくなる。
美味しいものをたくさん食べたとき、例えば焼肉や、ケーキバイキングなど。もうお腹いっぱい!もぅ食べられヘン…しばらくは見るのもいや。
な~んてコトってありますよね。
(若い頃はよく行きました)
おなかの許容メーターがMAXになって…
なにも考えられなくなり
カラダも重苦しく
満足感も通り過ぎて笑うこともできなくなって、ゲップ。
でもまた半日もすれば胃で消化されて、またお腹が空いてくる。
同じようなMAX状態のメーターでも、精神的な怖い体験となると簡単には消化せず、表面張力いっぱいいっぱいのコップの水のようなもので。
実際そんなコップも、計量カップも、目に見えてある訳ではありません。
ただただ無性に日々恐怖を感じるのです。
それを世間では 恐怖症 とか 不安症 などど位置付けられています。
考えすぎとか、悩み過ぎとか、精神安定剤とか、アレルギーとか。
でもちゃんと理由があるのです。
全く理由も無く不安になることは先ずありません。
根本的な不安、恐怖が消化出来ていなし、出来なかった。
だから〔恐怖不安感覚のタンク倉庫〕が蓄積される一方で、満タンになっていくのです。
そうなってくると、お箸がコロンでしまうコトですら怖くなるのです。
幼児や子供への虐待
自立しない子供への暴力沙汰
自立できない子供の親への暴行
老夫婦の様々な事故
将来を悲観して、取り返しのつかないことを起こしてしまう
…など。
思考も精神的にもいっぱいいっぱいなのは、〔恐怖不安感覚のタンク倉庫〕がいっぱいいっぱいだからなのです。
◆ こんな人生イヤだ!もぅ関わりたくない見たくない!こんな怖いコトもうイヤだ…。
◇ あぁ食べ過ぎた~!美味しかったぁ!けどしばらくは見るのもイヤだよぉ~ゲップ。
同じ満タン状態でも、消化するタンク と 消化しないタンク とでは全然違うのです。
色んな恐怖・不安感があります。
それを解消するにはどうしたら良いか?が、日々人生になってしまっている。
でもそれは自然の本来の在り方であって、自然の生物はあらゆる不安と恐怖に対応する為に自由に進化し成長し続けて、そして様々な能力や体技や技能を各々携えている。今こうしている時も進化し続けているに違いありません。
そしてこれには決定的な違いが人間にはあります。
「自然本来の在り方」 に対し 「人間社会の在り方」 との違いです。
それは、
● 「自然本来の在り方」では
自然の中で生きる為の自然の不安と恐怖の乗り越え方を親が教え伝授すること
● 「人間社会の在り方」では
自然の恐怖を克服出来ない不自由な社会故に、
社会に対してもまた恐怖と不安がつのり、
その不安の吐け口を我が子に向け、恐怖と不安をあおり与える。
綺麗ゴトかも知れませんが、究極の事実です。
なぜ?究極などと言えるのか?と言いますと、それは、
『成長し続ける原理があるからなのです』
みんな成長したい。
抑えることなく成長し続けたい。
代謝したい、消化したい、どうしようにもない生物の原理です。
これを止められると、気が狂いそうになるのです。
生きている以上どうしようもないことです。
スミマセン、恐怖の基本の前置きはここまでで、
ここからが本題になりそうです。
普段の身近な視点に戻します
「子供の頃、親から虐待を受けた…」
というご依頼、ご相談は少なくありません。
皆さん…歳を重ねる毎に、その傷は膿が増す一方なのです。
心の傷とか、トラウマがどうとか、もうそんなカテゴリー表記では納まらないでしょう。
様々な依存症でもって苦しみを軽減することをされている。
その依存症の種類やカタチは本当に様々です。
苦しみを避けられる方法を造り出してしまうのでしょう。
大体の方々は決まってスピリチュアル系などの精神世界にもハマッてこられている。
苦しみと恐怖と不安を美化の上書きをしようとするのです。
ですが膿は消えてはいません。
なので結果…余計にパニックになるでしょう。
家庭内、親子関係での虐待の問題の全てのケースの共通点は、
親の 〔恐怖不安感覚のタンク倉庫〕 の容量が満タンで、そのメーターの針が振り切っている状態である。
改めて説明しますと 〔恐怖不安感覚のタンク倉庫〕 とは、恐怖や不安を感じる精神的許容範囲 を言います。
社会での問題、不安要因、事故や事件などは、そこに他人という相手が存在し、そこで時間がかかったとしても何らかの方法で問題の解消を行うことをします。
しかし、家庭内で、親子となるとそうはいきません。
虐待の問題での共通点
親もまた、そのまた親から恐怖を与えられていることが、確実です。
〔恐怖感覚貯蔵タンク〕が溢れかえって山積みになっている状態の家系。
勿論、色んな理由があります。
社会の歪んだ問題から派生していることからも大いに存在します。
生きて行く恐怖と不安が、自然の生き物のようにならば良いのでしょうが、人間の社会では、人間同士が恐怖で不安なのも否めない事実です。
ですが、自然の動植物の生きる為の弱肉強食も互いに平等なら、人間の社会の弱肉強食もまたある意味で平等?であって…。
一歩、外に出れば何が起こるか解らない恐怖と不安があるのは、動物も人間も同じであるのに。
一歩、外に出る前から恐怖と不安がある家庭が多い事実。
大人も子供も家族みんな、外で起きる人間関係の不安や問題、〔恐怖不安メーター〕もいっぱいになって家に帰って、そして互いに経験を考え合い信頼し合うことでその恐怖を乗り越え、消化していければ良いのです。
それが逆に…
信頼も無い、自分さえ良ければいい、嫌々生活を共にする、
お前が悪い、イライラする、見たくない、どれもこれもお互いサマでありんす。
これじゃ何も解消することはないでしょう。
解消しないということは日々の問題も増える一方です。
いわゆる共依存です。
何故?信頼が無いか?
僕は、全てはココにあるように思います。
では何を信じているのでしょう?
何に信頼を置いているのでしょう?
生きていく上で、何を信頼出来たでしょう?
宗教? 金? 豪邸? 世間体? 肩書き(のみ)?
これらは、何の信頼も無いモノばかりですね…
言い方をひっくり返せば、これらは手堅いモノなんです。
信頼なんかよりも、手堅いモノが欲しいんやね。
恐怖や不安の解消には、手堅いモノを手に入れる!ってワケだ。
しかし、これらを手に入れているご家庭だって、虐待や家庭内の争いは絶えない。
不安や恐怖は絶えないワケだ。
なぜなら、本当に信頼し合える日々が欲しいからである。
恐怖と不安を信頼し合いたいのです。
恐怖や不安を毛嫌いし、無視するのではなく、
恐怖と不安とを共に向き合える場が欲しいのです。
それが信頼関係だと思います。
虐待とは、恐怖と不安の消化不良から、その吐物を子供に与えることなのです。
それが家系のなかで脈々と吐き継がれているようです。
勿論、自分が親から受けたとしても、我が子にはしてはいけないと思い堪える方もおられますが、我慢が度重なって色んなカタチで副作用が現れている。
トラウマ・心の傷を解消する…と一般的には言いますが、
『 恐怖の量 』 を消化する と言った方が適切だと思います。
僕はこの解消方法、恐怖の消化方法として、
「親から間違った事象を受け入れたコトの恐怖心」を乗り越える為に、
「自ら正しい行いを積み重ねるコト」で、恐怖と不安を消化してもらっています。
そのアドバイスは綿密にお伝えしていきます。
恐怖や不安は、間違ったことを与えられてしまい、罪悪感と共に消化出来ない事でしょう。
たとえそれを与えたのが親だったとしても、許してはならないのです。
その解消法は、親よりも正しい行いを選び実行し続ける勇気と忍耐力です。
何度も何度も、他の当ブログ記事内で言っていることですが、僕は子供の頃から「将来・未来には親子が殺し合う時代が来るだろう」と思って一人で悩んできました。
まだ見ぬ未来に…恐怖で不安でした。
それから何十年も経ち、僕自身も親との恐怖量を克服する日々を経て、実経験にも基づきながら、考え悩み続け積み重ねてきました。
本来、存在してはならない家庭内の恐怖。
その問題の解消と消化の為に、お役に立てればと心より願っております。
『恐怖の量』 でした。
サイキックの眼 ヤマモト コージ
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